1-13.外伝:リフレイン ――sight of Konatsu――
壊されたドアノブを押すと扉はそのまま開き、中へ入ることができた。
小夏はここに来たままの勢いで靴を乱暴に脱ぎ捨て、中へと入っていく。
「お姉ちゃん!!」
「小春!!!」
最初に目に入ったのは、体をロープでぐるぐるに縛られ涙でボロボロになった妹の姿だった。
小夏は小春の姿を確認するや否や、小春に飛びついた。
「良かった……本当に……良かった」
「ごめんなさい……ごめんなさい!! でも、お兄ちゃんが……お兄ちゃんが!!」
小春の顔を自分の胸にギュッと押し付けながら周りを確認してみる。
傍には黄色の光を点滅させながら寝転がっている人間が3人。
尾ノ崎と、麻莉亜と……海人の姿があった。
「お兄ちゃんごめんなさい! お姉ちゃん、ごめんなさい!! 私……私!!」
「…………」
涙を流して自分と海人に謝り続ける小春の顔を、更に強く自分の胸に抑えつけた。
大丈夫、大丈夫、と囁きながら。
小夏が小春を縛るロープを解くと、小春は一目散に意識を落としている海人と麻莉亜の手を取った。
そして小春は2人の手をまとめるように合わせ、それを自分の両手で包み込んで祈り始めた。
「負けないで……お兄ちゃん……麻莉亜さん……お願い! 神様……お願いします!」
「……大丈夫。麻莉亜がついてるんだから」
そう言いながらも小夏は、小春の手の上に自分の手を更に重ね、心を込めて2人の無事を祈った。
途中で蓮華も駆けつけ、海人と麻莉亜の無事を祈る人数は更に増えた。
祈り続けている間は、小春の鼻をすする音だけが聞こえてくる静かな間が続いた。
それぞれ、色々なことを考え、緊張していたのだろう。
小夏も万が一のことを考えると、自分もおかしくなりそうだった。
それでも今ばかりは海人と麻莉亜の勝利をずっと信じ続けたのだった。
時間にすればそれほど長い間ではなかったのだが、小夏にとっては非常に長い時間に感じられた。
このまま永遠に海人は目を覚ますことはないのではないかというくらい、それは長かった。
それだけ待ち続けると、不意に床に転がる面々から一斉に黄色の光がふっと消えた。
それを見て祈り続けた3人がハッとなると、海人は目を開いて意識を取り戻す。
「お兄ちゃん!? おにいちゃーん!!」
体を起こそうとする海人に、小春が物凄い勢いで抱きつくものなので、海人は小春に押し倒されてしまう。
「結果は……?」
小夏は海人の顔を見て、恐る恐る聞いてみる。
海人は押し倒されてあわあわしながらも、その小夏の声に気がつくと、顔を小夏の方に向けて一瞬の間をおいた後、いたずらな感じでニコッと笑ってこう答えた。
「お兄ちゃんは、負けないんだな」
そんな海人の無邪気な笑顔を見ると、小夏は色々とこみ上げてくるものを感じて、体がじわりと熱くなった。
何でか分からないが、体がガクガクと震えてくる。
今まで何時間も全力で走り続けてきた疲労もあるのだろうか、突然体が崩れるような感覚に陥った。
**********
「小春ーー!!」
妹が崖から転げ落ちていく姿を確認するや否や、小夏はその場を駈け出した。
しかし、足場は下り坂になっている上に非常に良く滑った。
小春を助けたいと思う一心で駈け出したが、すぐに足を取られて躓き、自分もまた小春と同じように地面を転げまわってしまった。
「!!」
「小夏っ!!」
頭をぶつけ、肩をぶつけ、足をぶつけて地面を転げまわった。
痛い。
世界が回る。
小春を助けなければならないのに、体は自分の意志とは無関係に加速して坂を下っている。
このまま死ぬんじゃないかと思ったが、体に大きな衝撃がきたと同時に、世界が回るのは収まった。
「…………」
大丈夫だ。
生きている。
途中で木にぶつかって、何とか死は免れたようだ。
でも小春が危ない。
何とか体を起こして助けに行かなければならない。
痛む体に鞭を打って立ち上がろうとするが、全く体に力が入らなかった。
「たす……けて……」
もはや小春どころではない。
自分の体も尋常じゃなく痛い。
思うように動かせない自分の体に絶望した。
頭もクラクラしてくる。
もう、自分はこのままここで死ぬんだろうと思い、小夏はそのまま意識を落とした。
海人と小春の名前を口にしながら――。
「おねえちゃん!! おねえちゃーん!!」
「気がついたか!! 大丈夫か、痛いところはないか!?」
「…………」
気が付くと小春が飛びついてきた。
海人が心配そうな顔をして顔を覗きこんでいた。
2人共無事だったことが確認できると、小夏は安堵の息を漏らした。
2人の無事に安心すると、小夏は立ち上がって自分の無事をアピールしようとする。
しかし、立ち上がった瞬間に体が崩れ落ちた。
「おっと」
それを海人が腕を掴んで支えてくれた。
片足に力が入らない。
海人に支えられながらも、もう片方の足で何とか立ち上がる。
「ダメそうだな……。よし、乗れ!」
そう言って海人はしゃがみ、背中を自分に向けて乗れと促してくる。
しかし、小夏は素直に海人に体を預けることに戸惑った。
小春はもちろん、海人の体もボロボロだったのだ。
海人の服はあちらこちら破けている。
靴は泥だらけでぐちゃぐちゃ。
至る所に擦り傷ができており、血も見えた。
自分よりも、小春よりも一番海人がボロボロになっているように見えた。
こんなボロボロの状態の海人に体を預けてしまったら、海人が動けなくなってしまう。
「でも……海人が……」
「いいから乗れよ! 歩けないんだろ? 俺がおんぶしてってやる!」
海人はそう言ってこちらに顔を向け、にこっと笑った。
「おねえちゃん!! おにいちゃーん!!」
「ほら、小春! 泣くなよ! もうお兄ちゃんが来たから安心だろ!?」
小春が泣き叫ぶと、海人は一旦小夏を座らせて、小春をあやし始めた。
あんなにボロボロになっているというのにも関わらず、海人は笑顔で小春を掴み、高い高いをしている。
脇腹をくすぐられたのか、小春は泣きながらもケタケタ笑い始めた。
「よーし、小春は強い子だ! もう大丈夫! 喉乾いてないか? 腹は減ってないか?」
「うん。大丈夫!」
「よし、それじゃあ、帰るぞ!!」
そう言って海人は再びしゃがんで、小夏に背中を差し出した。
「ほら、乗れよ! 歩けないんだろ」
「…………」
そんな海人を見て、小夏は全ての体重を預けた。
少年は、強かった。
最初から最後まで、一言も弱音は吐かなかった。
途中で何度も足を踏み外して転げたが、その全てで小夏を庇うような転げ方をしていた。
そのせいで少年は頭を強く打つこともあった。
少年の足はボロボロ、体もガタガタ震えていた。
それでもすぐに起き上がっては「すまんすまん」と小夏に謝り、再び背中を差し出してくる。
途中で何度も休憩を挟んだ。
その度に少年は小春に高い高いをしてあやしていた。
小夏には「疲れてないか? 痛いところはないか?」と声を掛けてきた。
誰がどう見たって、言ってる本人が一番ボロボロになっているというのに。
そしてしばらく休憩を取ると、決まって何も言わずに小夏に背中を差し出してきた。
「海人……足が……」
どうも海人の様子がおかしい。
さっき転倒してから足を片方引きずるような感じで、歩き方が普通ではなくなっていた。
「大丈夫だって。俺がこんなことで……はぁ……はぁ……負けるわけ……ないだろ?」
「海人……」
海人はそう言ってにこっと笑う。
そんな海人を見て小夏は思った。
この人なら大丈夫だ。
この人に任せていれば、安心だ。
何度倒れても立ち上がり、大丈夫だと顔を上げてくれるこの人なら、自分も小春も助けてくれる。
そう思った小夏は安心して自分の全てを少年に託すのだった。
**********
ふと目が覚めた。
隣には小春の姿がある。
「…………」
ぶるぶると震える小春をなだめているうちに、どうやら自分も眠ってしまっていたようだ。
海人はあの戦いの後、倒れた。
元々風邪を引いていて、体調も優れない状態だったようだ。
麻莉亜は『後始末はお願いします、何かあったらいつでも連絡下さい』と小夏に言った後、海人を背負って尾ノ崎の部屋から飛び出して行ってしまった。
部屋に残された小夏は、尾ノ崎の様子を見てすぐに小春と蓮華をこの部屋から出るように指示した。
尾ノ崎は苦しみ、もがきながらも「私は無能ではない」と言葉を残した後、血を吐いて絶命。
しばらくするとこの部屋に無機質なアンドロイドが突然やってきて、尾ノ崎の遺体を回収していった。
小夏はそんな様子を見て一息つきながらも、これからもこんな事件は続いていくのだろうと、この世の行く先を憂慮したのだった。
小夏は小春、蓮華と合流すると、そのままの足で海人の家へ行って海人の看病をした。
それも終わると蓮華とは別れ、小春とともに家に帰った。
しかし、小春の様子がおかしい。
本人は何でもないように振舞っているのだが、時折震えたり目に涙を浮かべたりする様子は、長年付き添った姉の目を誤魔化すことはできなかった。
エボル出現以降、めまぐるしく環境が変化し、たくさんの悲しみを真正面から受けていた。
それもようやく落ち着いてきたと思ったら、今度は心に深い傷を残すような事件に巻き込まれた。
小春の話を聞くに、乱暴されたことはなかったようだが、信頼していた教師に裏切られ、逃げることの出来ない恐怖と絶望を味わい、自分のせいで大好きな海人を命の危険に晒したことに、相当なショックと責任を感じたようだ。
小春の心が不安定になるのも無理はない。
しばらくは小春の心のケアに努めなくちゃいけないと思い、小夏は出来るだけ小春の傍にいて毎日話し相手になった。
そうしているうちに海人の病状も回復し、今度は海人も麻莉亜も小春の心配をして、九条家に足を運んできてきてくれたのだった。
小夏は静かに寝ている小春をそのままにして、一旦布団から出た。
そして今度は眠ってしまわないようにカフェインでも取ろうとリビングへと足を運んだ。
「…………」
「……起きてたのかよ」
リビングに足を運ぶと、そこには海人の姿があった。
海人は割れた窓を取り繕う為に張ったダンボールを剥がして、そこから外を眺めているようだった。
小夏の足音に気がつくと、海人は振り返ってこっちに顔を向けてくる。
「お前、全然寝てないんだろ? しっかり休んでおけよ」
「……小春はまだ、突然体を震わせたり、泣きだしたりする。小春が不安になった時、私が寝てたら更に不安に思う」
「だからクソ真面目だって言うんだよ。小春も子供じゃねぇんだし、それくらい頑張れるだろ。お前が無理して体調崩した方が悲しむと思うぞ?」
「……私は大丈夫だから」
「良いから寝てろよ。夜は引きこもりの時間なんだぜ?」
「……馬鹿じゃないの」
そんなことを言いながら、小春は台所に行って自分用にコーヒーを、海人にはよく眠れるようにホットミルクを用意した。
「お前の家も……こんなになっちまったんだな」
「…………」
「俺、全然知らなかった。実家には行ったけど、九条家を見ることもなく帰っちまったからな」
「…………」
海人は割れた窓を覆うダンボールを元に戻しながらそんなことを言ってくる。
小夏は海人のそんな言葉に、色々と思いを巡らせながら用意した飲み物を差し出した。
海人は飲み物が出されたことに気がつくとテーブルに寄り、出されたカップの位置を入れ替えて、さっさとコーヒーの方に口をつけた。
「俺が逃げ続けた現実は、いつの間にかこんなことになっちまってた」
「…………」
海人は椅子に腰を下ろし、家中の窓に張り巡らされたダンボールを見ながらそう呟く。
「俺は小夏が酷い目にあってる、小春が酷い目にあってるって知り得たはずなのに、ずっと目を反らし続けていたんだよな。すまなかったな、小夏」
「…………」
海人がようやく小夏に顔を向けて謝る。
「少しは現実見れた?」
「あぁ、お前のお陰で。代償は大きかったけどな」
「小春は……あんたのお陰で大丈夫。こうして来てくれたことも、小春にとっては良い薬になっていると思うし、時期に良くなるから……心配しないで」
「……そっか。ありがとうな」
海人は少し口元をほころばせてそう呟く。
「何?」
「いや……俺にも小春を心配する資格があるって認めてくれたかな……って思って」
「…………」
海人は少し遠慮がちな笑顔で、小夏の顔を見てきた。
それを受けた小夏は少し考えた後、嬉しそうな顔をしてこう答えた。
「ダメ」
「まじか!? これでも命張ったんだけど!」
「……全然、ダメ」
――――だって、自分の見た憧れの人はこんなものじゃなかったのだから。
「そっか。んじゃ、これからは信用を取り戻せるように頑張らねぇとな」
「…………」
海人はにこっと笑ってそう言った。
この様子なら小夏の言葉の裏は、表情で読み取ったのだろう。
「今更なんだけどさ……俺、学校に行こうかなって。俺は……小春が心配なんだ。もちろん、お前も。昔っから。俺のせいで事件に巻き込ませちまうようなことばっかだったけどさ、周りを見ないで突っ走るお前と、泣きじゃくる小春がいっつも心配だったんだ。それを思い出した」
「……今更すぎる。ホント、ダメ男」
「厳しい!」
「でも、もう大丈夫だから。私も小春も子供じゃない。十分2人でやれる。あんたにはこうして来てくれたことにも感謝してる。だから早く休みなさい。学校行くんでしょ?」
「……まぁ、次の休み明けくらいから」
「……全く。明日やるやる詐欺じゃないの。もう、あんたのことは信用しない」
「待った待った! それを判断するのは、休み明け学校に行かなかった時にしてくれ。有限実行、明日やりましたオッケーっつーことで……」
「いいから寝ろ」
そう少し力を込めて言うと、海人は「はいはーい」と適当な返事を返して、コーヒーを飲み干す。
そしてそのままこっちの様子をちらちら伺いながらも、この部屋から出て行った。
「……ありがとう、海人」
海人が部屋からいなくなったのを確認すると、そう小さく力を込めて漏らす。
小夏は嬉しかった。
小春が無事だったこともそうだし、少しでも自分の苦しみを理解してくれる人ができたこともそう。
しかし、それよりもグズッていた腑抜け人間から昔憧れていた人の影をかすかに感じ取ることができたことが、何よりも一番嬉しかった。
小夏は一息ついて、ミルクの入ったカップに手を付ける。
「…………」
しかし小夏はしばらく考えた後、カップに付けた手を元に戻した。
まだ全てが片付いた訳ではない。
これからも自分は戦っていかなくてはいけないんだ。
海人に頼りきるのではなく、自分で両親の仇を取らなければいけないんだ。
小春をこれからもこの危険から守りきらなくてはいけないんだ。
やらなければならないことはまだまだ山積みの状態。
だからここで休んでいる訳にはいかなかった。
小夏は海人の飲み終わったカップを手に取り、台所に戻ってコーヒーを入れなおした。
そしてそれを一気に飲み干し、これからも戦い抜いていく決意を固めたのだった。
「……にがっ」
一章 引きこもりのお兄ちゃん、出撃ス ―― 完 ――
【NEXT】
二章 海人、恋をする
→哀愁の過去と複雑な現在
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すんません。
以降項番が大変なことになっていますが、気にしないでください。
二章は改稿ではなく推敲していこうと思っているのですが、その時に直していきます。
15.06.20 若雛 ケイ