1-9.エボルの生み出した悪魔
賢明に走った。
電車を待つために突然走るのをやめた時、急に世界が回って床に崩れ落ちてしまうほど、全力で。
体調が悪かったと思い出したのは、その時だった。
それでも俺は電車から降りると、再び持っている力を振り絞って走っていった。
今まで引きこもっていた罪を、小夏や小春を無視してきた罪を清算しようと思った訳じゃない。
小春が待っているから。
きっと小春が、俺のことを待っているから。
小春が泣きながらお兄ちゃんと叫んでいるに違いないから。
あの時と同じように。
出発してから2~30分。
やってきたのは閑静な住宅街の中にある、ぼろっちいアパート。
表札には確かに『尾ノ崎』とあるので、ここで間違いはないだろう。
外から見ればその部屋には電気がついていたので、中に尾ノ崎がいることは間違いない。
ドアに耳を付けて中の様子を探ってみるが、特に何も聞こえてこなかった。
麻莉亜は『確証が持てない』と繰り返していたし、ここは少し慎重に行ったほうがいいだろう。
怒りに任せて怒鳴り込んだ挙句、尾ノ崎じゃなかったら大変なことになる。
俺は落ち着いて部屋のインターフォンを押した。
もちろん何かあった時の為に、麻莉亜への緊急通知オブジェクトは宙に出して、いつでもヘルプを出せる状態にしておいた。
「すいませーん、ちょっと数学のことで質問が……」
中からの返事が返ってこなかったので、再度言葉を添えてインターフォンを押してみる。
しばらく中からの反応はなかったが、何度かインターフォンを押しているとドアは開いた。
「なんだ、七原か。丁度いい。来なさい」
「あ、はい。お邪魔します……」
中から出てきたのはハゲ散らかしたチビのおっさん。
別になんてことはない、普通の表情で俺を出迎えてきた。
用心しながらも家の中へと入って行くと、不意に尾ノ崎はアパートのドアにガチャリと鍵をかける。
「……最近怖いからな。七原も気をつけるんだぞ?」
「…………」
緊張しながらも中へと入って行くと、驚愕の光景を目の当たりにすることとなった。
「――――っ!!」
「小春!!!」
狭っ苦しい居間には全身ぐるぐる巻きに拘束された小春が、涙をボロボロ流しながら俺の方を見てジタバタしていた。
小春は腕も足もロープで縛られていて、身動きが全く取れていない。
口にもガムテープがされており、喋ることが一切できていなかった。
着ている制服にも乱れがある。
そんな悲惨な小春の姿を見ると、小春がまだ生きていたという安心よりも、こんな目に合わせたという怒りの方が先に来た。
「紹介しよう、私の奴隷、九條だ」
「てめぇーーー!!!」
尾ノ崎のそんなにたにたした感じの声が聞こえてきた瞬間、俺の中の何かが爆発を起こした。
俺は勢いに任せて尾ノ崎の胸ぐらを掴みあげ、壁にドンと押し付ける。
「ふざけやがって!! てめぇ今直ぐここで警察呼んでやろうか!? あぁ!?」
「おい、落ち着け七原。教師に対する態度じゃないぞ。そんなんだからエボルなんて作ってしまぐっ……げほっげほっ」
相手がしゃべっている途中、首を絞めるように掴んでいた胸ぐらを思い切り突き上げた。
もう我慢の限界だ!
すまん小春!!
暴力をふるってしまう馬鹿なお兄ちゃんを許してくれ!!
こいつだけはぶっ飛ばしてやらないと気がすまないんだ!!
そう思って拳を振りかざした瞬間、俺の視界にIPが現れた。
それを見て、振り上げた拳は止まってしまった。
『クライシスゲーム ゲームを制する者 格闘家Lv8 から 真剣勝負:強制戦闘 を 申し込まれました。この勝負は拒否できません。 3:00 以内に安全な場所へ移動して下さい』
「強制だと……?」
「いやぁ、いい経験値がやってきてくれたよ、七原。ひとりひとり見つからないように殺るのは大変なんだ、有り難い、有り難い」
そのIPの他に『アシスト要請』というIPも浮き上がり、同時に『マリア 剣士Lv7』というオブジェクトも浮かび上がった。
俺は迷わず振り上げた拳でそのまま『マリア』のオブジェクトを握り潰し、麻莉亜にアシストの要請をする。
「お前が犯人だったんだな?」
「そ。習志戸も大曽根も波止場も、ぜ~んぶ私。あいつら弱かったからあんまり経験値にならなかったけどね」
「波止場だと!?」
他の生徒は名前くらいしか知らなかったが、波止場だけは顔が思い浮かんだ。
俺の知らない間に波止場も殺されたというのか!?
そう話す尾ノ崎の表情からは罪悪感なんてものは微塵も感じられない。
エボルの作る世の中は、黒波だけではなく、こうして尾ノ崎までをも狂わせているんだと知った。
恐らく、黒波や尾ノ崎もほんの一例に過ぎないのだろう。
「あ、九条は素直だし可愛いからね。特別だよ? これから私と一緒に同棲するんだ」
「てめぇ何考えてやがんだ!! 殺人だぞ!?」
「殺人? 七原、そう言えばお前人の話はあまり聞かない奴だったなぁ。エボルの話を聞いていなかったのか? ゲームによる勝者は一切の罪を問われないんだよ」
尾ノ崎は気持ちの悪い笑みを浮かべながらそんなことを言ってきた。
そんなふざけた言動を平気で取る尾ノ崎に心の底から怒りがこみ上げてくる。
俺は怒りに任せて再度、尾ノ崎の胸ぐらを両手で掴みあげた。
「ふざけてんじゃねぇぞ!! そんなのがまかり通るとでも思ってんのか!? あぁ!?」
「おぉ、怖い、怖い。これだから暴力的な無能は困るんだよ。まかり通るに決まってるのが分からないのかなぁ。これが現実なんだよ? お前が何を言おうが、これが現実。お前のような口だけで暴力的な無能は排除されるべきなんだよ。それが今の世界。分かる? あ、馬鹿には分からないか」
「てめぇーーーー!!!!」
「――――――――っ!!」
俺が再度思い切り尾ノ崎を壁にぶつけると、後ろから唸る声が聞こえてきた。
小春の声だ。
俺はハッとなって後ろを振り返る。
するとそこには涙を流しながらも俺に向かって何かを必死に訴えている小春の姿があった。
俺はそれを見て一瞬冷静になり、尾ノ崎を掴んでいた手を離す。
そしてそのまま小春の傍へ近寄り、腰を落とした。
改めて見る小春は制服も乱れており、顔も涙でくしゃくしゃ。
そんな小春が、本当に気の毒だ。
でも、もうお兄ちゃんが来たから安心だ。
俺は小春を安心させようと、いつものように優しく頭を撫でてやる。
「すまなかったな、遅くなって。すまなかったな、怖い思いをさせちまって。でも、もう大丈夫だ。お兄ちゃんが助けてやるから、安心するんだぞ。お兄ちゃんがあんな奴ちょいちょいっと捻り潰してやるからな! それまでもうちょっとだけ、我慢しててくれよな」
「――――っ!!」
俺がそう声をかけるも、小春は口をもごもごと動かし俺に何か訴えようとしていた。
多分、危険だからやめてとか、そんなことだろう。
小春はいつだって優しい子だ。
ふとIPを見てみる。
試合開始まで後1分30秒を切っている。
強制戦闘だ。
これで負けたら……死ぬ。
でも、全然大丈夫だ。
クズのような俺ならともかく、何でこんな良い子がこんな怖い目に合わなきゃいけないんだ!
小春の味わった恐怖を思えば、俺がこいつとやり合うのなんて何も怖くない。
「九条は幸せだなぁ。こんなに強い男がこれからはいつでも傍で守っててくれるんだからなぁ」
「てめぇ……いい加減にしろよ? 試合前にここで俺に殺されたいか?」
「そうしないと七原死んじゃうもんなぁ。でも、現実は見ような? 今ここで私に危害を加えたら重大なペナルティ。万に一つ私に勝てたとしても、その後クライシスに殺されちゃうでしょう。どの道、七原はここで死んじゃう運命なんだよね、残念ながら」
「やってみないと分かんねぇだろうが!! 負けて吠え面かくんじゃねーぞ!! あ、負けたら吠え面かく暇もねぇか!!」
大丈夫だ。
威勢よく真剣勝負なんて仕掛けられたが、相手は相当不利な条件での戦闘になる。
俺も何だかんだで麻莉亜のレベル上げを見学したり、攻略法を教えてもらったりしてレベルも4だ。
アシストも通知したことだし、しばらくすれば麻莉亜も駆けつけてきてくれるはず。
勝ち目はある……よな?
IPに表示されている相手の職業とレベルを確認してみた。
格闘家Lv8と表示されている。
俺は今弓兵のLv4。
……あれ?
このクライシスゲームには、ゲームの『手』と同じように職業にも相性がある。
レベル1になって就ける職業は剣士、格闘家、弓兵の三種類なのだが、それぞれの職は得意な武器を剣、拳、弓としており、それぞれに対応したステータスが上がる仕組みになっているんだ。
俺は麻莉亜から『自分とは違う職業に就いた方が二人で取れる戦略の幅が広がる』というアドバイスを貰ったので、麻莉亜が就いている剣士以外の弓兵を選んだ。
その弓兵と相性が悪いのが格闘家。
俺は弓兵のパッシブスキルによって弓の攻撃力があがっているが、相手は弓に勝てる拳が強いんだ。
職の相性という時点で既に尾ノ崎に負けている。
しかも相手は問題のレベル5を越して8だ。
レベル5以上の相手とレベル差以上の戦力差があることは、十分に麻莉亜から聞かされている。
この戦いは尾ノ崎からの強制戦闘とは言え、そのハンデや戦力差を含めても対等かもしくは俺が不利という状況になっていると感じた。
でも関係ない!!
小春をこんな目に合わせたコイツだけは絶対に許さない!!
何としてでもその報いを受けさせてやる!!
「さぁ、私はいつでも準備OKだよ。七原が戦闘開始の確認をしたら、早速始めようじゃないか!」
「…………」
相手はそう言って俺を急かしてくる。
しかし焦る必要はない。
麻莉亜が到着するまでにまだ時間がある。
じっくりと時間を使ってやろうじゃないか。
俺はそんな尾ノ崎の言葉を無視して、小春の口を塞いでいるガムテープをゆっくり、ゆっくり剥がしてやった。
「ごめんな、ちょっと痛いけど我慢してな」
俺がガムテープを外してやると、小春は直ぐ様俺に言葉を掛けてきた。
「お兄ちゃんダメ!! 逃げて!! 先生、私何でもします! 先生と一緒に暮らします! だからお願いします、お兄ちゃんだけは助けて下さい!!」
小春は泣きながらも必死でそう訴える。
「止めろ小春!! 俺が絶対にそんなことはさせない!!」
「九条は優しいなぁ。なぁ? 七原。お前、お兄ちゃんとか呼ばれてるのか」
「そうだ。俺は小春のお兄ちゃんだ。小春は優しいだろ? 可愛いだろ? 俺の自慢の妹だ。そんな妹がこんな目に合わされて、黙っていられるお兄ちゃんがいてたまるか!! 尾ノ崎!! てめぇにはこれ以上小春に指一本足りとも触れさせねぇぞ!!」
そう言って、俺は小春の前に立ちふさがり、尾ノ崎を牽制する。
それでも尾ノ崎はにたにた笑いながらゆっくりとこっちににじり寄ってきた。
「九条は先生の言うことを聞く、良い子だもんな。叫んだりしないよな?」
「はい……だから……お兄ちゃんはどうか見逃して下さい。お願いします、お願いします!!」
「でも、残念だけどこれ、キャンセルできないんだよね……あぁ、残念だ。すまんなぁ、九条」
「そんな……どうして!? どうしてこんなひどいことをするんですか!? お兄ちゃんは……お兄ちゃんは……」
小春は必死に尾ノ崎に顔を向けて訴え続ける。
その小春の気持ちが本当に嬉しかった。
俺は涙を拭うことも出来ない状態の小春の顔に指を当て、優しく親指で涙を払ってやった。
「泣くな、小春。お兄ちゃんは大丈夫だから。お兄ちゃんは死なない。お前を残して死んだりするもんか。でも、人殺しになっちまうお兄ちゃんを、どうか許してな」
「いや……いやぁーーー!! おにいちゃーーーん!!」
「叫ぶなっつってんだろうがぁ!!!」
小春が絶叫したかと思うと、すぐに尾ノ崎がキレて蹴りを入れてきた。
それが俺にも小春にも当たり、小春は床に転がされてしまう。
はい、キレた。
もう絶対許さない。
ぐっちゃんぐちゃんのべちゃべちゃにしてやる。
冷静さを失った俺は、麻莉亜のアシストのことも忘れて残り時間を確認することもせずに、戦闘開始の確認をした。
これで尾ノ崎の意識もVRだ。
これ以上小春に悪さは出来まい。
――勝負っ!!
【Next】
→後悔
【Tips】
レベル5になった際以下のボーナスがつく
・HPが+1される(通常のレベルアップ分を加えれば+2)
・新しくSSを取得でき、デッキに乗せるSSの数も3枚から4枚に増える
・通常のステータスボーナスに加えてHP+7もしくは剣拳弓のいずれかのステータス+3のボーナスを選んで取得できる