日向の姉妹
穏やかな木漏れ日が温かに地を照らすと、入彦は大きく欠伸を漏らした。入彦はここら一体の土地を治めている豪族の一人である。元々は皇であるから、そこらの豪族とは格が違うのだが、本人は風流をこよなく愛しその気質も穏やかなもの。そんな気質が土地にも移っているかの如く、何事もなく、平和すぎて暇なのだ。
うーん、と唸っていると、同じ部屋にいた二人の娘がくすくすと笑い始めた。しとやかでふんわりとした雰囲気の姉姫は入姫、しなやかで少々強気な面持ちの妹姫を弟姫という。
入姫が小玉や管玉、勾玉を組み合わせて弟姫のための首飾りを作りながら言った。
「父上様は一体、何を考えていらっしゃるのかしら」
「きっとやることが無くて暇なのよ。それよりも姉上様、それ、まだできないの?」
「もうちょっと待ってね」
入姫の問いには弟姫が答えた。入彦は特に反論することもなく、それどころか図星であったので、何も言わなかった。
入彦はごろりと日当たりの良い場所を陣取って横になる。目を閉じて耳を澄ませば、入姫がつくる首飾りの硝子のかちかちとした音と木々の擦れるさわさわとした音が合わさって心地良く感じた。楽の音程ではないにしろ、耳を楽しませるには十分である。時々、弟姫の「まだ?」という問いに入姫が「もうちょっと」と答える声が混じる。
あぁ、平和だ。
入彦は自然と口元を綻ばせて、日向ぼっこを続行する。仕事が無いというのも、平和の証拠だと思えばこれ以上良いことは無いのだ。
眠気に任せてうとうととしていると、不意に屋敷の入り口の方から声がした。曲部の訛った喋りではない。宮言葉だ。
「誰か。誰かいらっしゃるか」
眉根を寄せて下人が自分の元へ報告をしにくるのを待つ。億劫だったが、きちんと足を組んで座り直した。宮言葉を使うと言うことは、西にあるまほろばの都からの使者なのだろう。
「八坂さま、お宮からの使いという男がお供を何十人と連れていらっしゃったんが……」
「供?」
下人とはいえども、こざっぱりとした子男が屋敷の門前でのやりとりを伝えてくる。どうやら相手は皇の関係者のようだと、眉間に皺を寄せた。
定期的に贈り物を送って波風が立たないように徹していた入彦にとっては、あまり嬉しくない知らせだ。入彦はまほろばの宮に渦巻く闇を知っている。
かと言って追い返してしまっては失礼に当たってしまう。入彦はしぶしぶと部屋に通すように伝えた。
子男の言葉を後ろで耳を澄ましていた姉妹は首飾りを作るのを中断して、興味深そうに入彦に声をかけた。
「都からのお使い?」
「都人なの? 里の男よりも格好いいのかしら」
華やかに声を上げてきゃっきゃっと話す姉妹はやはり年頃の娘のようで、都からの使者の容貌が気になるようだ。
入彦は少しだけ厳しい顔で娘達を戒める。
「良いかい。使者をお通ししている間、お前達は決して出てきてはいけないよ。ここで大人しくしていなさい。お前達の婿取りは入姫から順番に見合った方を選ぶから、決して勝手なことをしないように」
前半は納得いかないようだったが、後半はいつも言ってよく聞かせていることなので二人とも軽く返事をした。入彦は頷いて別室へと移った。
***
入彦が上座へと座り、使者の訪れを待っていると、間もなく使者は入彦のもとへと通された。
現れたのは野性的な気配を持ち合わせていながらも生真面目そうな、凛々しい面立ちの青年だった。中々の美丈夫である。世の娘なら一目見ただけでその口に上り、噂になってもおかしくないほどだ。娘達を部屋に下げておいて正解だと内心安堵した。
入彦が口を開く前に、使者は足を組んで座り、軽く頭を下げてから言葉を紡ぎ出した。
「この地を治める八坂入彦命とお見受けいたす。私は現大王が子の大碓命と申す者。此度は大王がこの地に行幸をなさるということで、宮の造営に参った次第」
大碓の言葉に入彦は驚いた。表には出さなかったが、軽く眉根が上がっている。
入彦は落ち着き払った口調を作って言った。
「……大王のご子息で在らせるならば、私のような老いぼれに気を使う必要など御座いませぬ。楽になされませ」
「そうもいきませぬ。八坂殿は先々代大王の皇子で御座いますから、こんなひよっこが礼を欠くのはそれこそ失礼にあたりましょう」
大碓は決して傲るような言葉を使わない。まさしく見た目通りの生真面目そうな青年である。ただ、時折覗く獲物を見定める目が、一筋縄でいかないものであると入彦に警告を与えていた。
入彦は苦笑をして本題へとはいることにする。重要なのは礼があるかどうかではないのだ。
「して、皇子殿。大王が行幸なさるとは真のことでありましょうか。どうしてまた、そんな次第に」
問えば大碓は事も無げに言ってのけた。
「大王が偶然、この地にそれはそれは見事な美姫がいると聞きましたようで、それなら見てみたいものだと此度の行幸を決めなさったのです。その責任者として私が任ぜられ、こうして挨拶へと伺いに参りました」
「……そうで御座いますか。しかし、この地にそのような美姫はおりませぬ。御覧になられたでしょうが、この地は野山をかき分けて野良仕事に精を出す者ばかりでして、大王のお眼鏡に叶う者などはたしているかどうか」
困ったように言えば、大碓はからりと声を立てて笑った。ひとしきり笑った後、あの狩る者の目で入彦を見る。
「何をおっしゃるか。この地には曲部だけではありませんでしょう。聞けば八坂殿には二人の姫がいらっしゃるそうではありませんか。きっとその二人が噂の美姫でありましょうよ」
入彦は僅かに目をひそめた。どうやら相手はすでにこちらのことを調べているようだ。この分では、娘を召し上げたいと言い出す可能性だってあるに違いない、と瞬間的に考える。
入彦は慎重に言葉を選んで話を続ける。
「さぁ、それはどうでしょうか。美姫かどうかはその者の価値観次第で御座いますから。……そうそう、宮の造営はどうなさるのです。人手が足りないようでしたら、何人か人を寄越しますが」
ピクリと大碓の眉が動く。こちらの考えに感づかれたかと思ったが、大碓は何事もないかのように問いを受け取った。
「いえ、ご心配なく。ただ、宮には池を造ろうと思っております。この辺りは水源が遠いと聞いたので、水路を造るついでに田へも引けるようにしたいのです。つきましては、この辺り一帯の地図が欲しいのですが……」
「それくらいならお安い御用です」
入彦は口元を緩めて笑って見せた。話をそらすことに成功したのだ。多分、大碓はその事に気づいているだろうが、無理に話を戻そうとはしなかった。
それから暫くは宮の造営の件について細々と語り合って、夜が更ける頃に大碓は屋敷を出ていった。泊まるところは既に決めてあるようだった。
入彦はこれから起きることが決して良いものである気がぜず、大碓が去った後、心配そうに溜息をついた。