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レモンの弊害。

作者: 藤乃成哉

 その日は駅前の大きな書店に寄ってみることにした。最近好きになった作家の文庫本がほしいというのもあったし、友人が勧めてくれた物理の参考書を買うためでもあった。これでもう質量mの小球Pがどんな動きを見せたって怖くはないぞと、参考書を手に入れただけで物理が得意になった気分になっていた。

 夕方の駅前を行き交う人の群れはせわしなく、少し前までは薄紅色の花を咲かせて彼らの目を奪い、立ち止まって写真を撮る人も多かった桜の木もすっかりおとなしくなってしまった。五月になるだろうか。あの友人はもう大学生活には慣れただろうか、根暗というわけではないが、大勢ではしゃいだりするシーンが似合わないやつだったからどうにも彼の明るいキャンパスライフが想像できない。

正確にいえば想像したくなかったというほうが正しいかもしれない。浪人生となった僕は、毎日寝る前に日本中の新大学生が大学デビューに失敗し、暗澹たる大学生活を送りますようにと神様にお願いするほど邪悪な心を持つようになっていて、友人といえども見逃すわけにはいかなかった。

 家にいて親といる時間を一秒でも短くしたかったので出来るだけ遠回りをして家に帰る習慣がついていた僕はその日もまた意味もなく裏の路地に入ってはさらにちょこまかと違う路地へと入り込むことを繰り返した。

ガード下の路地裏の持つ雰囲気は荒んだ僕の心になぜだか爽やかさをもたらしてくれる、誰かが残していった下手くそな落書きが妙に安心感をもたらしてくれる気がするものだよ、などと似非文学青年のような抒情感に浸っては自分に文学的素養があるのじゃないかと勘違いしながら、一人ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら歩いていた。

 しばらくすると路の先にさびれた喫茶店があった。いや、実際にはチェーン店の普通のコーヒーショップであり、その店構えはむしろ小奇麗なものであったけれど、すっかりそれらしい気分に酔った僕にとってそれはもうさびれた喫茶店以外の何物でもなくてはいけなくて、店内に入って不愛想な店主の出す別段うまくもないコーヒーに愛着を感じるという行為を果たす必要があった。

足が自然と喫茶店へと向かったかのようにしつつ、しっかりと脳内では先ほどのシチュエーションを妄想しながら店内へと入った。

すると店内には軽快なモダンジャズが流れていて、やっと目が覚めた。ここはいつものドトールなんだ。僕は病弱で夭折した昔の文豪でもないのだ。

そう思うと急に恥ずかしくなって、申し訳程度にアイスコーヒーを一杯飲んでは、あまり長居もせずに家へとトボトボと帰るのだった。幸いにもその日の夜空には雲がかかっていたので、黒を明るく彩るような半月を見てしまうということもなくてほっとした。


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