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願うアイ  作者: めこまる
【第一章─幼馴染】
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第5話─ 危険な魅力

 アウラが会計を終えて退店すると、ノーマは店内を見回した。店内に残るのはカミラと一組の親子だけ。

 その親子のケーキ皿とティーカップも既に空で、そろそろ会計だろうかという空気を醸していた。

 

 カウンター内で洗い上げたカップを拭きながら、ふとノーマの脳裏にエルリアの言葉がよぎる。

(カミラと二人きりになるのか……。エルリアの話だとカミラは魔性の女のようだったけど……まぁ、大丈夫だろう)

 

 ノーマは楽観的に考えていた。

(前に店に来たのも偶然だったみたいだし、さっきまでは僕よりアウラさんと楽しそうに話していたし)

 何より、ノーマは特筆すべきこともない平凡な男。カミラのような女性のお眼鏡にはかなわないのだろう。

 ノーマは自身でそう考えていた。

 

「ねぇ、ノーマ。この間の新しいクッキーだけど……あれと同じように並べるの?」

 カミラの声に顔を上げる。

 彼女が指差した先には、持ち帰り用の茶葉やクッキーなどの菓子を詰めた袋が並んだ商品棚があった。

 そこに視線をやり、ノーマは「あぁ」と頷く。

 

「ありがたいことに、さっきのアウラさんみたいに家族にお土産に買って帰りたいってお客さんも多いんだ」

「へぇ……。私も帰りにいただこうかしら」

「ありがとう。詰め合わせもあるよ。そういえば、この間のクッキーだけど──」

 言いかけたところで、親子の客が席を立つのが見えた。

 

「お母さん! 僕、チョコのやつがいい!」

「はいはい。晩御飯の前に食べちゃだめよ?」

 

 小さな少年に手を引かれ、母親が商品棚へ向かう。この親子も常連だ。確か少年は四歳だと言っていた。いつも少年のおやつと父親へのお土産を買っていってくれる。

 少年はお茶ではなく甘い果実ジュースとチョコクッキーがお気に入りだ。

「ちょっとごめんね、カミラ」

「えぇ、もちろん。お客様を優先してさしあげて」

 話を中断してしまったが、カミラは全く気にする素振りを見せない。

 親子のところへ向かいながらちらりと振り向いてみるが、彼女は優雅な所作でベルーディティーを味わっている。こちらを気にもしていなかった。

 

(魔性の女って、もっとこう……ベタベタしたりとか、しなだれかかってくるイメージなんだけど……)

 やはりどうも、エルリアから聞いている話と印象が合わない気がする。

「ごちそうさま。今日のお茶も美味しかったわ」

「いつもありがとうございます」

 母親が会計を終えると、少年はクッキーの袋を抱えて扉の方へと駆け出した。

「お母さん! 早く帰ろう!」

「あっ! お店で走ってはだめよ!」

 母親の声も耳に入らないのか、見るからにテンションの上がった少年の足は止まらず──。

 

「あっ!!」

 

 ベチャッ、と派手な音を立ててすっ転んでしまった。

 床に平たくなる少年。無残にも袋から散らばったチョコクッキー。時が止まったかのような一瞬の静寂。

 そして次の瞬間──

 

「ぅわぁああん!」

 

 転んだ痛みか、はたまた目の前に散らばるクッキーへの絶望か──。少年は瞬く間に大きな声を上げて泣きだしてしまった。

「あらあら。だから言ったじゃないの…」

「大丈夫かい?」

 母親が抱き起こし、ノーマが膝や服を手で優しく払う。それでも少年はしゃくり上げながら大粒の涙を零して激しく泣きじゃくっている。

 

「すみません、床を汚してしまって……。掃除しますから……」

「いやいや、大丈夫ですよ。そんなの僕がやりますから」

 申し訳なさそうな母親に気を遣わせまいと、ノーマは穏やかに笑いかけた。

 床の掃除などはあとでやれば良い。それより、今はこの子を泣きやませてやりたい。さっきまでは満面の笑みだったというのに、今は世界が滅亡したかのように泣き続けている。

 

「それより、怪我はないかい? 痛いところは?」

「ぅえっ! ぇえええっ!」

 膝は赤くなっているが、擦りむいたりはしていない。骨にも異常はなさそうだ。しかし少年は唇を曲げて眉を下げ、眉間にぎゅっと力を込めてズボンを握りしめている。

(困ったな……。せっかくあんなに嬉しそうにしてくれていたのに、泣いたまま帰したくはないんだけど……)

 

 ふと、ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐった。春の花のように淡く、しかし濃密な香り。

 気づけば、ノーマのすぐ隣に人の気配がある。視線を向けるとそこには、カミラが静かに膝をついていた。

 

「あらあら、坊や。そんなにお口を曲げていては、クッキーの妖精が入れないわよ?」

 

 柔らかく微笑んだカミラがクッキーをつまんだ手をふわふわと漂わせている。妖精を模しているということだろうか。

「『ぼくをその可愛いお口に入れておくれよぅ』」

 いつもより少し高く、愛らしい声色で発せられたカミラの声に、ノーマは吹き出しそうになってしまった。

(それ……妖精の声のつもりなのか…?)

 少年きょとんとした顔で、右へ左へと揺らめくカミラの手を目で追っている。


(……泣き止んだ)

 

 ノーマは目を丸くして母親と顔を見合わせた。

 カミラの手が少年の口の前で止まり、ぷるぷると何かを訴えるように震えだす。

「『ぼくはそのお口に入りたいんだよぅ』」

 カミラが再び妙な声色で言った。

「へぁ……?」

 ぽかんと開いた少年の口に、カミラは優しくクッキーを差し込んだ。少年の涙で潤んだ目が真ん丸に開く。しかしすぐに彼は、素直にもぐもぐと口を動かし始めた。

 ふと見れば、カミラの左手にはクッキーの袋。いつの間にか商品棚から取ってきていたようだ。

 

「美味しい?」

 揃えて立てた両膝で頬杖をつき、カミラが笑顔で問いかけた。

「おいしー!」

 少年が満面の笑みで答える。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔に、ようやく笑顔が戻った。

「それは良かった。でもそんな顔をしていては、せっかくのクッキーがしょっぱくなってしまうわよ」

 カミラがスカートのポケットから取り出したハンカチで少年の顔を拭いてやった。その光景に、それまでぽかんと見ていた母親が慌てて声を上げる。

 

「す、すみませんっ! ハンカチが……! 洗ってお返ししますから……!」

「いいのよ。ハンカチは汚れるためにあるようなものですもの。カバンに予備も入ってるから、お気になさらないで」

 

 おろおろする母親に構わずにカミラは少年の鼻水を拭い、頬を柔らかくつつく。そして左手に持っていたクッキーの袋を少年に差し出して、にっこりと笑みを浮かべた。

「これ。私のクッキー、坊やにあげるわ」

「いいのーっ?」

「え゙っ!?」

 止めようとする母親をノーマは手で制した。

 母親の立場としては、見知らぬ人にそこまで世話になるわけにいかないと思っているのだろう。しかし、少年の喜び輝く表情に水を差してやりたくはない。

 

「もちろんいいわよ。だからもう泣く理由はないわね? おうちでパパとママと、仲良く食べなさいね?」

「うんっ! ありがとう、お姉ちゃん!」

 少年はすっかり機嫌を取り戻したようだ。母親もホッと息をついている。

 

「ありがとうございます。あの……クッキー代…」

 カバンから財布を取り出そうとする母親に、カミラがひらひらと手を左右に振った。

「そんなにお気になさらないで。私がこの子を笑わせたくてしたことですもの。子供は笑っているのが一番だわ。ねぇ、ノーマ?」

 不意に水を向けられ、ノーマは戸惑いながらも母親へと向き直った。

 

「本当にそう思います。僕にとっても、お客さんが笑顔で帰ってくれることが何より嬉しいですから」

 母親は何度も礼を言って頭を下げ、少年は満面の笑みでノーマとカミラに手を振って店をあとにした。

 幼い腕がしっかりとクッキーの袋を抱えているのを見て、カミラの目が愛おしげに細められる。

 その表情は魔性の女とは程遠い慈愛に満ちたもので、ノーマは胸がじわりと温かくなるのを感じた。

 

「……子供、好きなのかい?」

 思わず問いかけると、カミラは小首を傾げて微笑んだ。

「えぇ。あなたも好きそうね? すぐにあの子の体の心配をしていたわ」

「子供の体を心配するのは当然のことだ。──けど、うん。子供は好きだよ」

 ノーマがカウンター内から箒と塵取りを持ってくると、カミラはごく自然にそれを受け取ろうとした。

 

「あぁ、いいよ。僕がやるから、座ってて」

「手伝うわよ。あなたが掃除してる横で座ってるのは、なんだか悪い気がするわ」

「ははっ。きみだって大事なお客さんなんだから、掃除なんてさせられないよ」

 カミラは渋々ではあるが、納得した様子でカウンター席へと座り直した。

 とても自然に他者に手を貸し、それを固辞されれば、引くべきところを知っている。

 

(本当に、気遣いのできる人なんだな……)

 彼女が”魔性の女”たる所以が、少し分かった気がした。ただ美しいだけではない。そもそもが人たらしなのだ。誰にでも分け隔てなく接して、するりと人の心に入り込む。かと思えば、ひらひらと蝶のように舞い飛んで去ってしまう──そんな人だ。

 

 それ故に、また会いたいと思わせてしまう魅力がある。

 アウラや先ほどの親子のような人が相手なら、ただ記憶に残る素敵な人で済むのだろう。

 しかしそれが、欲を持った男なら──手に入れたいと、思ってしまうのではないか。

 

 気遣いや優しさはエルリアだって引けを取らない。彼女にはいつも傍にいて味方になってくれる安心感がある。

 逆にカミラは、獲物を追う雄の本能を刺激する。こちらが手を伸ばさなければいなくなってしまうような、そんな焦燥感を煽るのだ。

 

「あっ。そういえばさっきのクッキー代だけど、私のお会計に足しておいてね?」

 考え込むノーマの耳に、カミラの声が届く。床に散らばっていたクッキーがちょうど一通り塵取りに入ったところだった。

「いや、いいよ。あれは僕の奢りってことにしておいてくれ」

「え?でも、咄嗟だったとはいえ勝手に商品をあげてしまったのよ?」

「さっきは本当に助かった。きみのおかげで、あの坊やが嬉しい気持ちで帰ってくれたんだ。それに──」

 塵取りの中身をゴミ箱へ落とし、カミラへと向き直る。

 

「坊やへのクッキー代を奢るくらいの手柄はくれないか? 助けられてばかりでは、店主としての面子が立たないじゃないか」

 カミラは一瞬、きょとんと目を丸くした。そして「ぷっ」と吹き出す。

「あはははっ。手柄だなんて、そんな大層なことしてないわ」

「泣いている子供が一瞬で笑顔になってしまったんだ。大手柄だろう?」

「ふ……ふふっ、大手柄……。やめて……笑わせないで……」

 

 何がツボだったのかは分からないが、カミラは肩を震わせて下を向いている。その仕草があまりに自然で愛らしく、ノーマの頬も思わず緩んだ。

 初めて彼女の“素”を見たような気がして、胸の奥が少しだけ熱を帯びる。


 そして同時に、「彼女は危険だ」と、ノーマの本能が告げていた。


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