序
ここであって、ここではない世界。数多くの選択の中から、人は一つの道を選びとる。それ以外の選択がなされた、仮定の世界にある日本。
そこは、今も人とあやかしが共存する世界。
ときとしてあやかしは人を襲い、食らう。そして、人もまたあやかしを襲い、己が快楽に利用する。双方のそのような態度に、はるか先の世で全面対決になることを危惧し、日本政府はあやかしと人の双方を保護するための機関を設けた。
その名は「宮」。そして、宮には、素養のある若者を「退魔師」として育成する教育機関が存在した。そして、その教育機関では、幼等部から高等部までの一般的な教育課程の指導も実施されている。
そんな教育機関に通う十七歳の少年、月影勇樹は机の上で惰眠をむさぼっていた。朝の八時から始まる授業に加え、深夜近くに行われ、ひどく身体を酷使する退魔師としての実習のダブルパンチだ。こうした休み時間に眠っておきたいという気持ちはわかる。
そんな彼に声をかける少女が一人。
「勇樹くん、起きて~」
「……」
「勇樹くん~」
「……」
しかし、勇樹はなんの反応も示さない。
目は覚めている。だが、勇樹は眠ったふりを続けた。彼女が声をかけるのは、たいていの場合、何か用事があるときだけだということがわかっているからだ。
「……えいっ!」
「――っ!」
少女がふいに、脇腹を強く人差し指で突っつく。その痛みに耐えられず、思わず声にならない悲鳴を上げて、机から顔を離す。
やや不機嫌そうな目をして、勇樹は少女を見る。
愛らしい笑みを見せて、少女は勇樹に語りかける。
「おはよう、勇樹君」
「……昼休みくらいゆっくりさせてくれよ、桜」
不機嫌そうな勇樹の声に臆することなく、桜は微笑みながらごめんと謝る。
勇樹はため息をつき、桜の用向きを問いかける。
「で?なんだよ、本当に」
「うん、次の授業、実習だから色々準備しておこうと思って」
「……そういや、そうだったな」
勇樹はそっとため息をつき、立ち上がる。
この学校で実習というものは、特殊な意味合いを持っていた。
一口に実習と言っても、通常の教育課程にある調理実習や職業体験なども含まれているが、この学校の場合、対妖魔戦実習のことを主に「実習」と称している。
ちなみに、実習ではその生徒の専攻している課程にもよるが、パーティを組むことが通常となっている。桜が勇樹を誘ったのは、彼女が勇樹のパートナーだからだ。
勇樹は机に下げているかばんの中から、紫色の袋を取り出した。
「じゃ、行くか」
「うん!」
勇樹の呼びかけに、桜は微笑みながら元気にうなずく。
「うん」
勇樹の後ろに続く形で、桜は教室を出て、実習前の集合場所である教室へと向かった。




