7.
炎が激しく燃えていた。
わたしがそこに駆け付けた時はもう遅くて、既に奏は“それ”をやってしまっていた。例の野原で、奏が自分で設置した祭壇を自ら燃やしている。“田中かえる様”の文字が燃えて煤になって消えていっている。麻紐を利用して作った、恐らくは手作りだろう拙いしめ縄で作られた囲い。その中でそれらは燃えていた。
「奏…… 何をしているの?」
その光景を遠巻きにたくさんの生徒達が見ていた。わたしはその人垣を通り抜け、彼女に近づいてそう尋ねた。
それを聞くと、奏は振り返ってわたしを見た。そして、笑顔でこう言う。
「うん。これで、なんとかならないかな?って思って。もう、こんなの、お終いにするべきでしょう?」
――何を言っているの?
もしかしたら、自ら作った田中かえるの祭壇を燃やす事で、奏はこの“田中かえる騒動”を終わりにするつもりでいたのかもしれない。しかし、背後の生徒達の反応を観る限り、どう考えてもそれは逆効果だった。
皆、奏のその行動を、奇異なものを見る目つきで見ていた。理解できない“何か”が、ここにいるといったような。
「とにかく、奏。さっさと火を消すわよ。こんな場所でたき火なんて、絶対に問題になるから」
とわたしはそう言ったが、もうほとんど火は燃え尽きようとしていた。わたしがバケツで水を汲んで来て、それをかけた時には、炎なんてもう上がってはいなかった。
水をかけると、「ふしゅっ」と、随分と間抜けな音を発てて、灰の中にわずかにあった火が消えた。灰が舞って煙になったが、それも直ぐに目立たなくなる。
わたしはその後でしめ縄も片付けた。わたしが片付け始めると、奏も片付ける。「ありがとう」、「ごめんなさい」などと言いながら。そうしているうち、離れてそれを見ていた生徒達の姿は消えていった。
それは朝の、まだ学校が始まる前の出来事だったのだけど、それからHRの前に奏は教師達から呼び出しを受けた。叱られたらしい。今はたき火は、法律で禁止されている上に、あそこは学校の敷地内ではない。だからそれは当然だった。でも、そんな事は別に大した問題でもなかったのかもしれない。敷地の持ち主から文句を言われた訳ではなかったし、だから警察が出てくる心配もない。本当の問題は、学校内の奏の立場だった。奏の悪い噂は暴力的に膨れ上がって、暴走していると言っても良いくらいの状態になっていたのだ。『異常な女の子』。奏はそう思われてしまっていた。そしてそれを受けてか、遂に生徒会が動いてしまったのだった。
昼休みに奏は生徒会室に呼び出された。わたしは心配してそれを見に行ったが、生徒会室のドアは閉じられていて、話声すら聞こえては来なかった。多人数から奏が責められていたらどうしようかと思ったけど、幸いにも生徒会室の中には、三谷楓一人しかいないようだった。
わたしは奏が心配で、生徒会室の前に居続けたのだけど、やがてそこに異変が起こった。なんと、あの園上ヒナが現れたのだ。大きな足音をさせながら、騒々しい雰囲気で、彼女はやって来た。園上さんは恐ろしい形相を浮かべていて、明らかに怒っている。そして、生徒会室の前にいるわたしを一瞥した後で、瞳を微かに歪め、それから閉められていた生徒会室のドアを構わず開けてしまった。
ドアが開かれると、厳つい表情の三谷楓と、可哀想にも委縮している奏の姿が飛び込んで来た。
園上さんが生徒会室に入って行くと、三谷楓は不可解そうな表情を作り、「あなたは何? 今、取り組み中なのだけど」とそう言った。すると園上さんはこう返す。
「“田中かえる”の件で、この唄枝って子を問い詰めているのでしょう? それに関係がある話よ」
三谷楓はそれを聞くと黙る。聞くつもりがあるという事だろう。わたしは、園上さんは先日の生物室での蛙の鳴き声の件について訴えるつもりでいるのかと思ったが、どうやら違うようだった。
「この子が、祠の前で燃やしていた中に、セーラー服の衣装があったらしいわ。燃えカスが残っていたのだって。これが何を意味するか分かるでしょう? 田中かえるの衣装よ。つまり彼女は、証拠を隠蔽しようとしていたのね」
それを受けると、三谷楓は顔を顰めて奏の事を見た。
「まったく身に覚えがありません」
奏は首を横に振りながら、その三谷楓の顔にそう答える。三谷楓はそれを聞いて、園上さんを見た。
「そりゃ、犯人がそのまま素直に言うはずないじゃない!」
すると園上さんは、まるで汚いものでも吐き出すかのような口調でそう言い放った。そこでわたしは堪らず、生徒会室に入って行く。
「ちょっと待って。わたしは、奏が燃やしている火を消したけど、セーラー服なんてなかったわよ?」
園上さんはそう言うわたしを睨みつけると、こう反論した。
「直ぐには見えないところで、燃やしていたのでしょう? それに、そもそも、唄枝奏のことが大好きなあなたの証言なんて信じられないわ」
わたしはそれにこう返す。
「なら、園上さんは、実際にその燃えカスになったセーラー服を見たの? そんなの、どうせまたくだらない単なる噂に決まっているじゃない!」
奏はその様子をとても困ったような、そして哀しそうな顔で見ていた。責められているのは彼女自身なのに、まるでわたし達が言い争っている事を心配しているような。わたし達を心配しているような。否、実際、彼女はわたし達を心配していたのかもしれない。園上さんは、そんな奏を見ながら言った。
「この前、変な蛙の声が、生物室で鳴ったのだってあなたでしょう? わたしはあの後で確信したのよ。これまでの事は、全て唄枝さんがやったのだって!」
それを聞いて三谷楓が口を開いた。
「これまでの事? これまでの事って何?」
その質問に、少し園上さんは止まる。それから決心したような表情になると言った。
「ここ最近、わたしはずっと嫌がらせを受けていたのよ。“田中かえる”から」
それに三谷楓は怪訝な表情になる。
「どういう事よ?」
「初めはロッカーの中に、蛙が入っていた。朝来たら、中から飛び出してきてビックリしたわ。でも、その時は大して気にしていなかった。変な悪戯だとは思ったけど。ところが、それからもそんな事が続くようになったのよ。机の中に手紙が入っていたのだけど、その中身が全て“ゲコゲコゲコゲゲコ”だったり。蛙の落書きを描いた紙が、わたしの机に貼ってあったり。紙袋を被った女子高生に後を追われたり。
もう、わたしは頭がおかしくなりそうなんだから!」
奏はその説明に怪訝そうな表情を作った。そして、こう尋ねる。
「だから、園上さんは、あたしが“田中かえる”を祀っていた事を、怒っていたの?」
「そうよ! てか、そもそも、あなたがやっていたのでしょう? とぼけるのはやめてよ!」
わたしはそれに反論する。
「変な言いがかりは止めてよ。どうして奏がそんな暇な事をしないといけないのよ?」
「そんなの、こっちが訊きたいわよ!」
三谷楓はそのやり取りを聞き終えると、軽くため息を漏らしてから、園上さんに向けてこう言った。
「ちょっと待って、そこのあなた。冷静に公平な立場から言わせてもらうのなら、証拠不十分だと言わざるを得ないわよ。それだけで、彼女、唄枝さんを犯人だと決めつける訳にはいかない」
わたしはその彼女の言葉に喜んだが、園上さんは当然のように反論した。
「どうしてよ? この女以外に、有り得ないでしょうが!」
「落ち着いて」と、そう三谷楓は言うと、それからこう続けた。
「それは飽くまで、今の段階ではという話。もう少し、色々と唄枝さんに話を聞かせてもらうわ。
例えば、どうして“田中かえる”を祀り始めたのだとかね。学校内でも、色々と噂になっていたし。本当を言えば、生徒会としてももっと早くに彼女を呼び出して問い詰めるべきだったのだけど」
それを聞いて、奏は少し怯えた表情を見せた。
「それを、言わないと駄目ですか?」
そしてそう問いかけ、それからわたしの顔を見た。その時、わたしは奏がわたしに助けを求めているのかと少し思ったのだが、ちょっと経ってどうも違うような気がした。むしろ、わたしを心配しているような気がしたのだ。ただ、どうであるにせよ、わたしは彼女を救いたかった。しかし、救いたくてもどうすれば良いのかが分からない。
どうしよう?
どう言えば、奏を助けられる?
そう悩んだ。ところが、そのタイミングで救世主が現れたのだ。しかも、その救世主は、なんとあの黒宮さんだったのだ。
「どうにも、勝手な事ばかり言っているように思えるのだけど」
いつの間にか、彼女は生徒会室の入口に立っていた。腕組みをして、こちらを見ている。皆、彼女に注目をした。
「唄枝さんが生徒会室に呼び出されたって聞いたから、どうなっているかと思って来てみたら、随分と変な事になっているみたいね。ドアを開けっ放しで、大声で話しちゃって。廊下の方にまでまる聞こえだったわよ」
そしてそう言いながら、彼女は生徒会室に入って来た。何故か、三谷楓も園上さんも彼女の登場に怯んだように思えた。
「自分の事は棚に上げて、言いたい放題。他人を責める事には、躊躇がないみたい」
入って来ると黒宮さんは、そう言いながら園上さんはジッと見た。不思議な事に、明らかにその視線に園上さんは威圧されていた。次。
「都合良く噂を利用して、用が済んだら、誰かに責任を押し付けて、知らんぷりって態度で偉そうに説教をする。しかも、約束まで破っているくせに」
今度は、黒宮さんはそう言いながら三谷楓を見る。それに三谷楓は反論をした。
「なにか誤解があるみたいだけど、わたしは無実よ……」
それを聞くと、黒宮さんは腕組みをしてこう言った。
「黙りなさいな。呪うわよ?」
それで三谷楓は口を紡ぐ。
わたしには、その不思議な光景の意味が分からなかった。どうして園上さんと三谷楓が黒宮さんに威圧されているのか。奏もそれは同じらしく、不思議そうな顔をしている。
“まさか、本当に呪い?”
そう思ったけど、そんなはずはなかった。それから黒宮さんは「もう、良いでしょう? あなた達に彼女を責める資格はないわ。これで、これはお終い」と、そう言った。それから黒宮さんはわたし達二人に向けて、
「ほら、聞いたでしょう? 二人とも。もうお終いよ。さっさと出ましょう。こんな所」
と、そう言って生徒会室の出口に向かう。どうにも彼女は怒っているようだった。わたしと奏は互いの顔を見合わせると、彼女の後を追った。そのわたし達に向けて、背後から三谷楓は言う。
「言っておくけど、わたしを何も言えなくさせても、唄枝さんへの学校の悪い噂はどうにもならないわよ?」
それを黒宮さんは相手にしない。
「そうでしょうね。でも、これとそれとは関係ないわ。お願いだから、私をもうこれ以上、怒らせないで」
そう言って振り返りもせず、出て行ってしまう。わたし達もそれに続いた。生徒会室を出た後で、わたしは黒宮さんに礼を言いつつ、こう尋ねた。
「助けてくれてありがとう。でも、あれは一体、なんだったの? どうして彼女達が黙ったのか、わたしにはまったく分からなかったのだけど」
それを聞くと黒宮さんは、少し笑った。それからこんな事を言う。
「ごめんね。それは聞かないで。ま、私は“呪いの黒宮さん”なものだから、色々と知っているのよ」
それでわたしは黙った。
もし彼女がそれを話してくれたなら、或いは奏を助けられるかもと少し想像したが、そんな都合の良い話はないだろうと思いながら。奏も何も言わなかった。
それから教室への帰り道で、奏がわたしにこう言って来た。
「天子ちゃん。ありがとうね。今回も。でも、もうあたしには関わらない方が良いよ。これ以上関われば、天子ちゃんまで変な風に思われちゃう」
わたしはそれを聞くなり、ほぼ反射的にこう返していた。
「それだけは絶対に嫌っ!」
彼女がわたしの為を思ってそう言ったのは分かっている。その言葉が、むしろ彼女を苦しめる事も分かっていた。だけど、だからこそ、それでもわたしはそう応えた。わたしの必死な様子を見てか、それからは、彼女は何も言わなかった。
教室に戻ると奇妙な目でクラスの連中がわたし達二人を見ていた。どうしたのだろう?と思って奏の机にまで行って気が付いた。
奏の机の上に張り紙が。
『謎の女子高生、田中かえる様』
わたしはそれを見るなり、怒鳴った。
「誰だ?! 誰がこんな事をしたぁ?!」
そんなわたしの反応を、数名の生徒達はとても楽しそうに見ていた。笑っている。醜い。それを見てわたしはそう思った。怒りよりも嫌悪感の方が勝る。なんなんだ?こいつらは。どうして、こんなに醜い?
今にも暴れ出しそうなわたしの腕を、奏が掴む。
「良いから。大丈夫だから。天子ちゃんの忠告を聞かないで、田中かえるを祀り続けたあたしが悪いだけだから」
「違う」
わたしは言った。
「それは違うわ、奏。あなたは何にも悪くない。悪いのはこんな事をしても平気でいられる醜い他の連中の方」
それを聞くと奏はわたしに縋りつくようにした。
「天子ちゃん。お願いだから、そんな事を言わないで。そんな事を言っていたら、天子ちゃんまで、あたしの所為で変に思われちゃうから……
これで分かったでしょう?
もう、あたしには関わらない方がいいって」
わたしはそれにまたこう応えた。
「それだけは絶対に嫌」
それからこう続ける。
「もしも、奏が悪く言われ続けるのなら、わたしも一緒に悪く言われる。奏を見捨てるよりも、その方が、ずっとわたしにとって仕合せな事なの」
「天子ちゃん……」
それを聞いて奏は涙を流した。嫌だ、とそれを見てわたしは思う。奏のこんな表情は見たくない。奏を悲しませたくない。でも、今、奏にこんな顔をさせているのはわたしなんだ。そう思った。頭が割れそうだった。それからわたしは、ゆっくりと自分の席に戻った。周りの連中を睨みつけながら。
次の休み時間になると、わたしは一年生の教室に向かった。本当はあいつだけは頼りたくなかったけど、それでも今は、一人でも多く味方が欲しい。
三谷涼。わたしは彼を廊下に呼び出すと、「奏を助ける為に協力して」と、そうお願いをした。すると、彼は肩を竦めた。そしてこう言う。
「助けろたって、どうするんです?」
軽い調子で。
わたしはその奴の態度に唖然となった。
「あなた。あれだけ奏に付き纏っていたのに、奏を助ける気がないの?」
「だから、どうやって助けるのか?って訊いているんですよ。助けられるのなら、そりゃ助けますよ。でも、どうにもならないじゃないですか」
わたしはそれを聞くと、三谷涼の胸倉を掴んだ。こいつの、不真面目な態度に腹が立ったのだ。
「あんた…… いい加減にしなさいよ」
そのわたしの行為に、三谷涼は「やめてくださいよ」とそう言った。
「そもそも、異常な行動を執ったのは、唄枝先輩自身じゃないですか。自業自得ですよ。それに木垣先輩は、僕が唄枝先輩に近付くのを嫌がっていたじゃないですか。今になって協力しろって言うのは、少々、虫がよすぎやしませんか?」
それから三谷涼はわたしの腕を無理矢理に離すと、「もう、来ないでください」と、そう言ってから教室に戻って行った。わたしはその姿を、歯ぎしりしながら見つめていた。こいつは駄目だ。まったく使えない。それから必死に考える。
あと、頼れそうな人といったら……
その時、わたしの頭には、鈴谷さんの名前が浮かんだ。