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誰よりも偉大な英雄1

 ジンは、古びた木製のドアを開き酒場の中に入る。興味の無い視線が客達から突き刺さるが、それを無視して大股で歩きながらカウンター席に座った。あまりにも粗暴な態度で着席したジンに、酒場の店主が目を細める。


「お客さん、金は持ってんだろうな」


 およそ客に見せる対応ではないが、それも仕方がない。固さのある黒髪はボサボサになっており、手入れはされていない。身に付ける服も汚れが目立ち、とても金を持っているようには見えない。極めつけに、凶悪とも言える目付きに粗暴さの垣間見える面構えは、山賊だと言われても納得出来る。鍛え上げられた筋肉は決して硬質なものではなく柔軟さも感じられ、浅黒い肌には多くの傷痕が見える。頭のてっぺんから足の先まで、どこまでも胡散臭い人物だ。


 ジンとしてはこんな反応も慣れたもので、懐から袋を取り出し乱暴にテーブルの上へ置いた。硬貨の鳴らす金属音と袋の膨らみから、金はあると判断した店主は謝る素振りも見せず無愛想に次の言葉を用意した。


「何にする?」


 彼としては、ジンのような得体の知れない人物はさっさと立ち去ってもらいたいのだろう。そう予想しながらも、ジンには関係の無い事である。人の気持ちを汲み取り行動するなど絶対にあり得ない事だ。


「とりあえず食えるモン出してくれや」


 あくまでも不遜な態度を貫き、居座る気満々のジンへ、店主の男は眉をひそめながら低い声を出す。


「お客さん、ここは酒場だ」


 酒を飲まないなら帰れ、とでも言いたいのか店主の口調には刺があった。


「いいからさっさと出せよ。酒も飲んでやるから」


 テーブルを叩きながら言うジンの態度に、青筋を立てる店主は悪くない。


「帰ってくれ。アンタに酒を出すくらいなら薄汚い鼠に飲ませた方が良い」


「んだとォ? テメェ、喧嘩売ってんのか」


 獰猛な琥珀色の瞳に剣呑さが帯びてくる。ジンにしてみれば、いきなり店主がキレて喧嘩を売ってきたと勘違いを起こしていた。両手をテーブルに付き身を乗り出したジンは、鼻がくっつきそうな程に顔を寄せその凶悪な人相を歪める。


 その時、張りつめた空気を打ち破るように、隣に座っていた客が豪快な笑い声を上げた。

 

「ガハハ! お前、面白い奴だな!」


 鼓膜が刺激される大声に耳を塞ぎながら隣を見る。そこには大きな体躯を窮屈そうに縮め座る男がいた。筋肉の鎧を着ているような体つきは、本人の意思に関係なく威圧感を与えてくる。暗い赤の髪は短く、ぞんざいに切られていた。太い眉と人の良さそうな笑顔に隠れているが、その相貌はジンと同種のものが見てとれる。


 男はジンの肩を力強く叩きながら椅子から立ち上がった。その身長はジンよりも頭二つは高く、見上げる形で男の顔を睨み付けた。


「なんだテメェは」


「私か? 私はリングス! この荒んだ時代の英雄になる男だ!」


 途端にジンから鋭さが消え、可哀想なモノを見るような視線をやる。今の発言を臆面なく言う辺り、ただの酔っぱらいか頭のネジが二、三本は外れて脳みそに突き刺さっている、イカれた男だ。


 ペシペシと手のひらで男の頭を軽く叩きながら、ジンは相手を苛立たせるような嘲笑を浮かべた。


「お前、頭は大丈夫かよ。脳みそ鼠にでもかじられたかぁ? ちゃんと中は詰まってんだろうなぁ」


 完全に挑発しているジンを見かねたのか、店主が鋭い声を出した。


「お客さん! これ以上、リングスさんを挑発するなら俺達が黙ってないぞ」


 店主に呼応して、他の数人の客が睨みを効かせてくる。酒場が敵になったような空気に、ジンは好戦的に笑った。


「上等じゃねェか。まとめてかかってこいよ」


 いつでもやれるとばかりに拳を構える。今にも破裂しそうな両者に、リングスは明るい笑顔を浮かべながら手で制した。


「待て待て。ここは落ち着いてくれ。さぁ、お前達も楽しく飲んでたんなら戻っていろ。この男は俺が引き取るからな」


「テメェ、なにを勝手にーー 」


 反論しようとするジンの言葉に被せ、店主が呆れ顔で言う。


「リングスさん、人が良いのも大概にしないといけないよ。こいつは良く言っても野盗崩れだ。こんな奴の相手をする必要なんかない」


「おい、誰がそんなーー」


「ガハハ! 心配いらん! 私は英雄になる男だからな!」


「テメェら俺を置いて話してんじゃねぇぞ!」


 何やら勝手に進んでいく話にジンは、心の底からの訴えをリングスに叫んだ。食って掛かるようジンを見下ろすリングスの表情は、どこまでも明快な心情をその笑顔に預けている。


 いよいよ殴りかからんとする瞬間、ジンの腹から大きな音が鳴った。


「なるほど、腹が減っているのか。どれ、では着いてこい。私が飯をご馳走してやろう」


 全く敵意を示さず、あまつさえ食料を恵んでくれると言うリングスを殴り飛ばす気にはなれず、舌打ち一つで拳を収めた。


「まぁ、腹が膨れるんなら何でも良いか」


 現金なもので、腹を押さえながら呟くジンからはもう先程までの刺は見当たらない。その代わり、食料に対する妄想で嫌らしい笑みが浮かんでいた。


「よしよし、では私の家へ行こうか! 愛しい娘の手料理が待っているぞ!」


 ▼▼▼


 街の外れにある一軒家がリングスの自宅らしい。お世辞にも裕福とは言えず、傾きのある崩れそうな木造の家には所々、直したような跡がある。すきま風が入っているのが外観からも分かり、萎びた樹木を連想させた。家、というよりは小屋と言った方が正しいかもしれない。


 腕を勢いよく振りながら歩くリングスの隣で、ジンは顔をしかめた。こんな貧乏丸出しの人間から馳走になる飯はろくなものではない。食べれるかどうか、とジンはリングスに対する遠慮など微塵も抱かずに、出される料理を不安に思っていた。貰える物は貰うが、流石にこれは心配になってくる。


 木々に囲まれた街の外れからは中心部が遠く見えた。人気もなく、周りに住んでいる者はおらずリングスの家だけがポツンと寂しげに建っているだけ。


 夜の熱気にじんわりと汗が浮かび、拭おうとしても次から次へと溢れてくる。湿気の高い澱んだ空気が更に不快感を煽ってきた。空に広がる雲は月を覆い隠していて、今にも水滴が落ちてきそうだ。ここ最近は雨が多く、空気が蒸されたような暑さだが、太陽が張り切って照り付けてくるよりはましである。


 それでも気分の良いものではなく、何となく声に出てしまう。


「暑い」


「ガハハ! 軟弱な奴だな! こんな暑さ、逆に寒いと思えば辛くないわ!」


「いや、暑苦しいから喋るなよ。ついでにあんまり視界に入らないでくれねぇか。吐きそうになってくるからよ」


「ガハハ! ジンは冗談が下手だな!」


 直接暴言を吐いても、こうして流されてしまう。毒気を抜かれた後には辟易とした倦怠感だけが残る。


 ここに来る前に自己紹介は済んでおり、道中は元気が溢れるリングスが疲れた様子のジンに一方的に話しかけていた。主に自分の身の上や、娘の事だったが。


 数年前、妻を亡くしたリングスは娘を男手一つで育てた。いつか嫁に行く時に号泣するのが夢だと語るリングスの表情は、ジンが知らないものだ。眩しいくらいに輝き、愛情に満ちた表情などジンは知らない。


 どこかで産まれて、どこかで捨てられ、治安の悪い土地で過ごしてきたジンはこれまで愛情を向けられた事も向けた事もない。信じられるのは自分だけ。裏切りなんて当たり前で、仲間だと肩を組んできた連中も結局はジンを裏切った。代償は支払わせたが、その時には不思議と怒りは沸かなかった。


 だからこそ、こうしてにこやかに話すリングスが理解出来ない。別に否定しているわけではなく、本当になぜこんな無条件の愛情を子供とはいえ与えられるのか、赤ん坊の頃に親に捨てられたジンは知らなかった。


 肥溜めの中で泥を啜り、死者の腐った肉を食らい生きてきたジンにしてみれば、そんなもの豚の糞因りも価値が無いものだ。それで生きていけるのなら、自分は既に屍となっている。だけど、それは否定ではなくただ価値を知らないだけの戯れ言だ。


 生暖かい不快な風に運ばれ、葉と土の匂いが鼻孔をくすぐる。故郷を追われるように出てから二年、旅を始めてから幾度となく嗅いだ匂い。今までは死臭が染み込んだ土地で生きてきたので、未だに慣れなかった。


「ほら、我が家に着いたぞ」


「ボロボロじゃねぇか。家っていうか、小屋だろ」


 近くで見ると、その廃れ具合は半端ではなかった。もっとも、ジンが暮らしてきた環境に比べれば楽園とも言える。あまり疑問にも思わず、リングスの後に続いた。


「アイナ! 帰ったぞ!」


 まるで英雄の凱旋が如く拳を上に掲げ、歪みのある木製のドアを開いた。中から漏れ出すランプの灯りが、不気味に揺れる木々を照らす。同時に、草の匂い以外の食欲を刺激する芳しい香りが漂い、意図せず腹が鳴った。


「遅いよ親父。どうせ街の見回りだ、とか言ってタダ酒でも飲んでたんだろ」


 木々を賑わすような高く澄んだ声。粗暴さを全面に押し出した口調だけを抜き取れば男のようではあるが、その美しい声が女性であると訴えている。


「ん? うわっ、何だよ親父、また変なの拾ってきたのか!?」


 リングスの巨体に隠れていた顔を覗かせ、辟易したような目でリングスを見上げた。


 アイナと呼ばれた女性は、まだ若い小娘であった。二十にも届いていない彼女の肌は陽に焼け、少しだけ黒が混じっている。父親と同じ赤い髪は肩の辺りで切り揃えられており、手入れをされているような艶はない。気の強さを思わせる猫のような目は大きく見開かれリングスを睨んでいる。快活な印象を受ける顔立ちは、標準よりは整っていると言えるものの、ジンの好みではない。


 ならば体はどうかと目線を下げてみるが、これがまた可哀想なくらいに平らであった。女らしい曲線は描いているが、胸は焦土と化した地のような絶望感が漂っている。それでも、ジンから見て足だけは評価出来た。スラリと伸びた足は瑞々しささえ感じ、程よく引き締まっている。何故か、意味もなく足が速そうだという感想が浮かんできた。


 彼女は腰に手を当て、形の良いふっくらとした唇を尖らせる。


「こんな見るからに自分はチンピラです、って主張した奴連れてきてどうすんのさ!」


 概ね間違ってはいない評価であるが、どうやらリングスは不服なようで丸太のような腕でジンの肩を組んだ。


「いや、コイツは無法者ではないぞ! 酒場で暴れなかったのがその証拠! 少し短気なだけだろう」


「証拠って言われても納得出来ないって。そもそも経緯を知らないのに証拠もクソもあるか」


「うむ、確かにそうだな! では、ジンと出会った経緯を話そうではないか!」


 酒場と同じくジンは置いていかれている。口を出さない理由としては、奥に見えるテーブルに塩漬けにされた豚肉が乗せられていたからだった。串に刺された豚肉の他には、豆やジャガイモがある。ここ三日は雑草を食べてきたジンには、もう二人のやり取りなど聞いていられない。餌を目の前にして食べられない犬と同じ、浅ましい欲望が渦巻き涎が流れる。


 そんなジンを尻目にしてリングスはアイナに事の顛末を話した。黙って聞いていたアイナは頬をひきつらせ、腕を組む。


「やっぱりチンピラじゃないか。親父もこんな変なの拾って来るな! うちは貧乏なんだからな!」


「うーん、しかし私としては困ってる人間を放っておくわけにはいかん」


 責め立てられたリングスは、人差し指で頭を掻きながら似つかわしくない不明瞭な声を出した。


「英雄だからって言うんじゃないだろうね」


「その通り、私は英雄になる男だからな」


「何をどう拗らせたのか……。ったく、馬鹿な事言ってないで、さっさと席につけ」


 首を横に振り、ため息をつきながら背を見せたアイナからは、僅かな照れが見えた。その様子を優しげな微笑みで眺めていたリングスは、横で黙っていたジンを見下ろした。


「では食うか!」


「ありがてぇ。久しぶりのまともな飯だ」


 飛び付くように椅子へ座り、誰よりも先に肉にかぶりついた。


「コイツは遠慮ってものを知らないのか……」


「ガハハ! 良いではないか!」


 家の外へ漏れる声は、いつもより賑やかさが増していた。


▼▼▼


「へぇ、ジンってもう二年も旅してるんだ」


「あぁ。別にどこへ住もうって場所も無いしな。帰る場所なんざ元からねぇし」


 アイナは、父親が連れてきたジンという男の話を興味深く聞いていた。とても新鮮な旅の話は、決して楽ではないが胸をワクワクさせる何かがある。最初はただのチンピラだと敬遠していたが、話してみれば口の悪さと態度さえ目を瞑れば不思議な魅力があった。


 目を輝かせながら身を乗り出しているアイナの隣には、楽しそうに笑顔を浮かべているリングス。その向かいにジンが座っている。三人はもう食事を済ませており、なし崩し的にジンの話を聞いていた。しかし、ジンだけは木製の皿を片手に、具の多いスープを食らっている。


 様々な野菜が汁を吸い、スープというよりはシチューのような姿になっている。申し訳程度に浮かぶ塩漬けの肉、萎びたキャベツ、形よく切り揃えられたカブやらでごった煮の様相を見せていた。


 傍らには保存用に置いていた堅いパンがあり、時おりスープに浸す事もなく豪快にかぶりついている。アイナは思わず、お前の歯と顎は獣なのかと、頭の中で突っ込みを入れた。


 このジンという男、見た目と態度が悪いのは仕方のない事。生い立ちを聞いてみればとんでもなく劣悪な環境で育ったらしく、物心ついた時には親はいなかった。何やら仲間に追い出される形で故郷を出たようだ。


 そんな胡散臭い男を家に上げ無警戒なのは、父親の存在が大きい。リングスは元冒険者で、腕っぷしだけは誰にも負けない。昔は巨獣という異名で恐れられていたらしく、実際にこの街でも高い戦闘能力を評価され衛兵のような扱いをされている。


 何より、アイナは父親の事を信用した。彼が連れてきた者をただの悪党だと思いたくなかった。


 テーブルに出来た傷をなぞるように手を動かし、ジンの話を聞く。やはり自分は冒険者の娘らしく、こういった類いには胸を踊らせてしまう。


「ーークムスルアルスって国に行った時は死にかけたぜ。昼は干からびるくらいに暑いし、夜は体の芯から冷えやがる。もう二度と行きたくはねぇな」


「そうなんだ。旅ってのも大変なんだなぁ。……ところで、ジンは今日の寝床は決まってるのか?」


 少しだけ心配になり訊ねてみた。今からでは宿は取れないので、野宿をしなくてはならない。


「今日は野宿だけど、何でそんな事聞くんだよ」」


「では、泊まっていくと良い! せっかく知り合ったのだ、この縁は大事にしたいのでな。今日は旅の話を聞かせてくれ。ほら、私の愛しい娘も喜んでいる」


 何も考えず勢いだけで発言するのはリングスの美徳であるが、それを上回る欠点でもある。腕っぷしは強くとも、頭の中は空っぽなのだ。


「寝床は二つしかないんだよ。どうするのさ、バカ親父」


「うむ、私とアイナが一緒のベッドで寝るしかあるまい」


「ふざけんな! 何でこの歳になってまで親父と一緒に寝なくちゃならないんだよ! それに、ベッドは親父だけでも小さいくらいじゃないか」


 顔を真っ赤にして反論するアイナの胸中は、僅ながらの恥ずかしさと淡い呆れのような感情が広がっていた。この父親は一体、何を言い出すのだと。いくらアイナの体が小さくとも、リングスと一緒のベッドに寝るのは無理がある。少し考えれば分かることだ。


「あァ? 別に俺は床で寝るけどよ。雨を凌げればそれで良い」


「し、しかし客人に床で眠らせるわけには……」


「構わねぇ。慣れてるからな」


 何の気なしにそう言ったジンに、アイナは複雑な気持ちを抱く。自分が想像するよりも遥かに壮絶な人生を送ってきたであろう、彼の一端を垣間見た気がした。


「それに今日は、雨が降るからな。床で寝た方が安心出来る」


「うーん、仕方がない。ジンがその方が良いと言うのなら、聞き届けるしかあるまい」


 双方が納得した結果に落ち着いた。ジンは相変わらず堅いパンを引きちぎるように食べている。


「そうと決まれば、もっと話を聞かせてくれ! 砂の海って、どんなのなんだよ?」


 魅力溢れる旅の話は、ジンの拙い喋りで紡がれていく。


 次に話してくれたのは、延々と雪が降り続ける地域で出会ったーー感情を無くした弟と、弟を心配する姉の話だった。

つづく。

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