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恋の宮で泳ぐ君等  作者: 采火
本編
3/12

内緒の逢瀬

 屋敷へ戻った入姫はやはり風邪を引いて、数日の間外に出ることができなかった。微熱が中々引かず、入彦の気を大きく揉ませるのだが、入彦は入姫と弟姫の所行に怒ることは一切無く、その容態を見守った。

 弟姫は入姫の看病の合間にちまちまと、以前入姫が自分のために作ってくれた首飾りのように彼女に似合う首飾りを作った。弟姫は自分が誘ったから入姫が風邪を引いてしまったのだと思っていたのに、誰にも責められないからせめてもの償いとして首飾りを入姫に与えようと思ったのだ。

 入姫は熱に浮かされながらもその様子を見ていたが、やがて床から起き出せるようになると弟姫に言った。


「弟姫、私のために無理はしないでね? 私がせっかく治っても貴女が倒れてしまっては悲しいわ」


 心底心配しての心からの言葉だ。入姫は諭すようにして伝えると、弟姫は困ってしまったように笑った後、入姫に例の首飾りをかけた。

 美しく連ねられた首飾りは入姫の美貌を一層華やかに引き立ててくれる。以前、入姫が弟姫に与えた首飾りは弟姫の美貌を鮮やかに引き立てるもので、互いが互いのために作った首飾りは作りはよく似ているものの、その本質は違っていることがよく分かる。

 入姫が弟姫の首飾りを見てくすくすと笑った。お揃いね、と思って嬉しくなったのだ。いずれ自分たちは嫁いで離れ離れになってしまう。その時にこの首飾りは自分たちを繋いでくれる大切な宝物となる気がしたのだ。

 弟姫も釣られて笑った。心境は入姫と全く同じだった。

 二人ともひとしきり笑うと、弟姫が真面目な顔をして膝を詰めた。


「姉上様はあの時、自業自得と言っていたけど因果応報とも言うわ。本当ならやっぱり私が受ける報いよ。それを姉上様が受けてくれたから、私は姉上様のお願いを一つだけ叶えて上げる」

「あら、可愛い妹にお願いしちゃ悪いわ」

「私がやりたいの。拒否権はありませんー」


 入姫は困ってしまって視線を泳がせた。部屋の中をちらちらと見ていてふと思う。


「だったら。私、あの着物を返しに行きたいの。その間、貴女は屋敷に残って父上様を誤魔化して置いてくれないかしら。父上様ならきっと病み上がりの私の外出を許可しないだろうから……」

「いいけど、どうして? それくらいなら私が返して置いて上げるわ」

「自分でもう一度お礼を言いたいのよ」


 ふんわりと笑ってみせれば、弟姫は「分かったわ」と頷いた。


「任せて頂戴。でも、また風邪を引かないように温かくしていってね」

「ふふ、心配性なんだから」


 二人で顔を見合わせて笑う。入彦を騙してしまうのは申し訳ないと思うけれど、二人とも全然悪気はなかった。


***


 入姫は昼間の温かい日を選んでこっそりと屋敷を出た。衣を頭に被って下人に見つからないように足音を忍ばせ、手には例の衣を包んだ荷を持った。一度だけ下人と出くわしたが、距離が離れていたのと被っている衣が弟姫の物だと言うことでうまく誤魔化すことができたと思う。

 入姫は屋敷を出ると己の記憶をたどって池まで歩く。弟姫はよく屋敷を抜け出して里の子と遊ぶからか里のあちこちを知っていたが、入姫はそういうことが多なく、外へと出ることもあまりなかったから、道を覚えるのは苦手だった。それでも荷を数度抱え直した頃にやっと目的の池へとたどり着いた。

 入姫は池の淵──今度は落ちる心配のない場所に──座ってあの青年が現れないかと待った。ここに来るのは物珍しそうにしている曲部か治水工事の作業を行う者だけだ。あの青年はここらで見ない恰好をしていたから、きっと治水工事の為に都から来た者なのだろうと入姫は考えていた。それならここで会えるだろうということも。

 案の定、青年は現れた。

 大碓はきらきらと反射してまぶしい水辺を正面に座っている少女を見て最初のうちは驚いていたが、すぐにそれがこの間の少女だと言うことに気づき声をかけた。


「今日はどうした」

「あ……」


 入姫は声をかけられてぴくりと肩を震わせたが、すぐに微笑んで大碓を見た。立ち上がって真っ直ぐに大碓を見る。大碓は入姫より頭一つ分以上背が高かった。


「私は八坂入媛命(やさかいりひめのみこと)と申します。衣を返し、お礼を申し上げようと思いまして。あの折はありがとうございました」


 深々と丁寧に頭を下げれば、大碓は目を丸くし、その後には照れたように頬を掻きながらまっさらに洗濯された衣を受け取った。それから大碓は神妙そうな顔で言った。


「俺は大碓命という。この間は驚かせてすまなかった。あの後、風邪を引いたと聞いたが大丈夫だったか?」


 話が伝わっていたのか、大碓は少し躊躇いながら尋ねた。

 入姫はくすりと笑った。こんなに体躯の良く快活そうな青年が子犬のようにしゅんとして此方の様子を伺っているのが不思議な気分だったのだ。大の大人にそんな目で見つめられることもなく、またよく知らない男とも中々話さない事が多い自分だが、大碓とは仲良くなれそうな気がした。


「大丈夫だから来たのです。でも病み上がりですから、あまり長く待つつもりもありませんでした。すぐに会う事が叶って良かったわ」


 本音を言えば、大碓はそうかと頷いて、ふと池の方を見た。冬に入りかけた太陽は遠く、崩れて小さく水面で漂っているのが見える。大碓は何かを思いついたように振り返った。


「そうだ、池を見てみたくはないか? この間はゆっくりと見れなかっただろう。せめてもの侘びだ。見ていってくれ」

「いいのですか?」

「ああ。ここでは俺が最高責任者だから、誰にも文句は言わせん。池だって大王だけにしか見られる者がいないのは勿体無いと思っていたところだ」


 そう言って大碓は入姫の手を引いた。

 あ、と思ったときには大碓は歩き始めていたから、入姫は小走りになって必死について行く。ただ単に池を見せるだけではないようで、大碓は池の縁をなぞるようにして歩いた。

 大碓が歩みを止めたとき、入姫は少し息が上がっていた。屋敷に籠もりっきりの自分には少しつらい運動であった。それに手を繋がれているのが恥ずかしい。都の人ってこんなに大胆なのだろうか。

 立ち止まった大碓はやっと繋いだ手に気づいて、微妙に顔を赤らめている入姫にも気づいて慌てて離してくれた。そして早口で言う。


「ここは池の中腹だ。一番見栄えがよい」


 言われて入姫は池を見た。池は瓢箪のようにくびれていて、大碓が先導した場所はそのくびれだった。左右対称で水面がきらきらと輝き、池の奥に見える林もさやさやと同じ方向へと揺れるのはしみじみと趣深い。

 人の手が加えられているというのに、そんなにごたごたとしていないのは一重に大碓の美的感覚の良さと言えるのだろう。見ていてとても清々しい。

 入姫はすーっと大きく深呼吸をした。冬の突き刺すような冷えた空気が胸一杯に広がるがとても気持ちいい。入姫はにっこりと笑った。


「ありがとうございます、こんな素敵なものを見せていただいて」

「……気が向いたら時々来るといい。大王の行幸まではまだ時間があるからな。おかしな箇所があれば教えて貰えると助かる」


 入姫はますます嬉しくなってぴょんぴょんと兎のように跳ねた。子供っぽい仕草に大碓も相好を崩す。


***


 そうして二人の距離は近づいていく。

 入姫が池を見せてくれたお礼にお菓子を持って行けば、大碓が冬にも咲いていた力強い花を贈ったり歌を贈ったりする。

 そうやって入姫は数日に一度、外に出かけては大碓との距離をささやかながらも縮めていった。


 ───互いの立場をよく理解して。


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