2.
――妖怪な事件だった。
と、そう表現するのが妥当だろうとわたしは思っている。“不思議”と表現すると、柔らか過ぎるし、“怪奇”と表現すると、少しばかり大袈裟過ぎる気がする。だから、わたしは、わたし達が体験したあの事件を、“妖怪な事件”だった、とそう表現したいのだ。
もしかしたら、これを読んでくれている人の中には、この“妖怪”という言葉の使い方に違和感を覚えている人もいるかもしれない。いや、ほとんどの人は違和感を覚えているだろうと思う。“妖怪”は、現代日本では、主にキャラクターに対して用いられる言葉で、「妖怪な何々」などという使われ方をされるものではないから。
ところが、それは比較的、近年に入ってからの使い方で、以前の“妖怪”という言葉は、現象だとかに対して用いられる言葉だったらしい。
これは鈴谷凜子さんという、知合いの女生徒から教えてもらった話なのだけど、その彼女に依れば、本来の妖怪の語義は、恐らくは“不思議”に近いニュアンスではないのかということだった。だから、
「不思議な話。不思議な動物。不思議な事件」。これを“妖怪”に変えて、「妖怪な話。妖怪な動物。妖怪な事件」
などと言えるはずなのだ。
ただし、妖怪な事件と私が表現したとしても、だからと言って、いわゆる超常現象の類がこの事件で起こったとか、そんなような事は一切ない。そういう意味では、妖怪な現象が何一つ起こっていない事は明らかだ。
でも、全ての謎が明らかになった今となっても、わたしの主観的な感覚では、やはり依然としてこの事件は妖怪なもののように感じる。
何をもって妖怪と感じるのかは、結局のところ、個人の感覚なのだろう。だから、わたし個人というかっこつきではあるが、この事件はやはり、妖怪な事件なのだ。
この事件の発端は、図書室での会話だった。いや、この言い方は正確じゃない。仮に図書室での会話がなくても、別の転がり方でこの事件は展開していただろうから、方向づけの一要因になったと表現するべきかもしれない。ただ、少なくとも図書室での会話がなければ、わたしがこの事件に関わる事はなかっただろうし、“田中かえる”を通して、人々が結び付けられる事もなかっただろう。
わたしの通う高校は、図書室の利用率が低い。昨今の若者が本から遠ざかっているとか、自発的に勉強に勤しむ者が少ないとか、色々と原因はあるのだろうけど、一番の原因は、図書室の蔵書が少々特殊だからだと思う。
少なくとも一般的な高校生が読むような類の本ではないものがたくさんあるのだ、うちの図書室には。民俗学の専門的な本だとか、科学の専門的な本だとか、経済の専門的な本だとか。恐らく、学校側は、生徒達に図書室の利用を促すつもりなど全くないのだと思う。もちろん、漫画を置けとまでは言わないが、もう少しくらいは手加減をしてもらいたい。
しかし、その利用率の低い図書室を積極的に利用している生徒達もいた。実を言うと、わたしもその中の一人で、そして、それで、他の常連の利用者達と顔見知りになっていたのだ。
その中で特にこの事件に深く関わった人が二人いる。
一人は、鈴谷凜子という名の女生徒。スレンダーな体型が印象的な子で、やや厚めの眼鏡越しに見える強い瞳からは、その気の強さがよく分かる。
彼女は民俗関係が好きで、毎日のように図書室でそれ関係の本を読んでいた。借りて家で読めば良いのにと思うかもしれないが、図書室には貸出禁止の本もあり、どうも彼女はそういった本で調べ物をしながら読書をしたいらしく、となると図書室を利用するしかなかったらしい。
そして、もう一人は、黒宮咲という名の女生徒。彼女は体型が鈴谷さんと似ている。顔の印象も似ている気がする。軽量タイプだが、眼鏡だってかけている。しかし、それでいて、この二人は相容れないような印象を受ける。黒宮さんが綺麗なストレートの長髪なのに対し、鈴谷さんの髪は肩の上辺りまでしかないが、それだけが原因ではないだろう。この二人は何かが、根本的に違うのだ。
彼女は単に落ち着ける環境を欲していただけらしく、テストや何かの課題があった時に勉強をする為、図書室をよく利用する。だから、鈴谷さんに比べれば、それほど顔は見かけなかったが、それでも奇妙な噂があったりと、印象深い女生徒だから、“図書室にいる”という存在感は強かった。
わたしと、そして唄枝奏というわたしの親友の女生徒は、調べものの為によく図書室を利用している。奏は演劇部に所属していて、彼女のファンでもあるわたしは、彼女のサポートと言うと変だけど、彼女に協力する為に一緒に調べものをしているのだ。演劇部にわたしは入っていなかったが、そういう協力を部外の人間がする事は認められている。いや、それどころか、積極的に協力を募っているほどだから、何も問題はない。
演劇の為の小道具や衣装を作る為の資料、台詞回しや時代考証など、その手の事を調べるのには、この図書室は有難かった。インターネットだけでは調べ切れない、具体的な内容や面白い話を拾える。
図書室の利用者として顔見知りになっていると言っても、わたし達が先に述べた二人と会話をする事は滅多になかった。それは彼女達二人の間も同じで、ほとんど会話をしている姿を見た事がない。つまり、わたし達は図書室の中で互いにバラバラだったのだ。そんなわたし達が珍しく会話をした事があった。もちろん、それが“妖怪な事件”へと繋がっているのだけど。
その時、わたしと唄枝奏は、“天岩戸”などについて調べていた。演劇部で次にやるのが、日本神話の中の“岩戸隠れ”で、その為に知識を得たかったのだ。“岩戸隠れ”とは、荒神スサノオのあまりに乱暴な所業に怒った天照大神が天岩戸に隠れ、その為に世界が真っ暗になってしまうという、あの有名なエピソードだ。奏は天照大神を誘い出す為に踊りを踊るアメノウズメの役をやるらしい。
「わたしは奏は、アメノウズメじゃなくて、天照大神の方がいいって思うな。だって、アメノウズメってあまり美人じゃないらしいし」
図書室で調べながら、わたしはそう言った。調べる為に読んだ資料の一つに“アメノウズメは美人ではなかったらしい”という記述があったのだ。
図書室には、先にも述べた通り、ほとんど人がいない。だから、そんな感じで平気で話す事ができたのだ。もっとも、それでも小さな声で話すように気を付けてはいたけど。わたしの言葉を聞くと、奏は笑った。
「アハハハ。天子ちゃん、あたしに天照大神は似合わないって」
そう言いながら、奏は自分の頭を手で押さえつけるような動作をして、自分の背の低さをアピールしてきた。奏は背が低い。それもあってか、とても幼い印象を受ける。だから確かに彼女の言う通り、天照大神は似合わないのかもしれない。
奏はそれからこう続けた。
「それに、アメノウズメって、猿楽の祖だって話だよ。つまり、演劇の神様の一人みたいなもんなんだと思う。だからあたしは、アメノウズメを演じられて、とっても嬉しいの」
「猿楽の祖?」
「そう。猿田彦と結婚して、アメノウズメは猿楽の祖になった。なんか、そんな説があるんだって。猿楽って神降ろしの芸能でもあるらしいから、天岩戸にそのまま通じるなって、あたしは思っている」
わたしはそれを聞くと、少し笑ってからこう言った。
「わたしは奏が、その猿田彦とかってのと結婚するなんて絶対に嫌だけど。あんたは、わたしの嫁だから!」
それを聞くと、奏は困ったような表情で笑いながら、こう言った。
「駄目だよ。神様を馬鹿にしたら」
「あっ、その猿田彦ってのも、やっぱり神様なんだ」
「そうだよ。しかも、天孫降臨の時に天津神達を案内、つまり守護したありがたい神様で、国津神。アメノウズメはその猿田彦と結婚して、その力を得たのね。つまり、余所からやってきた神様であるアメノウズメが、地元の神様である猿田彦と協力したって事なのだと思う。それで、猿楽の祖になった。猿楽は宗教的にも意味があるから、とっても霊験があるっぽい。
もし、アメノウズメを上手く演じられたら、なんかご利益があるかも!」
そうややはしゃいで言った後で、ここが図書室だと思い出したのか、奏はそれから少し落ち込んだような顔をしてからこう続けた。
「うーん、反対にあたしなんかが演じて、バチが当たったら、どうしようか?」
どうやら、図書室ではしゃいだ事を反省した訳ではなかったらしい。わたしはその奏の落ち込んだ表情を見て、“本当に可愛い!”と、そう思った。
――この子は、なんでこんなに可愛いのだろう?
思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、そのタイミングで、黒宮さんがこう言った。彼女は少し離れた位置で、何かの課題をやっていたのだけど、どうやらわたし達の会話が聞こえていたらしい。
「霊だとか神だとか、そういうのを信じているのってバカバカしいって思うわ。オカルトって嫌い」
普段から黒宮さんは温厚な印象がない人ではあるけど、その時の口調は特に辛辣なような気がした。どうやら機嫌が悪いらしい。一瞬、マナー違反をして、図書室で騒いでいたわたし達に文句があるのかと思ったが、違ったようだ。
「結局のところ、宗教とかを信じているのって頭が悪いからだと思う」
と、そう続けたから。
どうやら本当にそういった類の話題が嫌いなだけみたいに思える。そこでわたしは、彼女に関する呪いの噂を思い出した。
黒宮咲。
彼女には呪いが使えるという奇妙な噂があるのだ。本人はそもそも呪いの存在自体を否定しているのだけど、その噂はなくならない。それで彼女は何か嫌な目に遭っているのかもしれないと、わたしはそんな想像をした。
――ただ、
どんな事情があるかは知らないが、それで何の罪もない奏を傷つけるなんてわたしは許さない。わたしは文句を言おうと口を開きかけた。ところが、その時にわたしより先に、やはり少し離れた位置でそれを聞いていただろう鈴谷さんが声を上げたのだった。
「宗教は人間社会の何処にでも普遍的に存在しているわ。それを全て否定するのは、だから人間社会を否定するようなもの。それはいくら何でも乱暴だって思うけど」
彼女は本を読みながら、無表情かつ関心なさそうな顔で、淡々とそう語った。それで、黒宮さんのターゲットは、どうやら鈴谷さんに移ったようだった。黒宮さんは馬鹿にした口調で、こう言う。
「なに? あなたもやっぱり、霊だとか妖怪だとか、そういうのを信じているくちなの? そういうのが好きそうだものね。読んでいる本もさ」
いつも通り、鈴谷さんは民俗関係の本を読んでいたのだ。すると、そこでようやく鈴谷さんは顔を上げ、それからこう言った。
「私? 私は信じていないわよ。もっとも、もし、本当にあったら面白いって思ってはいるけどね。
多分、元々、私が社会科学的な興味で、こういう本を読み始めたっていうのもあるのかもしれないけど、民俗学的な知識を集めていくと、存在しないなって実感できちゃうのよ。神や霊の類が、どんな影響で成立しただとか、歴史的な変遷だとか、地域や文化による差だとかを知ると、“ああ、いないのだな”って思えてしまう。思いたくなくてもね」
それを聞くと、黒宮さんは変な顔をした。不機嫌そうなのは相変わらずだけど、少なくとも彼女の怒りはどこかへと消えたようだ。
「鈴谷さんって、どうしてそういう本を読んでいるの?」
黒宮さんには、民俗関係に興味を持っている人はオカルトを信じているという偏見がどうやらあったようだ。それで、不思議に思っているのだろう。
「面白いからよ」
淡白に鈴谷さんはそう返す。
「どんなところが?」
納得いかない様子で、黒宮さんがそう言うと、本を閉じ、それを机の上に置いてから、こう鈴谷さんは言った。
「民俗を知る事は、社会を知る事に通じる。それが面白い。はるか昔から続く風習や信仰を、現代の私達も受け継いでいると思うと、ワクワクしてくるわ」
読書を邪魔されたにしては、少しも面倒そうな様子を見せずに鈴谷さんはそう語った。しかも、そのクールなキャラに似つかわしくない発言だ。“ワクワクする”。そんな言葉を彼女が使うとは思わなかった。それこそ、偏見なのかもしれないが。黒宮さんがまた疑問を口にする。
「私達が受け継いでいる? 例えば、どんな事を?」
「そうね。例えば、コックリさん。コックリさんは稲荷信仰の影響を受けているわ。稲荷信仰というと、狐を神使とし、ウカノミタマを祀る神道系と荼枳尼天を祀る仏教系に大きく分かれると思われているかもしれないけど、それ以外にも流行神としての稲荷、屋敷神や、土地神としての稲荷と、幅が広い。そして、流行神、屋敷神、土地神としての稲荷の場合、狐は神使ではなく、むしろ信仰対象そのもののように思えるケースが少なくない。
この狐は農業の神様であるのと同時に、祟り神でもあった。元来は巫女などに憑依をし、託宣を行うのだけど、その土地が侵略されたりすれば、当然、災いをなす。場合によっては、人に憑依をして祟る。ただし、祟りを治める方法を教える為にも憑依するのだけど。
これは、その地元の人にとってみれば、ありがたい巫女の託宣の為の憑依でも、支配した側の人間にとっては祟りによる憑依となる事を意味するわ。そして、もちろん、コックリさんはこの“祟る神”としての稲荷の影響を受けている」
饒舌に、それだけの事を一気に鈴谷さんは語り終えた。それを受けて、黒宮さんは笑う。ただし、馬鹿にした感じではなかったけど。
「アハハハ。驚いた。鈴谷さんって、寡黙な印象があったけど、喋る時は喋るのね」
ま、無理もない。何しろ、わたし達も驚いていたから。
「でも、コックリさんくらいじゃ、いまいち面白さが分からないわね。それに、ほとんど役に立たないじゃない」
そう黒宮さんが言うと、少し怒ったような表情を鈴谷さんは浮かべた。
「社会を知る事は、とても役に立つわよ。この話は支配した先の土地神を、日本人が神として受け入れている事を意味する。もちろん、そのままじゃないけどね。先の唄枝さん達の話にあった猿楽の話も関係してる。神楽を観れば分かり易いけど、演劇とは元来は、宗教儀式だった。そして、その演劇を行うのは、差別されている立場の人間だった。神様に通じる立場にある人が、差別されている。
とても不可解に思えるけど、これは日本社会での祭祀の意味を知ると、分かる気がしてくる。人間に災いをなす荒ぶる魂… 荒魂を祀りこめることで鎮め、和魂とし、人間社会にとって有益な霊魂とする。日本にとって祭祀はそういった意味もあった。そして、その荒ぶる魂は、元は被支配側の神様だった可能性があるのね。だから、差別されている人達が、神様に通じる事ができた、のかもしれない。
日本社会にとって“祀る”という行為が、一筋縄では捉えられない事を、こういう話は示しているわ。
これは昨今の、靖国神社にA級戦犯が祀られている話とも関係してくる。これは日本人にとってはさほど抵抗がないけど、こういう話を知ると、その理由が分かるわ。そしてそれを知ったなら、私達の感性が、特殊である事も理解できる。なら、一部の海外の過剰な反応の意味も理解できるとは思わない?
私達とは違う感性で、彼らはA級戦犯の合祀を観ているのよ。そしてそれを理解したなら、対処の仕方も変わって来るかもしれない。もちろん、より良い方向にね。
宗教や風俗には、そういった事以外にも、社会システム上、機能的な意味を持つものも多いのよ。よくある性に対する禁忌は、人口コントロールの役割を果たしていた。種もみを捧げる儀式は、品種改良。野焼きは、作物の病害虫の駆除、とかね。霊が自然科学的には存在しないから、まったく価値がないとか、そんな単純な話ではないのよ」
黒宮さんはその鈴谷さんの再びの饒舌を受けて、肩を竦めた。どうにも、完全に彼女は怒りが覚めてしまったようだ。
「なんか、地雷を踏んじゃったみたいね」
とか、そんな事を言っている。実質、負けを認めたようなもんだろう。わたしはその時、鈴谷さんの話を面白く感じていて、だから、黒宮さんがそう言ったのを受けて、もう何も言う気はないのだろうと判断すると、それからこう鈴谷さんに訊いた。
「他にも、学校の怪談とかに、民俗の風習が影響を与えているってあるのかしら?」
それを聞くと、鈴谷さんは直ぐにこう答える。
「あるわよ。“赤い紙、青い紙”の怪談とかね。このルーツは、便所神に供える紙人形の可能性がある。この紙を供える部分が変化し、次第に妖怪化したって説があるわ。この怪談では、“赤い紙が欲しいか、青い紙が欲しいか?”って質問されるのだけど、本来は紙を供える行為だったのね。
他にも、学校じゃないけど、“スクエア”って都市伝説とか。山小屋で、眠らないようにする為に、四人が四隅にそれぞれ立って移動し、それぞれの肩を叩くという事をした。ところが、この方法だと四人目は二回角を曲がらなければいけない。だから、五人目、最後の一人は、霊だったというようなオチの話。これとそっくりの話が、山形県で“隅の婆様”という妖怪についてあるのよ。一種の降霊術でもあるのだけどね」
その説明が終わると、今度は奏がこう尋ねた。
「それじゃ、謎の女子高生“田中かえる”は?」
出た、とわたしは思った。田中かえる。いかにも河童とかの影響を受けていそうだ。すると案の定、鈴谷さんはこう答えた。
「そうね。河童の影響を受けている可能性は否定し切れない。ただ、詳しく調べた訳じゃないから、なんとも言えないけど」
それを聞いて奏は「へぇ」と、そんな声を上げる。
「蛙と河童ってイメージ近いしねぇ」
ところが、それを聞くと鈴谷さんはこう言うのだった。
「確かに蛙っぽい目撃談もあるわね。ただ、初期に現れた河童って実は猿っぽい姿をしているものが多いのよ。だから、必ずしも、水辺の生き物に繋がるとは言えない。蛙と河童が繋がるケースは少ないかもしれない」
その言葉に、奏は驚く。
「え? そうなの? 初めは、猿だったんだ」
「ええ。だから、川猿とか、淵猿とか、呼び名に猿がついているものもあるのよ。それらは河童の類なの」
その説明に、何故か奏はとても嬉しそうな顔をした。そして、
「へぇ… って事は、田中かえるは猿かもしれないのね」
と、どうしてそうなるのか分からない、妙な事を言う。実は奏は“田中かえる”が、けっこう好きなのだ。奏が嬉しそうにしているのが嬉しくて、わたしはこう言ってみた。
「そう言えば、隣のクラスの男生徒が、“田中かえる”を目撃したって噂になっているわよね」
先週末、放課後の人気のない校舎で、うちの制服ではないセーラー服を着た何者かを、その男生徒は目撃したらしいのだ。そのセーラー服を着た何者かは、男生徒に気付くと直ぐに逃げ出して、そして、なんと生徒会室に入って消えてしまった。
「ああ、あの話よね? 生徒会室に逃げ込んだのに、生徒会室にいた三谷さんは、誰も見なかったって言ったとか」
「そうそう、それ」
生徒会室にいた三谷楓という女生徒は有名人なものだから、名が出て来たのだ。ショートカットできちんとした印象の彼女は、幼い雰囲気を残しつつも綺麗で美しい“女性”も感じさせる。今年に入って、その彼女に双子じゃないかと思うレベルでそっくりな一学年下の弟が入学して来て、女生徒達がその可愛い外見に騒ぎ、元から生徒会副会長として知られていた事もあって、その姉として、彼女、三谷楓は一気に有名人になってしまったのだ。
「でも、その目撃談の田中かえるって、蛙が出て来ないのよね。蛙がいてこその、田中かえるのはずなのに」
奏は続けてそう言う。しかも、嬉しそうに。まるで、その事が嬉しいみたい。不思議に思ったわたしは、こう言ってみた。
「男生徒は蛙を見ていないけど、三谷さんは、蛙の鳴き声を聞いたって言っていたらしいわよ」
その三谷さんの証言があったからこそ、男生徒が見たのは、“田中かえる”だという事になったのだと思う。それを聞くと、黒宮さんが笑った。
「その話が本当だとすれば、田中かえるは女装した男だって事になるわね」
そして、冗談っぽくそう言う。わたしは不思議に思ってこう尋ねてみた。
「どうして?」
「だって蛙が鳴くのは、オスだけよ。メスは鳴かないじゃない」
――なるほど。
それを聞いて、もっともだとわたしは思う。田中かえるの怪談で、蛙のような女子高生が蛙のように鳴く話があるが、あれも本当はオスだったという事になる。
まぁ、真面目に考えるのも馬鹿らしい話かもしれないけど。
「蛙なんて、それほど重要じゃないのじゃない?」
と、奏が言う。それもそうかもしれない。黒宮さんは更に続ける。
「或いは、“田中かえる”の気を引こうってオスの蛙の鳴き声かもしれないけどね。蛙が鳴くのは、基本的にはメスを呼び寄せる為だって言われているでしょう?」
もちろん、冗談で言っているだけだとは分かっていたが、それでも、黒宮さんの言葉は、わたしの田中かえるに対する印象を、少し壊してしまいそうな気がした。流石、“呪いの黒宮さん”だと思う。呪いだ。これは。ま、馬鹿馬鹿しい話ではあるけども。
……この時点では、わたしはあんな事件にこの会話が結びつくだなんて、夢にも思っていなかった。ただ、奏が妙に嬉しそうにしていて、それだけが少し気になっていたけど。
彼女は何がそんなに嬉しいのだろう?
彼女のファンのわたしとしては、大いに関心があったのだ。