第12話 懐かしい人(2)
書架の奥。
背の高い棚が並び、
光が少しだけ落ちる。
人の気配も、
声も、
遠い。
指先で背表紙をなぞる。
古い装丁。
擦れた革。
誰にも選ばれないまま、
そこに残ってきた本たち。
流行の棚には並ばない。
手に取る人も、
多くはない。
けれど。
残る本には、
残る理由がある。
その中に、
見覚えのある一冊があった。
手が止まる。
――あ。
自然と、指が伸びる。
引き抜く。
少しだけ埃が落ちる。
表紙の文字。
『境界を渡る旅人』
派手さのない、
静かな本。
薦められることも、
話題に上ることも少ない。
それでも、
一度好きになった人は、
何度も読み返す。
――ノアみたいだ。
胸の奥が、
静かに揺れた。
世界が巻き戻る前、
何度も見た本だった。
ノアが見つけて、
気に入って、
何度も読み返していた本。
読み終えるたびに、
同じ場所の話をする。
派手な冒険でも、
英雄譚でもない。
帰る場所を持たない旅人が、
それでも歩き続ける話。
誰かに認められるためでもなく、
目的があるわけでもなく、
ただ、
進むことをやめない。
その在り方が好きだと、
ノアが言っていた。
本を開きかけて、
指が止まる。
そのとき。
背後から、
声が落ちた。
「――その本」
振り返る。
高い窓から落ちる淡い光の中に、
見慣れた顔があった。
光を吸うような濃紺の髪。
深い水底のような青い目。
強く主張する色ではないのに、
視線を外しづらい。
立っているだけで、
周囲のざわめきがひとつ奥へ引く。
静かな気配を持った人だった。
息が、
一瞬だけ止まる。
「……ノア殿下」
呼んでから、
わずかに遅れて、
距離を思い出す。
小さく、
礼を取る。
ノアは、
こちらを見たまま、
少しだけ首を傾けた。
「……お前は」
視線が、
手の本に落ちる。
「……バルディエ家の、リリアナと申します」
それだけ。
余計な言葉は続けない。
沈黙が、
短く落ちる。
ノアの目が、
表紙の文字をなぞった。
「……それ」
低い声。
「ええ」
ほんの一瞬だけ、視線が遠くなる。
リリアナの口元が、わずかにゆるむ。
「……お好きでしたよね」
言葉がこぼれてから、
遅れて気づく。
「……居場所がなくても、
歩き続けていい物語だと」
そこで、
ようやく言葉が途切れる。
言い過ぎたと分かる。
ノアの目が、
わずかに止まる。
「……なぜ、それを」
責める声ではない。
リリアナは、
一瞬だけ言葉を失い、
すぐに視線を落とす。
「……なんとなく」
短い沈黙。
「……そうか」
それだけ言って、
ノアは視線を外した。




