0-1.プロローグ1
昼間の喧騒が嘘だったかのように静まり返った夜。
俺は敢えて人目に付かないこの時間を選び、久々に実家へと続く道を歩いていた。
一緒に来た麻莉亜は昼間の件が終わるとすぐに実家へ戻ろうと提案してきたのだが、俺はそれを頑なに断った。
騒々しい時間帯は、人目が気になる引きこもりにとって死の世界だから。
……いや、こうなってしまっては、もはや死の世界というのも比喩ではない。
昼間に来ていたら冗談でも何でもなく、俺も麻莉亜も殺されていただろう。
色々な『最悪』を想定しながら一歩一歩道を進んでいく行く。
俺はもちろんだが、隣を歩く麻莉亜も緊張しているのか、出発してからずっと無言だった。
実家は泥棒の目に止まれば狂喜乱舞する程の結構な豪邸。
両親は留守のはずだが、その間もアンドロイドのオールスとジーソックがしっかりと留守を預かっているはず。
こんな事態になったとは言え二人がいる限りは大丈夫だと、俺はここに来るまで不安をかき消すようにそう何度も思い返した。
しかし、入り口の大きな門が見える位置までやって来ると、小さくしようと押し付けていた不安は大きく膨れ上がり、最後には爆発してしまった。
門のすぐ傍で地面に転がる1体のアンドロイド。
間違いなく、掃除が大好きなおっさん型アンドロイドのジーソックだ。
まず最初に目に入った『最悪』は、まるで乱暴に投げ捨てられたかのようにあらぬ方向を向いているジーソックの頭部だった。
……まぁ、何となく予想はしていた。
麻莉亜もきっと、ある程度のことは覚悟できていただろう。
俺はそれを確認するとこの現実から目を背けるように下を向いたが、隣を歩いていた麻莉亜はそれを見つけるなり、凄い勢いでダッと駆け出していった。
麻莉亜はジーソックの前で立ち止まると、ゆっくり膝を折ってその場でしゃがみこんだ。
そして、優しく抱きあげるように無残な姿のジーソックを拾い上げる。
俺もそんな様子を見ながら、麻莉亜に続いてジーソックの元までゆっくりと足を運んだ。
ジーソックの姿を改めて近目で確認する。
彼の頭は胴体から引きちぎられ、首から導線を垂らしていた。
胴体はすぐ傍に転がっていたのだが、彼が着ていた執事用の制服もボロボロだ。
長年俺の元で楽しそうに掃除をしていたジーソックの姿からは想像もつかないような哀れな姿だ。
それを見た俺は言葉を失ってしまった。
麻莉亜はそんな変わり果てたジーソックを見て、同じアンドロイドとして何か思うこともあったのだろう。
今はただただ悲しそうに、ジーソックの頭部を優しく抱え込んでる。
俺は何とも言えない思いを抱きながらも、そんな彼女をその場に残して門の中へと入っていた。
「…………」
庭は荒らされた跡がある。
窓ガラスはバリバリに割れている。
家の外壁には至る所にスプレーで落書きが書かれている。
久々に見た実家は、俺の知っている実家ではなくなっていた。
麻莉亜の提案でこうして実家に来ることになったのだが、やはりこの選択は間違っていた。
大人しくいつも通り自宅に引きこもっていれば良かった。
そうすれば今頃は全てを忘れて、いつも通り家で楽しくゲームでもしていたことだろう。
そうすれば、俺もこんな現実を突きつけられて絶望することもなかっただろう。
この静かな闇夜の中、俺は呆然と変わり果てた世界を目にしていた。
この惨状を見ても、決して信じたくはなかった。
人類がアンドロイドに支配されることなんて、あるはずがないんだ――。
放心しながら荒らされた実家を眺めていると、不意に実家の中から人影が出てきた。
こんな夜更けに荒らされた豪邸の中から出てくる人影。
もうこんな状況だ。
泥棒が出てこようと、首謀者のアンドロイドが出てこようと驚かない。
その人影は俺に気が付くと、臆することなく俺の方に近寄ってくる。
何をされるのかと身構えようとするのだが、今の俺にはそれを警戒するだけの『心』がなかった。
人影は苦笑いを浮かべながら俺の隣までやってきて、足を止めた。
「ひどいもんだよね……」
「…………」
その人はふぅとため息をついて、豪邸を眺めながらそんな言葉を漏らす。
見た感じ、見つかった口封じの為に殺すとか、そんなことをしてきそうな雰囲気ではないが……。
話しかけてきたのは40前後くらいのおっさんで、白衣を着ていた。
もしかしたら七原研究所の関係者かもしれない。
……いや、そんなことはあり得ないか。
手には鞄を持っているが、何か実家の物を盗んできたという訳ではなさそうだ。
「悪いのは七原博士そのもので、家やメイドは関係ないっていうのにねぇ」
「……あんた誰だ?」
俺はおっさんの言葉を聞いて、抜けていた魂をようやく自分の中に戻し、久しぶりに言葉を発する。
怪しい格好をしている訳ではないし、俺の実家を荒らした様子もなさそうだが、やはり勝手に中に入り込んでいたというのは気分が悪い。
俺がそう聞くと、おっさんは少し慌てて手に持っていた鞄を地面に置き、両手を広げて見せた。
「ごめんごめん。別に物盗りとかそういうんじゃないんだ。一応、国から許可を貰って七原博士の自宅を捜査させてもらってる者だよ」
「…………」
「あ、ほら、エボルだっけ? あのアンドロイド。あいつの設計資料とかあれば、この状況を何とかできるかもしれないから。こう見えても私はアンドロイドの研究に携わっている者でね……一応聞くけれども、君、アンドロイドじゃないよね?」
「…………」
おっさんがそう聞いてきたので、俺は露骨に嫌な顔をして首もとを見せるように自分の洋服を引っ張った。
人型アンドロイドには、『レッドライン』と呼ばれる赤い印を首元に付けなければならないという義務が現行制度では課されている。
今は技術の発展もあって、人型アンドロイドでも本物の人間と見間違えるくらい精巧なものがたくさん世に出回っている為、一目で人間と区別できるように課された制度だろう。
一応レッドラインを隠すような服やアクセサリを付けてはならないという決まりもあるので、首元が隠れる服を着ている場合は暗黙的に人間だと分かるはずなんだけれども。
……うちの麻莉亜に限っては例外だが。
「いや失礼。私もこういう立場だから、エボル側のアンドロイドに狙われるんだろうなぁなんて、移動中に考えていたんだ。ところで、君は何でここへ?」
「……ただの野次馬」
少し考える間を置いた後、おっさんの問いにそう答えた。
七原の名は少し前まで世に知れ渡った誇り高いものだったが、今となってはご覧の通り人類の敵だ。
俺が七原重蔵の息子だと知れれば、何を言われるか分かったものではない。
下手すればこの場で殺されてしまうかもしれない。
だからこうして人目の付かない夜に来ている。
このおっさんは手荒なことをする感じではなさそうだが、それでも無意味に素性を明かす必要はないと考えた。
俺がそう返事を出すと、おっさんは少し苦笑いを浮かべた。
「私が言うのも何だけど、あまりそういうことはするもんじゃないよ。気持ちはよく分かるけれども、人様の家なんだから……」
「…………」
人様の家……俺の家だ。
俺の家に勝手に入って物色するな……と、言いたい衝動をこらえた。
「七原博士は確かに最悪の物を生み出してしまったけれども、彼はそれまで人類に大きな貢献をしてきた訳じゃない。それなのに、この仕打ちだもんね」
「…………」
「それに、実は彼自身も被害者なんじゃないかって私は思っているんだよ。まぁ、それ以前にこうして家やその従事者に危害を加えるのは論外だよね」
「ちょっと待って、それはどういう意味だ?」
「え? う~ん……」
このおっさんの言う『彼自身も被害者』という言葉に少しひっかかったので聞いてみる。
この状況は、誰がどう見たって俺の親父は加害者……というか、諸悪の根源だ。
息子の俺ですらそう思うのに、親父に少しでも擁護の余地があるならその意見も聞いてみたい。
「まぁ、その辺りは色々調べてみないと分からないけれども。それじゃ、私はこれで……」
「…………」
おっさんは俺の質問に答えることなく、地面に置いた鞄を手にとって歩き始めた。
俺は是非おっさんの『親父は被害者説』を聞いてみたかった所なのだが、もう、そんなことはどうでもいい。
どうせロクな話じゃないと思う。
世の中をこんな状況にした張本人に対して世間は怒り狂っている。
今更何をどう擁護しても焼け石に水だ。
振り返っておっさんの歩いて行った方向を見てみる。
おっさんは門の傍でジーソックを抱える麻莉亜にも何か言葉をかけていた。
麻莉亜はそんな声にピクリとも応じていなかったが、おっさんの方はそのまま門の外へ出て暗闇の中へと消えていった。
ここに来たことで現実は思った以上に最悪の状態にあると十分把握できた。
これ以上の現実は見たくない。
だから外は嫌いなんだ。
もう、金輪際外には出ない。
家の中に充実した環境がある引きこもりは、引きこもりらしく家の中から出るべきではないんだ。
俺は少し外観を確認すると、すぐに麻莉亜に帰ろうと促して実家を後にした。
「…………」
「………………」
極限まで沈んだ空気を引きずったまま麻莉亜と共に自宅に戻ってきた。
俺は自宅に戻ると、直ぐに布団をかぶって眠りに入る努力をした。
外界のからの情報を防ぐバリアを張るかの如く。
全ての記憶を葬り去るかの如く。
全てを忘れようとしたのだが、どうしても今日の出来事が頭に浮かんできてしまう。
それを思い返しているうちに、俺は自然と涙を流していた。
何を悲しんだ結果の涙なのか、自分でも理由は分からない。
両親の死、オールス、ジーソックの死は悲しい。
悲しいけれども、ここ最近はほとんど顔を合わせていなかった。
両親の訃報を聞いた時こそショックは受けたものの、幼い頃からずっと家にいなかった両親だ、泣くことの程ではなかった。
麻莉亜と二人で暮らしている俺は、親が死んだ所で生活に変化がある訳ではない。
結局一度たりとも親はここに来なかったしな。
金は腐るほどある。
炊事洗濯、身の回りのことは優秀なアンドロイドの麻莉亜が全て完璧にやってくれている。
麻莉亜がいる限り、俺の生活に一切の不自由はない。
外の世界は大変なことになっているが、それも俺には何の関係もないことだ。
なにせ、外に出ないのだから。
家の中で麻莉亜の作った料理を食し、ゲームして、うんこを製造して寝るだけ。
とても充実している。
俺の生活には何の影響もない。
例え世界が滅びたとしても、俺の聖域は崩れたりしないんだ。
そう、自分の中で言い聞かせるように何度も思い返した。
それでも、理由の分からない涙が溢れかえってきた。
それは、本当に何年ぶりかも分からない、久々の涙だった。
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