第12話 蝕むものの気配(1)
13歳の、春の終わりだった。
父の咳が
目立つようになったのは。
その頃からだ。
長くは続かない。
けれど、何度も繰り返す。
侍医が出入りし、
肺の病だと告げられた。
無理を重ねれば悪化する。
王都にいれば、仕事は途切れない。
だから領地へ戻る。
養生のために。
決まるのは、早かった。
屋敷の中の動きが変わる。
出入りする人間。
交わされる声。
止まる書類。
その中で、
自分に向く視線の質も変わっていた。
避ける目ではない。
測るような、確かめるような目。
自分がどう見られているかは、
もう気にしていない。
自分が不吉でも構わない。
ただ、
その不吉がエリオスに及ぶなら、
近づかない。
それだけだ。
*
出立の前日。
父に呼ばれ、
執務室へ入った。
扉を閉めると、
紙とインクの匂いが満ちていた。
父は椅子に座ったまま、
しばらく何も言わない。
以前より少し痩せて、
肩の線が落ちている。
視線だけが、こちらへ向く。
それから。
「……悪かった」
短い声だった。
それだけで、
もう続かないのだと分かる。
リリアナは、ただ聞いた。
お互い、遅かった。
ほんのわずかに、
反応が遅れる。
感情にはならない。
ただ、
もっと前に、
その言葉があればよかった。
そう思う。
それ以上は続かない。
言葉は返さない。
父は視線を外し、
会話は終わった。
*
出立の日。
馬車が玄関前に付けられ、
屋敷の者たちが整列する。
義母が先に乗り込み、
父が続く。
父は最後に一度だけ振り返った。
それだけだった。
馬車が動き出す。
車輪の音が遠ざかる。
屋敷の重心が、
音もなく抜けていった。
*
父の不在を埋めるように、
叔父が後見として立ち、
レオンが跡取りとして家を回す。
誰も役割を口にしない。
それでも、家は動く。
これまでの形を残したまま、
別のかたちへ移っていく。
リリアナは、
その流れの中に立っている。
*
夜。
机に指先を置く。
指輪に触れる。
あの人に繋がる感覚だけが、
かすかに残る。
息を整える。
思考を止める。
窓の外は、静かだった。




