処刑された悪役令嬢ですが、今度こそ、あなたは私を信じてくれますか 〜一度目は私を断罪した王太子が、二度目はどうしてか、甘いのです〜
二度目だと、気づかれてはいけない。
悟られた瞬間、私はまた、断頭台へ送られる。
——なのに、初日から、誤算が二つ。
一つ目は、義妹ミレーユ。
「お姉様。まるで、これから起きることを、ぜんぶ知っているみたいね」
首をかしげて微笑む彼女に、背筋が冷えた。
そして二つ目が——
「シャル」
振り向くと、アロイス様が、すぐ後ろに立っていた。
「逃げ足が速いな。捕まえるのに苦労する」
からかうような口ぶり。なのに、目は笑っていない。
「君は、私を見るたび、目を逸らす。そんなに、私が怖いか」
否定できなかった。
「理由は聞かない。今はな」
彼は、すっと身を引いた。踏み込まないと決めたように。
「ただ、覚えておけ。私は、君を怖がらせたいわけじゃない」
殺された記憶があるのに。
その人の優しさに、揺れている自分が、いちばん怖かった。
◇
一度目のことを、私はぜんぶ覚えている。
ミレーユが、健気な義妹の顔で私を陥れたこと。
「お姉様にいじめられた」と、嘘の涙を流したこと。
それを、アロイス様が信じたこと。
そして——私が、断頭台に送られたこと。
ミレーユが欲しかったのは、アロイス様だった。
姉である私を消して、婚約者の座に収まる。そのために、私を殺した。
世間は、あの子の涙に騙された。
けれど、もう騙されない。私は、あの子の本性を知っている。
だから今度は、生き延びる。そのために、何でもする。
——一度目、私が殺された、最大の理由。
それは、いざというとき、アロイス様が私を信じなかったことだ。
私の言葉は、何ひとつ届かなかった。誤解されやすい女の弁明など、誰も聞かなかった。
なら、変えるべきは、そこだ。
ミレーユの嘘が来る前に、アロイス様に、私を信じる理由を作っておく。
恋ではない。情でもない。
これは、生き延びるための、布石だ。
◇
「殿下と、お話がしたくて」
中庭で声をかけると、アロイス様は、めずらしく目を見開いた。
私から近づいたのは、初めてだったから。
「珍しいな。雨でも降るか」
「……ご挨拶に、伺っただけです」
うまく、笑えなかった。
取り入ろうにも、言葉が、ぎこちなく上滑りする。
「最近の、その……お加減は、いかがですか」
「加減?」
「お、お忙しいでしょうから。お身体を、大切に」
——ひどい。何を言っているのだろう、私は。
アロイス様は、しばらく私を見て、それから、ふっと目を細めた。
「シャル。君、何か企んでいるな?」
息が、止まった。
「い、いえ」
「いや、企んでいる。急に近づいてきて、世辞を言おうとして、失敗している」
見抜かれている。
冷たい汗が、滲んだ。——この人は、鋭い。
「だが」
アロイス様の声が、少しだけ、和らいだ。
「下手な世辞を、必死にひねり出す君は……悪くない」
「……からかわないでください」
「からかっていない。また、来るといい」
逃げるように立ち去る私の背中に、彼の視線が、いつまでも残っていた。
◇
それから、私は何度も、彼のもとへ通った。
ぎこちないまま。下手なまま。
それでも、言葉を交わす日が、少しずつ、増えていった。
ある日の茶会で、私は、令嬢たちの輪に、うまく入れずにいた。
相槌の間が、いつも一拍遅れる。気の利いた言葉が、口の中で固まる。
「シャルロット様?」
令嬢の一人が、扇の陰で、くすりと笑った。
「私たち、お邪魔だったかしら。あなた、いつも黙っていらっしゃるから……見下されている気がして」
違う。ただ、うまく言葉が出ないだけ。
けれど、それを言えば言うほど、墓穴を掘る。私は、黙るしかなかった。
「——見下している?」
横から、声がした。
アロイス様だった。少し離れた窓辺から、こちらへ歩いてくる。
「悪いが、さっきから見ていた。彼女は、君たちの話に、必死についていこうとしていた。ただ、言葉にするのが、下手なだけだ。それを見下しと取るのは——君たちの、勝手な誤解だろう」
令嬢たちが、青ざめた。
私は、彼を見上げた。
「殿下……どうして」
「見ていれば、分かる」
アロイス様は、こともなげに言った。
「君は、不器用なだけだ。それを悪意だと決めつける連中のほうが、よほど質が悪い」
一度目、誰も言ってくれなかった言葉だった。
私の弁明を、誰も聞かなかった。あの断頭台の上でさえ。
なのに、この人は。
何も言わなくても、見て、分かってくれた。
胸の奥が、熱くなった。
◇
その日から、アロイス様は、よく私を庭へ誘った。
とりとめのない話をしながら、二人で歩く。それだけの時間が、いつのまにか、苦でなくなっていた。
その日も、薔薇の小道を抜けようとして——私は、足を止めた。
生垣の向こうに、淡い紫の花が、咲いていたから。
「どうした」
「……あの花は、少し。ネレイアは、苦手なのです。触れると、手が腫れてしまって」
言ってから、少し、恥ずかしくなった。花ひとつ触れない、と打ち明けるのは。
けれどアロイス様は、笑うどころか、ごく当然のように、私とその花の間に立った。
「では、近づかないことだ」
「殿下が、避けてくださらなくても」
「いや。君が触れて腫れるくらいなら、私が摘んで捨てるほうが、早い」
そう言って、彼は、何でもないように歩き出す。
私の歩く先から、その花を、さりげなく遠ざけながら。
——こういう人だっただろうか。
一度目、私を断頭台へ送った、あの人は。
隣を歩くだけで、胸の奥が、じんと痺れた。
◇
「シャル。手を」
庭の段差で、彼が、自然に手を差し出す。
迷って、その手を取ると、彼は、ほっとしたように笑った。
「やっと、逃げなくなったな」
「……逃げて、いません」
「いや、逃げていた。会うたび、君は半歩、後ろに下がっていた」
気づかれていた。
「今は、ほら」
繋いだ手を、軽く引かれる。
半歩、距離が縮まって、私は彼の正面に立っていた。
「ちゃんと、私を見ている」
その声が、優しすぎて。
私は、目を逸らせなかった。
「殿下は」声が、震えた。「どうして、私に、こんなに……」
「分からない」
彼は、正直に言った。
「ただ、君を見ていると、胸が騒ぐ。失いたくない、と思う。——理由は、自分でも、分からないんだ」
理由を、私は知っている。
一度目、この人は、私を失った。自分の手で、断頭台へ送って。
その記憶が、ないはずなのに。
魂のどこかが、覚えているのだろうか。私を、失ったことを。
「アロイスでいい」
彼が、私の手を、両手で包んだ。
「もう、君は、私の隣にいる。逃げないでくれ」
その温もりに、私は、抗えなかった。
——堕ちた、と思った。
布石のはずだった。生き延びるための、ただの計算だったはずなのに。
気づけば私は、この人に、恋をしていた。
一度目、私を殺した人に。二度目、私を救おうとしている、この人に。
◇
私とアロイス様のことは、すぐに、ミレーユの耳にも入った。
「お姉様、最近、アロイス様と仲がよろしいのね」
お茶の席で、あの子は、いつもの可憐な笑みを浮かべた。
「妹として、嬉しいわ。……本当に」
嘘だ。
その目の奥に、暗いものが走ったのを、私は見逃さなかった。
アロイス様は、あの子が欲しがったもの。私を消してでも、手に入れたかったもの。
その人が、私の隣にいる。あの子のほうを、見ていない。
——あの子が、黙っているはずがない。
◇
それは、別の茶会の席で、起きた。
ミレーユが、ふいに、目を伏せた。
「お姉様。先日は……ごめんなさい。私が、悪かったの」
何の話か、分からなかった。
そんな諍い、覚えがない。——一度目にも、こんなことは、なかった。
「私、お姉様のことが、大好きなのに」
涙ぐむミレーユに、令嬢たちの視線が、集まる。
そして、その視線が、ゆっくりと、私に移った。
妹がこんなに健気なのに。姉は、なぜ、何も言わないのか、と。
言葉を、探した。
——探しているうちに、もう、遅かった。
気づいたときには、私は、義妹を泣かせた、冷たい姉になっていた。
口下手な私が、言い返す隙など、あの子は、最初から、与えなかった。
ぞっとした。
これは、私の知らない筋書きだ。
一度目のあの子は、こんな手は、使わなかった。
私が、アロイス様に近づいたから。私が、歴史を変えたから。
あの子は、私の記憶にない手で、動きはじめている。
——記憶が、もう、当てにならない。
◇
翌日、王宮が、ざわめいた。
ミレーユが、倒れたという。
「毒です」
侍医の言葉に、息を呑んだ。
「召し上がった茶に、ネレイアの毒が。幸い、量は少なく、お命に別状は」
ネレイア。
——あの花。
私が、触れることすらできない、あの花の毒。
「その茶は」侍女が、震える声で言った。「シャルロット様から贈られたものだと、ミレーユ様が」
贈っていない。
そんな茶、私は、贈っていない。
けれど——昨日、皆が見ている。義妹を泣かせた、冷たい姉を。
動機は、できあがっていた。昨日のうちに。
そして、調べの者が、私の私室から、それを見つけ出した。
「ネレイアの毒の、残りかと」
私の部屋から、毒が出た。
仕込まれたのだ。私の知らないうちに。
動機。機会。物証。
——三つが、揃っていた。
「お姉様」
寝台の上で、ミレーユが、か細い声で言った。
青ざめた顔。けれど、その目の奥が、笑っていた。
してやられた。
不仲を見せつけた、その翌日に、毒。
昨日と今日が、一本の線で繋がって、私の首を、絞めにかかる。
◇
「シャルロット様を、捕らえよ」
その声が上がるのに、半日も、かからなかった。
私は、なすすべもなかった。
「贈っていない」と言っても、証明できない。
引き立てられる私の前に、アロイス様が、立っていた。
その顔を見て、心臓が、凍った。
迷いの色。疑いの色。
一度目、私を断罪したときと、同じ目。
「アロイス様」
声が、掠れた。
「私は、やっていません」
言葉が、続かなかった。
説明できない。何ひとつ、証明できない。
ああ、と思った。
これは、一度目と、同じだ。
私の言葉は、また、届かない。
この人は、また、私を——
「待て」
アロイス様の声が、私の絶望を、断ち切った。
彼は、迷いを振り払うように、首を振った。
「……おかしい。ひとつ、おかしいことがある」
そして、まっすぐに、私を見た。
「シャル。君は、ネレイアに、触れられない。そうだな」
息が、止まった。
「以前、庭で見た。君は、あの花に近づくことすら、できなかった。触れれば、肌が腫れ、熱が出ると」
「……はい」
「ならば、聞く」
アロイス様が、周囲を見回した。
「ネレイアの毒は、その花から採る。摘み、すり潰し、煮詰めて、ようやく毒になる。——触れただけで腫れる女が、どうやって、その花を扱う?」
広間が、静まった。
「シャルロットが毒を作ったというなら、その手は、とうに腫れ上がっているはずだ。——見せてみろ」
差し出した私の手は、白いまま。傷ひとつ、腫れひとつ、なかった。
「もうひとつ」
アロイス様は、続けた。
「茶が贈られたという昨夜。その刻、シャルロットは、私と庭にいた。ずっと、私の隣にいた。——茶を用意する暇など、どこにあった?」
一度目には、なかった。
私を信じる声が。私の無実を、証す人が。
——この数月、彼の隣で過ごした時間が。
私が、生き延びるために打った布石が。
今、私を、断頭台から、引き戻していた。
◇
こうなると、ミレーユの筋書きは、脆かった。
「シャルロットから茶を贈られた」と言いながら、ミレーユは、それを、いつ、どこで受け取ったのか、答えられなかった。
倒れた時刻も、飲んだ場所も、証言が、食い違っていく。
私の私室から出た毒も、調べれば、ごく最近、何者かが持ち込んだものだと、知れた。
組み上げたはずの罠が、一つ、また一つと、崩れていった。
◇
問い詰められたミレーユは、取り乱した。
可憐な仮面が、剥がれていった。
「違う、私は被害者よ! お姉様が、お姉様が私から、アロイス様を——」
——言ってしまった。
しん、と、広間が静まった。
アロイス様が、静かに、ミレーユを見た。
「私を、奪われた。——そう言ったな」
ミレーユの顔が、引きつった。
「君は、姉が私と親しくなったことが、許せなかった。だから、毒の罪を着せて、消そうとした。そういうことか」
「ち、違……」
違わなかった。
その動機を、あの子は今、自分の口で、皆の前に、晒した。
健気な義妹は、もう、どこにもいなかった。
そこにいたのは、姉の婚約者を欲しがり、姉を陥れようとした、一人の女だった。
◇
ミレーユは、引き立てられていった。
最後に、あの子は、私を見た。
憎しみと、それから、薄気味の悪いものでも見るような目で。
「……お姉様。やっぱり、おかしいわ」
掠れた声で、あの子は言った。
「あなた、ぜんぶ知っていたみたいに、動いていた。私が、何をするのかも。——いったい、何者なの」
私は、答えなかった。
あの子が、その答えに辿り着くことは、ない。
一度、あなたに殺された。だから、知っている。
それだけのことを、あなたは、決して、知らないまま。
◇
広間に、私とアロイス様だけが、残された。
「すまなかった」
彼が、口を開いた。
「一瞬でも、君を疑うような目を、向けた」
「いいえ」
私は、首を振った。
「殿下は、信じてくださいました。——それで、十分です」
十分すぎるほどだった。
一度目、私が、喉から手が出るほど欲しかったもの。
それを、この人は、くれた。
アロイス様が、ふと、不思議そうな顔をした。
「妙だな」
「殿下?」
「さっき、君を信じると決めたとき。——前にも、同じことを、君に言いそこねた気がした」
息が、止まった。
「初めてのはずなのに。ずっと前に、私は、君を一度、信じそこねた。……そんな気が、してならない」
彼は、知らない。
一度目、私を断頭台へ送ったことを。覚えて、いないはずなのに。
それでも、魂のどこかが、覚えていた。
たった一人で死んだ、私の、一度目を。
「アロイス様」
私は、涙をこらえて、笑った。
「今度は、信じてくださいました。——もう、それで、いいんです」
彼が、私を、そっと抱き寄せた。
その腕の中で、私は、ようやく、息ができた気がした。
◇
二度目の私は、断頭台へは、行かなかった。
ありもしない罪で、裁かれることも。
アロイス様の隣に立つことを、今度は、自分で選んだ。
「シャル。まだ、口下手なままだな」
「……放っておいてください」
「いや、いい。不器用な君を、私が、いちばん知っている」
その言葉に、私は、笑った。
うまくは、笑えなかったけれど。
それでも、隣で、この人が、笑い返してくれた。
一度目、誰にも信じてもらえずに死んだ私は。
二度目、この人の隣で、信じてもらえる場所を、見つけた。
——もう、黙って殺されてなど、やらない。
そう誓った私は、断頭台ではなく、この人の腕の中に、辿り着いた。




