エピローグ
「......うーん」
朝の日が窓から差し込む。
目覚めは最悪。
重い目蓋を無理矢理開き、畳に敷いた布団から這い出る。
横の布団で寝ているのは、名も知らぬ少女。結局、家に持ち帰ってきた。
近所に住む世話好きのおばさんには、「妹なんです」って言ってなんとか誤魔化した。いや、誤魔化しきれてないかも知れない。
言葉が伝わらず、「あそこの高校生の男の子、ロリコンなんですって」なんて言われてなかったらいいが。
あの人なら、あり得ない話ではない。
前にも、家で預かった親戚の五歳くらいの子供を彼女と勘違いするくらいだから。
正気の沙汰じゃない。
信乃はグーンと背伸びをし、今の思考から逃げるように、なにか見ていたらしい夢の内容を思い出そうとする。
ぼんやりとしか思い出せない。
「まあいいや。」
深く考えることなく思考を放置し、洗面所に向かう。
「............」
「............」
洗面所から部屋の一室の和室に戻った信乃は、目を覚まし、ボーッと座っている少女と目が合った。
長い沈黙。
「......えーっと。君、名前はなんて言うの?」
このままではなにも始まらないので、とりあえずの疑問を聞く。
しかし、少女は首を振るだけで、なにも話さない。
「名前、分からないの?」
少女はまた首を振る。
「じゃあなに?」
穏やかに聞くのだが、少女は俯いてしまう。
「話をしてくれないと、なにも分からないよ。」
そう言っても、少女は俯いて黙ったまま、口を開こうとはしない。
それどころか、目さえ合わせなくなってきた。
こういうことは、昔も何度かあったが、慣れるものではない。
再びの沈黙。
「......お腹」
しばらくした頃、蚊が鳴くような声で、初めて少女は喋った。
俯いたまま。
「お腹......空いた。」
「あー、うん。待ってて。今作るから」
信乃は苦笑いを残し、リビングに行く。
信乃がリビングで料理? を始めたのを見ると、少女は家の中をキョロキョロと見回し始める。
ここは......どこだろう。
当たり前の感情を、今更感じる。どうしてここにいるのか、やっと起きた脳の記憶を探ってみるが、分からない。
身体を見てみると、随分と汚れている。ボロボロの服は、今にも破けてしまいそうだ。
「......ん」
身体を伸ばし、布団から出る。そのまま三畳の部屋から信乃が適当な料理を作っているキッチンにのたのたと歩く。
料理といっても、焼いた食パンの間にケチャップ付きハムを挟んだだけの物だが。
少女が後ろで信乃をじーっと見上げていると
「はい、できたよ。」
突然信乃が振り返り、手抜き感満載の料理を少女に差し出す。
少女は、信乃がいきなり振り返ったので、少し驚いたようにピクリと身体を震わせて、目を閉じた。
信乃はそのままパンを持った手を差し出し続けていると、少女は薄く目を開き、おずおずとした様子で両手でパンを受け取った。
信乃は、そんな少女に苦笑を漏らした後、自分の分のパンを立ったまま食べ始めた。
少女は、初めは訝しげな視線を送っていたが、一口食べると、おいしかったのかガツガツと食べ始めた。
「ちゃんと噛んで食べなよ」
そんな信乃の注意も聞かず、あっという間に平らげてしまった。
「で、君はどこから来たの?」
信乃と少女は向かい合って座っている。場所は布団の上。面倒なので、いつも敷きっぱなし。
食後のデザートとして開けたナタデココの缶詰を手渡し、会話をしている。
「......空」
この少女は、さっきから信乃の質問に対してまともな返答をしていない。
「名前は」と聞けば「ない」と返ってきて「親は」と聞くと「いない」と帰ってくる。
「何歳」と聞けば「知らない」と返ってきて「家族は」と聞くと「いない」と返ってくる。
で、最後があれ。
いずれの答えにも、一切の迷いなく答えている。
「本当に?」
「うん」
少女は緊張が食事で少し解けたようで、やっと少し話すようになったが、まだ会話には程遠い。
「うーん」
全く言葉が浮かんでこない。
こんなときに会話が弾む人だったらどんな風に会話するんだ?
考えては見るものの、面倒になって考えを投げ出す。
モニュモニュとスプーンで食べる名なき少女をただ何も考えずに見つめる。
視線に気付いて、少女もこちらを、正確には目をじっと見てくる。
やっぱり茶色いな。
しばらくそうして出た感想がそれだった。少女は缶詰を食べる作業に戻る。
まるで未来に希望が見当たらないような色、そうとしか思えない。
「外行く?」
何気無く出した信乃の提案に少女は顔を上げず、大きく頷いた。
外は快晴だった。
ここ最近、雨が少しも降らず、心地よい日が続いている。
二人は無言でコンクリートの道を歩く。
車と人は共に多く、少々混雑している。
はぐれないように、少女と信乃は手を繋いで歩いている。
「……ここでいいよ。」
突然少女が口を開いた。
だが信乃は人混みの声に紛れて聞こえなかった。
「え? 今なんて」
そう聞こうとした時には、もう少女は消え、手には茶色の羽が握られていた。
「結局なんだったんだよ……」
信乃は先程まで少女と歩いていた道を一人で引き返した。