朔月の兄弟
それらの一連の流れを林の中から覗く影がいた。影は呆れたまま茂みの中で身を潜めていた。
「───それが許されると思っているのですか」
ぽつりと二人のやりとりを見ていた影が呟く。
影は腰に履いていた鉄剣を見て、ふむと熟考する。
「……不穏分子は早めに排除した方がいいですよね」
空を見れば、嫌に近く感じられた月が陰り始めていた。
***
小碓は、何も出来ないと悟った弟姫が完全に去ったのを見届けてから、大碓の前へと姿を現した。大碓は軽く驚いたようだが、臆すことなく呆れたように向き直った。
「聞いていたのか」
「ええ。それでどうするんですか。本当に反乱を起こす気ですか」
「言葉通りだ。何時起こすかは自分でも分からんがな」
苦笑しながら大碓は目を細める。だけどその目は笑っていない。小碓の手にあるモノを月明かりが消えた暗闇の中で判断しようとしているのだ。
小碓は一定の距離を保って立ち止まる。ここが互いの境界線。
「兄上、一応聞いておきますが、私の今の官職が何か知っていますか?」
「……そういえば知らないな。都に帰っていない俺に知らされる必要もない小事だったからか」
「違いますよ。昔から反抗的な態度だった兄上の反乱の気配を大王は知っておられたのです」
にこり、と綺麗に笑う。分厚い雲に月は完全に覆われてしまったから、この距離ではもう互いの顔を見ることが出来ない。一段と冷えた風が頬をざらりと撫でる。
「───各地の反乱制圧の責任者なんです。埃っぽい仕事なのであまり好きじゃありませんが、大王の影武者仕事よりはやりがいがありますね」
大碓がすっと身構える気配がした。ひゅう、と冷気が手に張り付いてかじかむが、持っているモノを落とさずにしっかりと持つ。小碓も身構えた。
「何が言いたい」
大碓は上段で構えている。
「お分かりでしょうに」
小碓は下段で構えている。
「私はめんどくさいことが嫌いなんです……よ!」
小碓が地を蹴り、装飾が一切無い、ただ人を殺めるためだけの鉄剣を振るう。
大碓は下から切り上げられるのを、構えていた鉄剣で押し留める。力は拮抗。少しでも加える力を弛めれば一気に持っていかれる体力勝負だ。
「俺を殺すか、小碓」
「当たり前でしょう。兄上でも見過ごせません。新しい波などいらないのです。……それに、欲しいものがありますし」
「欲しいもの? 珍しいな、何事にも無頓着なお前がか。何だそれは」
「八坂殿の所の妹姫です。しかし、どうやらあの子は私のことを兄上だと勘違いしているようでして、嫌われてしまいました。それの恨みも個人的にありますね」
「ふん、それは見事な逆恨みだな!」
大碓はふっと力を弛めた。小碓はそのまま力を加える。油断した小碓の横腹に大碓の膝が入り込む。
「…かはっ………」
小碓は地に転がった。単純に剣の腕だけならば小碓は大碓に引けを取らない。だが、実戦となると汚い手でもあれこれ使ってくる大碓に勝つのは難しい。小碓は痛む腹を押さえて立ち上がろうとするが、膝に力が入らなかった。
たった一瞬の邂逅。神経はすり減り、嫌な汗が背筋を流れる。
「命までは取らないでいてやる。その代わり、この件にはもう何も言うなよ」
「……分かりました」
小碓は転がった時に手放してしまった剣を掴み、それを支えに立ち上がる。それを見届けた大碓はもう宮へと戻ろうと背を向ける、が。
「───なっ……!?」
「ずるい手は兄上の専売特許じゃないんですよ」
背中から突き倒すようにして大碓を池へと落とす。その時に深く胸に剣を突き立てるのを忘れない。
赤いはずの鮮血は、夜の闇に飲まれて見えなくなる。大碓は忌々しげに小碓を見ると、無様に池へと落ちた。池の深さは大の大人でも足がつかないほど。致命傷を受けた大碓が這い上がってくるのはどう考えても無理だった。
小碓はにこりと微笑む。
「這い上がってきたら兄上の反乱計画を手伝ってやってもいいですよ。……這い上がることが出来たら、ですが」
大碓と話し出した頃に隠れ始めた月はもう完全に見えなくなっていた。不気味な夜の気配は小碓の姿を凝視する。
雪が、降り始める。
───きっとこの冬最後の雪だろう。