第1話 その日、僕は師匠に出会った
僕は物心ついたときから一人だった。
行く当てもなく各地を彷徨い歩き、時には物乞いをし、時には路地裏のゴミ箱から食べられそうなものを漁り、人に迷惑をかけないよう一人で生きていくのに精一杯だった。
他人の夢や希望が眩しくて、いつだって目をそむけていた。
いつもこう思っていた。何で自分はこんな思いをしながら生きていかなくてはならないのだろうと。こんな事をして次第に年を取っていき、最後にはきっと惨めに、道端で通りすがる人々に横目で疎まれながら死んでいく。そう思うと、今すぐにでも死にたくなる。それでも死に至るまでの苦痛が怖くて、僕は何もできずに日々がただ無為に過ぎていく。
「魔の森ってのがあるんだってよ」
ある町で、僕はそんな噂話を聞いた。ちょっと興味が湧いて路地裏から聞き耳を立てる。
何でもその森に入ると、人知を超えた化け物が次々に襲ってくるのだそうだ。興味本位で入った者は皆逃げ帰り、名を馳せる強者でさえ恐怖で十日は正気を取り戻せないらしい。
それを聞いて僕は自分の死に場所を見つけた気がした。どうせこのままでは誰に関わることもなく、一人で孤独に年老いて死ぬだけ。きっと面白いことなんてなんにもない。なら、せめてそんな禍々しい化け物に食われて死ぬのも一興なんて考えてしまった。
そんな考えは自暴自棄に見えて、僕の心は逆に何故か弾んでいた。多分、生まれて初めて目標というものができたからかもしれない。
僕は町を渡り歩いて噂を辿り、魔の森を探した。
そして一年の月日が経ち、僕はついに魔の森の入り口へと辿り着いた。これから自分が死ぬはずなのに、不思議と心は震えて誘い込まれるように僕は森の中に入っていく。
一歩森に入った瞬間、空気が全身にまとわりつく感触がした。まるで体の中に入った異物を判別するかのように。どうやら僕はこの森に外敵と見なされたようだ。
それでも僕は森の奥へ進み続ける。
森の中は不思議だった。まるで死者の国のようにおどろおどろしい風景と重なるように、静謐な森の風景が見えるのだ。だからなのか、不思議と恐怖はなかった。
まるで誘われるように、僕は森の奥へと足を運び続けていく。
しばらく歩くと、ついに噂の化け物が姿を現した。
黒く大きな丸い体に三日月のような口。その全身にはびっしりと人の目が張り付いていて、全てがこちらを睨んでいる。覚悟はしているつもりだったが、嫌悪感で全身に鳥肌が総毛立つ。
だが、僕はそいつを見て違和感に気付いた。奴の目の中の一つが薄ぼんやりと光っているのだ。まるで、そこが奴の弱点だ、と強調しているかのように。
化け物は口を大きく開けて僕に飛びかかってきた。口の中はギザギザの歯が何層にもなっていて、かぶりつかれたらあっという間に口の中ですり潰されるのは想像に難くない。
僕はつい反射的に、その光っている目の中へ右手を埋めた。手はなんの抵抗もなく、ずぶりと化け物の目の中に入り、何か丸くて硬い感触のものに触った。それを掴むと思いっきり力を込めて引きずり出してみる。
すると、化け物は叫び声も上げずに目もくらむ光を放って、その場から消えてしまった。光が収まって残ったのは、僕の右手の中にある緑色の透き通った石だけ。
「……く、くっくっく、あはははははは!」
化け物に殺されるためにこの森に入ったはずなのに、どうした訳か僕はその化け物を簡単に倒してしまったらしい。それが何だか妙におかしくて、生まれて初めて心の底から大声で笑った。僕の笑い声は森中に響き渡る。
ひとしきり笑ってようやく笑いが収まる。
すると、いつの間にか目の前に一人の若い男が立っていた。足音はおろか気配すらない。今、目の前にいるのは見えているはずなのに、気を抜くと景色に溶け込まれてしまうような錯覚を感じる。
僕の頭一つと半分ぐらい高い長身に、まるで黄金を思わせるブロンドの長髪。体つきから男と判断したけど、その顔はまるで町中に飾られている彫刻の女性のように美しかった。闇に溶けそうな漆黒のローブに身を包み、緋色に光る瞳でこちらを見ている。
「百目が消えたから何事かと思ってきてみれば、まさかこんな子供とはなあ。よく百目の核を見抜けたもんだ」
男はさも愉しそうにカラカラと笑う。僕はあっけにとられて男を見ているしかなかった。
男は笑い終わると、僕のすぐそばまで歩いて近づいた。そして男の目が僕の目と交わり、まるで自分の中を隅々まで覗かれているような感覚に陥った。
「……なるほどなるほど、そういう事か。お前さん、見どころあるよ。これなら良いとこまでいけるかもだ」
話しぶりから殺されはしないかもしれないが、まるで実験の材料にでもされるかのような言い方だった。
「僕を……どうするつもりですか?」
自分の声が震えているのが分かる。
僕はこの森に入って初めて恐怖した。あの化け物と対峙しても怖いなんて思わなかったのに、この人はあの化け物なんて比べ物にならないくらい遥か上の存在だと、僕の直感がビリビリとそう伝えてくる。
僕の警戒に気付いたのだろう。男はにんまりと意地悪そうに笑い、膝を折って僕の目線に合わせる。
「別にどうもしないさ。何ならお前さんはこのまま回れ右をして帰ってもいい。だが、ワシの存在を吹聴して回るというなら、この森から出す訳にはいかんがね。まあワシの希望を言うなら……」
そこで言葉を区切り、男は大きく息を吸い込んだ。
「ワシの友だちになってくれないか?」
男はまるで小さい子供のように人懐っこそうな目で僕を見つめてそう言った。
これが僕と師匠の出会い。僕の生に、初めて意味が生まれた瞬間だった。




