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4.

 その日、わたしは苛立っていた。その原因は明白で、何故か、副生徒会長三谷楓の弟である三谷涼という一年の男生徒が、生意気にもわたしの奏にちょっかいをかけにやって来ていたからだった。

 今も何やら奏と話をしている。それをわたしは自分の席から凝視していた。会話に混ざってぶち壊してやろうかとも思ったが、奏に迷惑がかかるのは嫌なので、堪えていた。

 なんだか知らないが、稽古中の奏を偶々見かけて、それでファンになったのだとか。ふざけるな。わたしなんて、もうずっと前の中学の頃からの奏のファンだ。何を隠そう、進学先だって奏に合せて決めたのだ。それで、

 「ムキョー!」

 などとわたしが憤っていると、「おぅおぅ、予想通りに興奮しているわねぇ」などと言って、同じクラスの立石望という女生徒が現れた。

 「なによ、同じクラスの女生徒A」

 とわたしが言うと、立石は頬を引きつらせてこう言った。

 「言うじゃない。こっちは折角、情報を持って来てやったってのに」

 「情報って何よ?」

 「あの三谷って一年についての話よ。因みに、知り合いの一年から聞いた話で、信憑性は高いわよ」

 それを聞いてわたしは、態度を変える。

 「ほぅ。聞こうじゃないの」

 「なんで威張っているのよ、あんたは」

 この立石とは一年の時から同じクラスで、わたしが奏のファンだという事もよく知っている。二年になって奏と同じクラスになったと知った時には、「あんたの電波が教師どもに届いたのかもね」などと言って来た。わたしは先生達に、いかにわたしと奏の仲が良いかを積極的にアピールしていたから、それは当たらずとも遠からずだったのかもしれない。

 「あの三谷って一年、可愛い顔を利用して、演劇部の一年女生徒達にも声をかけているらしいのよ」

 そう言った後で、明るく話している奏達を立石は見やる。それから、

 「ロリコンかしらね?」

 と。

 まぁ、そう思うのも、分からないでもないが。

 三谷涼という男生徒は、前にも一度説明したが、美人の姉とそっくりなのだ。下手すれば女に見える程の美男子。

 それを聞いてわたしは我慢の限界を超えた。奏は、そんな上っ面だけの薄っぺらい男の犠牲になって良いような子じゃない。

 ところが、それで奏を救いに向かっている途中で、それを察したのか、三谷涼ってその一年は奏の席を離れてしまったのだった。そのまま、教室から出て行く。わたしはなんだか、肩透かしをくらったような感じに。

 「何か変な事を言われたりされたりしなかった?」

 奏の席に着いたわたしがそう問いかけると、奏は不思議そうな顔をして首を傾げた。“あ、この顔、可愛い”とわたしは思う。

 「何にも変な事はされていないし、言われてもいないよ」

 良かった、とそれを聞いてわたしは思ったが、奏の感覚でのその言葉は、いまいち信用がならない。不安は残る。この子はそもそも、ほとんど人を悪くは思わないから。などと考えていたら、奏はこう続けるのだった。

 「ところで、天子ちゃん。ごめん。今日、一緒に帰れないの。用が出来ちゃって、遅くなるから」

 今、既に奏は演劇の稽古に入っている。だから帰りは遅い。ただし、わたしも奏の衣装を、手芸部の協力も得つつで作っている最中だから同じく遅い。帰る時間帯は、大体、同じくらいになるはずだった。一緒に帰れない理由はない。

 「やっぱり、さっきの一年に変な事を言われたのね! 用って、あの一年と一緒に帰るとか、そういう事?」

 わたしは軽くパニックになりかけ、必死にそう訴えた。すると困った顔で笑いながら、奏はこう応えるのだった。

 「違うよぉ、天子ちゃん。あたし、田村さんの家に寄ってから帰ろうと思って。ちょっと心配だから」

 「田村? 田村って、田村鈴? あの呪いの所為で、貯水池に落ちちゃった生徒?」

 「うん。あれから彼女、学校に来ていないって話でしょ。だから、大丈夫かな?って思って」

 わたしはそれを聞いて不思議に思った。

 「田村さんって人と、奏って知合いだったの?」

 「うん。一年の頃、同じクラスだったけど。天子ちゃんもよく教室に来ていたから、知っているかと思ってた」

 なるほど、とそれを聞いてわたしは思う。あの田村って三つ編みの女生徒を何処かで見かけたと思っていたが、どうやら奏の教室だったらしい。わたしは奏以外ほとんど目に入っていなかったから、よく覚えていなかったのだろう。

 「なら、わたしも一緒に行くわよ」

 と、それからわたしは言った。

 「え? 良いの? かなり遅いよ?」

 「だからこそでしょう? そんな暗い時間に、奏一人を歩かせられますか」

 そのわたしの言葉に、奏は少し困った表情を見せはしたが、それから直ぐに「うん。分かった。じゃ、お願いしようかな」と、そう応えてくれたのだった。

 「安心しなさいな。あなたは、わたしが護るから」

 胸を張ってわたしはそう言った。

 

 演劇部の稽古は、夜中の七時半過ぎまでやっていて、わたしも彼女に合わせて、それくらいまで手芸部で奏の衣装を作っていた。それから彼女と合流し、学校を出て、田村鈴の自宅にまで辿り着いた頃には、もう八時をけっこう回っていた。

 チャイムを鳴らすと、まず田村家の母親らしき人がドアフォンに出て、それに奏が「鈴さんの一年の時のクラスメートで、唄枝といいます」と返すと、直ぐに田村鈴を呼んでくれた。

 「すずー! 唄枝さんってお友達が、心配して来てくれたわよー」

 と叫ぶ声が、ドアの外からでも聞こえる。それからしばらくして、本人が玄関に顔を見せた。

 彼女は貯水池に落ちてから、もう三日も学校を休んでいる。だから、どれだけ体調が悪いのかと思っていたのだが、少なくとも顔色を見る限りでは、何も悪いところはないように思えた。

 「唄枝さん。どうも、今晩は。お久しぶり」

 奏の顔を見るなり、淡々とした口調で、田村鈴はそう言った。それから後ろにいるわたしに気が付いたらしく、少しこちらを見ると、“やっぱり、この人もいるんだ”とでも言いたげなそんな顔になる。奏の元クラスメートなら、当然の反応だろう。先にも述べたが、わたしはしょっちゅう、彼女の教室を訪ねていたから。

 「田村さん。元気そうで良かったわ。怪我とかはしていないの?」

 唄枝がそう尋ねると、田村さんは「ありがとう。幸い、何処も怪我はしていないわ」とそう答えた。

 まぁ、それほど悪い人間には見えない。奏に危害を加えたりはしないだろう。ただし、奏に心配してもらえているのは、少しばかり羨ましいけど。

 それから少し言い難そうにしながら、奏は田村さんにこう言った。

 「実は今日来たのはね。田村さんの様子を見に来たというのもあるのだけど、少し訊きたいことがあって……」

 訊きたいこと?

 その用件は初耳だった。それでわたしは、なんだろう?と不思議に思う。わざわざわたしに話すような事でもないのかもしれないが。

 「何?」

 「あのさ。田村さんが貯水池に落ちたのって、もしかしたら、“田中かえる”が関わっているのじゃないの?」

 田中かえるぅ?

 わたしはその言葉を聞いて驚く。そして、奏が謎の女子高生、“田中かえる”を好きだった事を思い出す。

 その奏の質問を受けて、田村鈴はしばらく固まった。わたしはそれで身構える。これから彼女が、奏を馬鹿にし始めるのじゃないかと思ったからだ。もし、そんな言動をするようなら、わたしは全力で奏を庇わなくちゃいけない。奏は何にも悪くないのだし。しかし、それから彼女はこう答えるのだった。

 「田中かえる…… そうね。もしかしたら、関わっているかも」

 わたしはその彼女の言葉を不可解に思う。内容もそうだが、言い方も。あまり明瞭な言い回しではなかったからだ。もしかしたら、奏を傷つけないようにしているだけかもしれないけれど。

 「やっぱり……」

 しかし、当の奏は、その言葉を受けて、何故か傷ついたような表情を浮かべるのだった。しかも、それからこう続ける。

 「わたしね。これから、田中かえるを祀ろうかと思うの。場所は、あの貯水池の近くにある祠。もうこれ以上、犠牲者を増やしてはいけないわ。田中かえるはきっと、本来は、弱い人達の為の神様だと思うから」

 わたしはもちろん、奏の発言に驚いてしまっていた。彼女は何を言っているのだろう? 田村鈴も驚いているようだったが、それから少し経つと、薄らと笑ってこう返したのだ。

 「なるほど。それは助かるわ。わたしや、他の人達もね」

 その時の田村鈴の様子は、なんだか不気味に、わたしには感じられた。

 

 次の日、奏は本当に田中かえるを祀り始めてしまった。あの祠を掃除して、祭壇のようなものまで用意し、饅頭を供えて、花を活けて、そしてお祈りをする。全てが終わると「これで、大丈夫なのかしら?」などと首を捻っていた。

 そういう無邪気な行動、仕草は、とても可愛いらしいとは思うのだけど、その一方でわたしはちょっと不安にもなっていた。この今回の彼女の行動は、ある程度は目立ちそうだったし、変に思われそうでもあったから。何しろ、彼女が用意した祭壇…… 恐らくは、かつて演劇部の劇で使ったものだろうそれには、彼女の味のある可愛い文字で『田中かえる様』とそう書かれてあったのだ。

 噂の中に出てくる妖怪の類。そんなものを、神様として、しかも昔からある祠で祀ってしまうのは、やはり問題がありそうだし、異常な行動にも思える。

 ところが、わたしが心配してそう言っても、奏は分かっているのかいないのか、「まぁ、仕方がないしね」などと言って、それを止めてはくれない。

 ただし、幸いにして、彼女のその行動は、それほど話題にはならなかった。一部からは馬鹿にされていたようだが、その程度だ。どうしてなのかは分からないけど、きっとタイミングが良かったのだろう。もう直ぐ、演劇部の劇“岩戸隠れ”が学校の小体育館で行われる。それに支障が出なくて良かったと、わたしは安心をした。

 奏が田中かえるを祀った次の日の昼休み、またあの三谷涼が奏の許にやって来た。

 “一年の分際で、二年の教室に平気でやって来るとはなかなかいい面の皮だ。男生徒達から、しめられれば良いのに”

 などとわたしは思っていたが、特に誰も文句を言わなかった。何故か、むしろ公認されている感じだ。

 近くに寄って話を聞いていると、奏が田中かえるを祀りこめている事を、どうやら三谷涼は褒めているようだった。根拠不明で、「素晴らしいと思います」などと言っている。

 ふざけるな。とそれを聞いてわたしは思う。あれは絶対に止めなくちゃいけない。好きな相手の行動なら全て認めるというのは、間違っているだろう。むしろ好きだからこそ、問題のある行動は指摘して直していかないと。

 もっとも、わたしはその場で、三谷涼に文句を言えはしなかったのだけど。……奏の目を気にして。ただし、だから三谷涼が一年の教室に戻って行くのを見ると、後を追って奴の教室の前の廊下で捕まえ、軽く説教をしてやった。

 「奏が田中かえるを祀っているのは、明らかに問題でしょう? わたしはなんとか止めようとしているのに、余計な事を言わないでよ」

 すると、三谷涼は澄ました顔でこんな事を言うのだった。

 「なんで問題なんですか? 神様を祀るのは、良い事じゃないですか。それに、唄枝先輩は祠の掃除までしているのに」

 「あなた。奏があれで変に思われているのが分からないの? 祠の掃除や祭壇だって、今のところ、誰からも文句を言われていないけど、無許可なのよ?」

 三谷涼はそれを受け、綺麗な顔に微かな笑みを浮かべるとこう返す。少しも怯まない毅然とした様子で。

 「唄枝先輩が真心で、良かれと思ってやっている事を否定するなんて、僕にはできないですね。むしろ、応援してあげたいです」

 わたしはそれを聞いて止まる。真心だとか何だとかそういう問題じゃない。それは分かっていた。けれど、そんな風に自信満々に言われると、なんだかこっちが悪いように思えてくる。結局、わたしはそれに何も返せず、そのままその場を去ってしまった。

 もちろん、気分は最悪だったが。

 ところが、その帰り道に、わたしはある一年の女生徒の一人からこう話しかけられたのだった。

 「先輩。ちょっと良いですか?」

 わたしは、不機嫌だったからきっと凶悪な顔で振り返ったのだろうと思う。その女生徒は怯えた表情を見せた。

 「あなたは、何?」

 そうわたしが尋ねると、その女生徒は軽くお辞儀をし、「あ、わたしは駒川といいます。初めまして。実は先輩に教えたい事がありまして」なんて言って来る。

 「わたしに、何を教えてくれるの?」

 「先輩は三谷君と、唄枝先輩が近しい関係になりそうなのが嫌なのですよね? さっき、廊下で話しているのを聞いちゃったのですが」

 それにわたしは「ま、大体、合っているけど」と応える。一応、奏に田中かえるを祀る事を促すなという理由で叱りに行ったから、素直に肯定できなかったのだ。

 「なら、いい手があるんです。黒宮さんという人を知っていますか?」

 “黒宮さん?!”

 わたしはその名を聞いて驚いた。まさかここで、彼女の名が出て来るとは思っていなかったからだ。そして同時に、この駒川という女生徒の“いい手”の予想がついてしまったのだった。

 「知ってるけど。もしかしかて、彼女に“呪い”をかけてもらうとかって事? 三谷君と奏が近づかないように」

 すると、その駒川って女生徒は目を大きくして驚いた。

 「知っていたんですか?」

 「彼女とはよく図書室で会っているもの。断っておくけど、彼女、呪いなんてそもそも信じちゃいないわよ」

 それにますますその駒川って女生徒は驚いた顔をする。

 「それも、知っていたんですか?」

 そして、そう言った。わたしはそれを聞いて、怪訝に思う。

 ――はい?

 黒宮さんによる呪いの存在を信じていないのだったら、どうしてこの駒川さんは、わたしに黒宮さんに呪いを依頼しろなんて助言をしに来たのだろうか?

 それから駒川さんは、「失礼しました」と頭を下げ、それからそそくさと教室に戻って行ってしまった。

 なんだったのだろう?

 わたしの頭の中には、疑問符が残った。そして同時に、一年の女生徒まで知っているなんて、黒宮さんの呪いの噂話は、思った以上に広がっているのだな、などと少し驚いてもいたのだった。

 

 それからしばらくが過ぎ、ようやく演劇部の“岩戸隠れ”が、公演されることになった。場所は小体育館。剣道部が練習試合でいなくて、柔道部は基礎トレーニングに集中するというから、なんとか一日だけ貸してくれることになったのだ。だから公演は、一日だけ、しかも一回だけしかされない。しかもしかも、次の日は剣道部や柔道部の朝練で使われるので、終わったらさっさと片付けなければいけないというハードスケジュールだ。この学校における文化系部活動の立場の弱さがよく分かる扱いの悪さだろう。

 わたしはもちろん、最前席をキープするべく、開演の20分前から小体育館前に並んだ。一人だけだったけど。そんなところに、演劇部で二年男生徒の村上君がやって来た。

 「木垣さんは、裏方も手伝っているのだし、わざわざ並ばなくても良いのじゃない? 実質、スタッフでしょう?」

 と、そんな事を言いつつ、右手を差し出して来る。“出せ”といった感じで。わたしはその右手を無視して、こう返す。

 「裏方を手伝っているとは言っても、奏中心だから、それほど大きな顔もできないでしょう? 奏が悪く言われちゃいそうだし。奏に迷惑をかけるのは嫌なの」

 「徹底しているね、木垣さんは」

 とそう言いながら、彼は出した右手を引っ込めない。しばらくの間の後、彼は笑顔で「さ、大人しく、カメラ出して」と言った。

 わたしはそれに笑顔で返す。

 「証拠は?」

 「ポケットの中の物を出してみ」

 渋々ながら、それからわたしはスカートのポケットに入れてあったカメラを出した。デジタルの、音も小さければ、フラッシュも不要の高価なカメラだ。

 「これ、演劇の邪魔にならないタイプのものを、わざわざ買ったのよ?」

 それは奏が高校に入って演劇部に入部してから、必死にお金を貯めて購入したものだった。アルバイトまでして。しかし、ところが、このカメラは毎回演劇部員達に没収されてしまっている。

 「そういう問題じゃないよ。唄枝さんの迷惑になるのは嫌なんでしょう?」

 そう言って、村上君は無情にもわたしからカメラを取り上げてしまった。

 「ああ、返して~ 奏を撮るのぉ」

 「劇が終わったら、返してあげるから」

 などと騒いでいると、奏が顔を見せた。わたしが手伝った衣装をもう着ている。とても似合っている。可愛い。それから彼女は困った顔をしながらこう言った。

 「ほら、天子ちゃん。今なら、いくらでも撮っていいから」

 「わたしは劇の最中の奏を撮りたいのぉ」

 とか言いながらも、わたしは村上君からカメラを奪い返すと、十回ほどシャッターを押す。実を言うと、劇前の定番の光景だったりするのだけど、これ。

 「いやぁ、この茶番がないと、何だか落ち着かなくすらなってきちゃっているよ、僕は」

 村上君がそんな事を言った。

 

 演劇は大きな問題もなく順調に進んだ。客の入りも、それなりにいい。半分以上は埋まっているのじゃないかと思う。クライマックスに現れたアメノウズメ役の奏は本当に可愛くて、はっきり言って天照大神以上に存在感があったと思う。まぁ、わたしの感覚での話なのだけど。やがてアメノタヂカラオが、天岩戸を引き開けて天照大神を外に出し、目出度く世界に再び光が戻って大団円を迎えた。

 一回だけの貴重な公演。なんだかんだで合格点を貰える出来になったのじゃないだろうかと思う。少なくともわたしはそんな感想を持った。ところが、最後の挨拶の時に事件が起こってしまったのだ。

 「アメノウズメ役、唄枝奏さん」

 とナレーターが奏を紹介したところで、野次が入ったのだ。

 「さるおんな~!」

 と。数人の劇を観ていた女生徒達が、そんな声を。

 “猿だぁ?!”

 わたしは思わず頭に血が上って、その女生徒達の許へ駆けて行って睨みつけてしまった。わたしの形相に女生徒達は少しだけ怯えた表情を見せた。

 “また、こいつらか”

 わたしは思う。よく奏に野次を飛ばす、演劇部の、今回は天照大神役をやっている女生徒のグループと仲の良い連中。

 それから直ぐに舞台から慌てて奏が降りて来た。わたしを宥める。

 「大丈夫だよ、天子ちゃん。あたしはまったく怒っていないし。それに、アメノウズメにもあたしにも猿女は合っているし」

 「奏、お願いだから、そんな事は言わないで。今日の舞台だってとっても可愛かったわよ」

 「うん。ありがとう」

 本当はそれでもわたしの気は治まらなかったのだが、これ以上は奏を困らせられないと思って、自分の席に戻った。それからは野次が飛ぶ事もなく無事に劇は終わった。

 

 劇が終わってから、わたしも劇の片付けを手伝った。最後の最後で、空気が悪くなるような行動を執ってしまった負い目もあるし。いや、それがなくても奏がいる時点で、手伝っていたけど。

 「本当にありがとうね、天子ちゃん」

 パイプ椅子などを片付けていると、奏がわたしにそうお礼を言って来た。

 「どうしたの?」

 と、わたしが訊くと、

 「今日、怒ってくれた事も嬉しかったし。それに、いつも天子ちゃんが手伝ってくれているお蔭で、あたしは演劇部で弱い立場にならないでいられるから」

 そう奏は返して来た。

 演劇部は、外部からの協力や支援がないと成り立たない弱い部だ。人数はそれなりにいるが、この学校では文化系部活動に力を入れていない為、学校からの支援はほとんどないに等しい。だから、その他者の協力を得る役割を果たした部員の立場は強くなる。それに加えて、部内の勢力争いのような事も多少はあるらしい。誰と誰が仲が良くて、誰と誰が嫌い合っているとか。わたし一人とはいえ、奏は外部からの協力を得る役割を果たしている。そしてそうして認められる事で、そんな勢力争いの中でも、奏は中立の立場を保っていられるのだ。もしも、それがなかったら、彼女は役を貰えていないかもしれない。いや、それどころか、この部活を追い出されている可能性だって……。

 奏はとても優しい子だ。だから、そういう世知辛い事情から距離を置きたがっているだけで、ちゃんとそれを分かっているのだ。頭が悪い訳ではないから。

 「そんな事は気にしないで。前から言っているけど、わたしはあなたのファンだから。こんなの楽しいくらいなんだから」

 わたしは奏の頭を撫でながら、そう返した。そして奏をそのまま抱きしめようとした。安心させてあげたいと思ったのだ。ところが、そこでわたしの視界に変な物が入って来たのだった。舞台の上。

 ……田中かえる?

 それはこの学校の物とは違う黒い色のセーラー服を着ていた。夕暮れの暗い舞台の中、そのセーラー服は闇に溶けて同化していた。リボンだけ赤くて、それがクッキリと黒の中に浮かんでいる。その女生徒は頭に紙袋を被っていて、その正体が誰なのかは分からなかった。

 それから、

 ――ゲコゲコゲコゲコゲコッ

 という蛙の鳴き声が聞こえたと思った次の瞬間、その“田中かえる”は、目の前にいた女生徒を強く突き飛ばした。女生徒は田中かえるに背を向けており、不意を突かれた所為で顔から床に落ちた。ちょうど両手が塞がっていた所為で、床に手をつけなかったのだ。

 顔面から落ちた所為で、鼻血が出たらしく、それが大量に床に広がった。

 「キャー!」

 という悲鳴が響く。流れる血に気付いた女生徒達が悲鳴を上げたのだ。それから蛙の鳴き声はピタリと止み、“田中かえる”は、その悲鳴と共に舞台袖へと消えて行ってしまった。

 何人かが“田中かえる”の後を追ったが、何故か、誰も発見できなかった。

 鼻血を出した女生徒は、直ぐに保健室に運ばれた。幸いにも比較的軽傷で済んだらしいが、それでもその後、舞台の片付けには参加できなかった。

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