第8話─ 知らない事実
(どうしよう……。やっぱり私、とんでもないことを願ってしまったかもしれないわ……。でも……)
妖艶な魔女の泊まる宿を後にして尚、エルリアは出口の見えない逡巡を繰り返していた。
(カミラがノーマを誘惑したりしなければ、叶わない願いのはずよね? ……そうよ。今までの私の恋人に対しても、もしかしたらカミラにそんなつもりはなかったのかもしれないんだし……)
そう思いながらも、心の奥底ではそれを否定してしまう自分がいる。カミラはきっと、奪うつもりでエルリアの恋人に近付いた。そうでなければ、三人も同じことになったりはしない。
エルリアの願いは賭けに近かった。
カミラがこのままノーマと接触し続けたら、ノーマもまた、カミラのもとへと行ってしまうかもしれない。だがそこに誘惑の意図がなければ、エルリアの願いのせいでカミラが怪我を負うこともないだろう。
(もし、もしも……カミラがノーマを誘惑したとしても、これで懲りてくれれば……)
エルリアはそんなことを願ってしまう自分が、ひどく醜く思えた。
無意識に早足で歩いていると、雑貨店から出てきた女性と目が合った。
「エルリア?」
「えっ? ……あっ、イライザ!?」
エルリアと目が合ったのは、同じ学校に通っていたイライザだった。彼女とはあまり付き合いはなく、顔を合わせるのも随分久しぶりのことだ。切れ長で一重の凛々しい目が印象的なのは変わっていない。
イライザは大きなお腹を抱えていた。
「わぁ。ひょっとして、赤ちゃん? イライザ、結婚してたんだ?」
「え? うん……。去年結婚したの。カミラに聞いてなかったんだ?」
問い返される言葉にエルリアは首を傾げた。
「カミラ? なんで?」
「カミラは知ってるから。……あー。もしかしたら、あんたに気を遣ったのかもね」
昔から歯に衣着せぬ物言いだったイライザにしては、珍しく歯切れの悪い言い方だった。
その口調に、エルリアは彼女が自分の不妊のことを知っているのだと悟った。
「……カミラに、私の体のこと聞いたの?」
「違うよ。うちらの村、狭いとこじゃん? 噂が広まってたんだよ。カミラはむしろ、口止めしてた」
「……どういうこと?」
「私は村の噂であんたが子供を産めなくなったって聞いたの。で、カミラに確認した。あんたたち仲良かったから。そしたら、『その話は広めないであげて。あの子すごく傷付いてるから』って。まぁ、私は別に人に言う気はなかったけどさ」
まただ、とエルリアは思った。
母オルナの話でも、カミラはとてもエルリアのことを心配していたという。エルリアにとっては子供と婚約者をいっぺんに失った要因がカミラだというのに、周囲の人間はカミラがエルリアを大事にしているかのように話すのだ。
言いようのない疎外感に、エルリアは唇を噛み締めた。
「……エルリアさ、ちょっと時間ある? お茶しながら話さない?」
「えっ? うん、もちろんいいよ!」
イライザの誘いは意外だった。彼女には昔から好かれている気がしなかったからだ。一匹狼の印象が強く、誰とも仲良くはしていなかった気もするが。
二人はイライザの提案する喫茶店へと移動した。そこは妊婦にも優しいハーブティーが豊富に置いている店らしい。
それを聞いたエルリアは、そういえばノーマの店にはそういった茶は置いていないなと思った。
(今度提案してみようかな……。ノーマは優しいから、考えてくれるかも……)
店に着くと、イライザはハーブティーとベイクドチーズケーキを、エルリアは同じハーブティーとスフレチーズケーキを注文した。
「……別にあんたまで同じハーブティーにすることないのに。それに、チーズケーキよりチョコケーキの方が好きだって聞いたけど。私に気を遣ってるの?」
「そ、そんなことないよ! そういう気分だっただけで……」
相変わらずイライザは目敏い、とエルリアは思った。
普通の茶や妊婦にとってあまりいいものではない。今のイライザが避けているであろうものを、目の前で食すのは気が引けた。
しかし、気を遣わせないように気を遣うというのは難しい。その辺り、カミラは本当に上手いのだと実感してしまう。
「っていうか、イライザはカミラに私の好み聞いたの? 仲良かったんだ?」
「まぁ、一応? 仲良かったっていうか、カミラの中の私への評価が悪いものではなかったんでしょうね」
「どういう意味……?」
「昔さ、他の女子たちがあんたのこと悪く言ってたことあったじゃん? 『エルリアは先生への点数稼ぎでみんなに親切にしてるんだ』って……」
「あっ……た、ね」
蘇る記憶に、エルリアは苦笑いを浮かべた。
あれは、突然のことだった。同級生の女子たちがコソコソと遠巻きに噂するようになり、エルリアをまるで汚いものを見るかのような目で見るようになった。何か気に障ることをしてしまったんだろうかと思っていたら、たまたま聞こえてしまった言葉。
「みんながあんたに冷たく当たったけど、私は別にどうでも良くってさ。噂なんてくだらないって思ってたし。元々あんたのことは好きじゃなかったけど、仮に噂が本当だとしても、あんたの親切に色んな人が助けられてたのは事実だから。親切の理由が何だったのかなんて、どうでも良くない? って思って……。噂してる子にもそう言ったんだけどね」
「そう……だったんだ」
やはりイライザには好かれていなかったようだ。はっきり口にされ、エルリアは胸が痛んだ。
当時イライザがエルリアを表立って庇うことはなかった。しかし、思い返してみれば、イライザはあの噂の前後でエルリアに対して何も態度を変えることはなかった。元々親しくはなかったが、冷たくされることもなかったように思う。
少なくとも他の子のように無視したり、侮蔑の眼差しを向けてくることはなかったと記憶している。
「だからでしょうね。カミラは私を、敵じゃないって認識したんだと思う。困ってるときは手を貸してくれたし、たまにお茶するぐらいには仲良くなったのよ」
「え? ご、ごめん。意味が分からないよ。"敵じゃない"って、何……?」
「……エルリア。あんた、知ってる?あんたに冷たい態度を取った子たちのリーダー格だった二人。あの子たちの今の人生、地獄そのものよ」
「え……?」
「片方は悪い男と付き合ってヤク漬け。もう片方もこれまた悪い男にハメられて借金まみれ」
イライザは一瞬、ためらうように視線を伏せた。
「……両方に男を差し向けたのが、カミラよ。カミラはきっと、あんたの耳には噂が入らないようにしていたんでしょうね」
血の気が引く感覚と同時に、エルリアの心臓だけが音を立てた。
ドクン、と一拍。
思考が追い付かない。
「……え? え? どういうこと? カミラがあの子たちを酷い目に遭うように仕向けたってこと? なんで? なんでカミラがそんなことするの? だって、別にカミラは冷たくされてなかったっていうか、むしろ噂の後からはあの子たちとも仲良くしてたよね?」
混乱するエルリアに、イライザは深いため息をついた。ハーブティーを口にし、エルリアに向けた視線には、敵意にも近いものが込められたいた。
「分からない? ……分からないでしょうね。あんたたち、いつも一緒にいて仲いいように見えたけど、私には──カミラの片思いに見えたもの」
「かた……おも、い?」
イライザの瞳と口調に苛立ちが見え始める。本気で分からないという顔をするエルリアに切れ長の瞳が眉根を寄せた。
「あの子たち、噂を広めてあんたを孤立させただけじゃなかったじゃん。そのずっと前から、あんたに雑用押し付けたり、面倒な係とかも全部やらせてさ。あんたいいように利用されてたじゃん。許せなかったんだよ、カミラは」
「で、でもそれは、私がただみんなの役に立てるならと思ってしてただけで……利用されてたとかじゃ」
「あぁ、もうっ! そういうところがイラつくし、嫌いなのよ!」
イライザは我慢ができないとでも言うように吐き捨てた。
「自己犠牲っていうの? 役に立ちたいとかなんとか言って、自分を雑に扱うから周りもあんたを雑に扱う。でもね、あんたを大事に思う人間にしてみれば、たまったもんじゃないのよ。自分の大事な人を雑に扱われたら腹が立つ気持ちも、あんたには分からないわけ?」
「……カミラが、そうだったってこと? 私を、大事に……?」
「あの子は賢いし、誰のことも信用しちゃいないから、はっきり自分が仕向けたとは言わなかったけどさ。でも一度だけ、あの二人が酷い人生を送ってるって知ったとき、ぽろっと言ってたんだよ。『クズ男はクズ男で使いようがあるものね』って……」
それは、エルリアが初めて知る事実だった。カミラとは幼い頃から一緒にいたが、大事にされているなんて思ったこともなかったのだ。エルリアの手が、無意識にテーブルの下で固く握りしめられる。
「カミラが私を大事にしていたなんて、そんなわけ……ないよ。だって、だってカミラは……」
言い淀むエルリアに、イライザは何度目かのため息をついた。
「カミラがあんたの恋人を奪ったって話? 噂程度には知ってるよ。あんたの恋人がカミラに猛アプローチかけたんだってね」
イライザは手元のフォークでケーキをつついた。未だ眉間に刻まれた皺は解けない。
「……一度さ、カミラとお茶してるときに、あんたと当時の恋人が一緒に歩いてるのを見たことがあるの。あんたは荷物いっぱい持ってるのに、男はその前をスタスタ歩いてた」
「え? え? いつ?」
「……たぶん、初カレのとき。それ見たカミラの顔がさ、一瞬だけ……すごい怖い顔になった。なんて言うのかな……。分かりやすく怒ってる顔ってわけじゃないのよ。でも、目から光が消えた。美人が凄むと、こんなに恐ろしいのかと思ったよ」
エルリアが買い物の荷物を持ち、恋人が前を歩くなど、エルリアには身に覚えがあり過ぎた。一緒に荷物を持ってくれる男は、ノーマが初めてだったのだ。エルリアには「手伝ってほしい」という発想さえなかった。重い荷物を持つのは大変だからこそ、手を借りるのは申し訳ないとさえ思っていた。
「……そんなに変な光景だった?」
「当たり前でしょ。自分の恋人がしんどい思いしてるのに、興味さえ示さないなんて男女問わずありえない。あんただって、恋人がいっぱい荷物持ってたら『手伝うよ』って言うでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
エルリアは逆の立場で考えたことなどなかった。確かに自分ならそう言うが、それを自分が求めるのはどこか厚かましいような気さえした。だがそれを、イライザは「おかしい」と言っているのだろう。
「カミラが言ってたよ。『やめとけって言ったのに、なんでアレがいいんだろう』って。あんた、忠告されてたんじゃないの?」
「そ、そうだよ! それなのに、どうしてカミラがあの人と付き合うの!? それこそ……おかしいじゃない! カミラが私を大事にしていたなら、あの人を嫌ってたなら、どうして!? それに、一人だけじゃないんだよ!?」
エルリアのもとを去った恋人は三人。皆が皆、カミラと付き合うためにエルリアに別れを告げた。カミラが狙いすまして奪ったとしか思えないのだ。
「……カミラは誰にも本心を明かさない。だから私も、全部を理解できるわけじゃない。──けど、これだけは事実として言える。あんたとあの元恋人を別れさせるには、それが一番手っ取り早かった。あんたは自分から別れを告げるなんて、しなかっただろうから」
「…………私と別れさせるために奪ったって言うの?」
「さぁね。カミラの本心なんか分かんないって言ったでしょ」
鼓動がうるさい。呼吸が浅くなる。
──理解できない。頭が考えることを拒んでさえいる。
確かにエルリアは、三人の恋人と付き合っていた当時、別れたいなどとは思ったこともなかった。彼らがエルリアに料理や掃除をさせるのも、頼ってくれているのだとさえ思っていた。
「普通の神経した男ならね、恋人の友達に手を出そうなんて思わないんだよ。恋人が傷付くだろうことぐらい、考えなくても分かるからね。認めたくないだろうけど、あんたの元恋人たちは、相手がカミラじゃなくても浮気してたと思うよ」
「そんな……そんなこと……」
「じゃなきゃ、あんたと付き合いながらカミラにアプローチなんかしないでしょ。ま、あんたは浮気されても許しちゃうんだろうけど。そういうところがまた舐められんのよ」
イライザの言葉は容赦がなかった。オブラートに包むこともなく、ただ真っ直ぐにエルリアの胸に突き刺さっていく。
普通の男は恋人の友達に手を出そうなんて思わない。
エルリアが傷付くことぐらい分かるから。
──それでも彼らは、カミラを選んだ。
「そ、それは……カミラが私なんかよりずっと魅力的だっただけで……」
「あんた、すぐそれ言うよね。私なんか、って……。私はね、昔から八方美人なあんたが好きじゃなかったの。誰にでも優しいけど、それが自己肯定感の低さから来ているものな気がしてた」
「え……」
「ここまで言っても分かんない?あんたが自分を卑下することは、あんたを大事に思う人への侮辱なんだよ」
「……侮辱、なんて……」
そう否定したかった。けれど、その声は喉の奥で掠れて消えていく。
イライザはもう何も言わなかった。ただ目を伏せ、冷めてしまったであろうハーブティーを口にしている。
その沈黙が、エルリアには何よりも痛かった。




