「勇者パーティに勧誘されたが、俺はまだお湯を沸かしたい」
陽光に照らされた草原の丘を、二人の男が歩いていた。
一人は、眩いばかりの過剰装飾フルプレートに身を包んだ若き勇者、アルヴィス。
そしてもう一人は、その後ろで無精髭ノイズの浮いた顔を歪め、猫背気味に歩く三十路の聖職者、ベネディクトである。
その時、世界が悲鳴うなりを上げた。
轟音と共に、丘の頂に突如として出現ポップしたのは、二人がかつて目にしたこともない巨大な「矩形の塊」だった。
「な、なんだこれは……!? 古代遺跡か?」
アルヴィスが驚愕に目を見開く。その建築物は、石畳の道も、精緻な彫刻も持たなかった。ただ無機質な、灰色の壁面が積み重なっている。
「……古代遺跡なの?ビビビびっくり仰天。いきなり湧いて来た建物ってねぇ?怪しくないかい??ん?ん?」
ベネディクトが震える指でその壁面――コンクリートに触れる。
「…ちょっと、しょっぱい」
錆びついたプレートが掲げられたその「遺跡」は、異世界の理を物理的に上書き物理演算無視してそこに鎮座していた。
「……間違いない。これは伝説に聞く、失われた神代の住居だ。この材質、この直線美……。そして何より、我らの前に自ら姿を現したということは!」
アルヴィスは、その建物の影からふらふらと現れた「異形」を見つけた。
アルミ鍋を片手に持ち、両耳に用途不明の布靴下を履いた人物。ヘッペ忽必烈である。
「おお……! 貴方様が、この遺跡の守護者……いや、隠れ住まわれていた大賢者様ですね!!」
アルヴィスがその場で跪き、感動に声を震わせる。
…だが、ヘッペはそんな勇者の熱視線を、まるで不要なゴミデータを捨てるかのようにスルーした。
「あっ…あれ??」
最大感度ハイゲインに設定されたアンテナが、その後ろに立つ「おっさん」を捉えたからだ。
「……ふむ。いいか? 宇宙よ。再起動リブート後の背景グラフィック風景は一変したが、そこに配置された重要オブジェクト知人の配置には、一定の因果律ロジックが働いているようだな」
ヘッペは跪くアルヴィスの脇をすり抜け、猫背の聖職者の前に立った。
そして、その顔をじっと見つめた。
「……やぁ、佐藤仮ではないか。貴様、こんな彩度の高い場所で、何無精髭ノイズを撒き散らしている」
「……あー。……え? (8度見) …えw
……誰。……佐藤?。……って。……俺。……ベネ。……ディクト。ベネなディクト。ベネってる。うん。サトウではない…決して断じて。んであのー、一応、僧侶ね?僧侶うん。……っていうか。……君。……耳。……靴下。……履いてる。どどどどうしてねぇ?」
聖職者は顔を引きつらせ、吃音の極致バグった喋りで必死に否定した。
自分はベネディクトであり、三十年生きてきて一度も「サトウ」と呼ばれたことなどない、と。
だがヘッペの目には佐藤(仮)として映っている。
そして、ヘッペは耳の靴下を整え調整ながら、冷淡に言い放った。
「……ふん。いいか? 名辞などという揮発性データ不確かな情報に意味はない。私の記憶回路ログが貴様を佐藤仮と認識デバッグした以上、貴様は佐藤仮だ。磨け、その存在意義アイデンティティを。もうティティだ。これからは佐藤として駆動しろ」
「…なに?その、決めつけ?もうティティ?…強引か!ねぇ! 佐藤?…佐藤isどこから?ねぇ!顔?この、カメムシみたいな顔か?ねえ?」
アルヴィス「…あのー、ベネディクト君?君は佐藤(仮)だったのか?」
「てーーーーーーーーい!!違うでしょ、アンタまで言う?」
こうして、一人の男が名前をデリート剥奪され、一人の若者が「靴下の賢者」を崇拝し始めた。
その時
「……待てッ!! 大変な論理的欠陥バグを思い出したぞ!!」
ヘッペの叫びに、静まり返る草原。
彼は厳粛な面持ちでエイプリル・コーポの101号室へ戻り、キッチン――と呼ぶにはあまりに貧弱な設備の前に立った。
恐る恐る、ついて行く二人。
「……ふむ。いいか? 二人とも。私はまだ、お湯を沸かしていない」
「…お湯?…???」
カチ、カチカチ……ボッ。
弱々しい青い火が、アルミ鍋の底を申し訳程度に舐める。
勇者
「しかし…これはなんと言うか、魔導機の中はこうなって…(感涙)」
佐藤 (怒)
「……あー、。……え? ……いま。……いま、。……それ、。……つけた? ……火、。……ついた? ……ねぇ!! ……ちっさ! ……火、。……ちっさ!! ……あー、。……これ、。……これ。……お湯、。……沸く? ……今日中に。……今日中に沸かなぁー、感極まっとぅぉーーい!!(怒)」
佐藤(仮)が、その脆弱な火力低スペックを指差して悶絶する。
だがヘッペは、耳の靴下を最大感度で調整しながら、鍋の中の静止した水面をじっと見つめていた。
「……ふん。いいか? 佐藤 ( 仮 )よ。急速な加熱ブーストは、水の分子データを混乱させる。このエイプリル・コーポの標準仕様スペックである『微弱な火力』でこそ、不純物ノイズが濾過された、高潔な白湯ログが完成するのだ。磨け、その待機時間を」
「……あー、。……無理。……無理だわ。……分子? ……あー、。……分子のこと。……いま、。……考えてるの? ……ねぇ!! ……アルヴィス君? ……あー、。……また。……また、。……拝んでる。……。……あー、。……これ。……いつ終わるの? ……この。……無駄な。……待ち時間!」
アルヴィス
「……おお……! まさしく練気バッファリング! 弱火という名の忍耐パッシブスキルを使い、水の精霊と同期しておられるのですね!!」
一向に気泡の一つも浮いてこないアルミ鍋。
それを囲む、靴下の賢者、拝む勇者、そして発狂寸前のおっさん。
異世界の運命は今、101号室の火力不足によって、完全に足止めされていたのである。




