第12話─ 願いの対価
「そん……な、カミラが……そんな願いを……?それに、子供の頃……そんな思いをしていたなんて──」
セリヴァルの話を黙って聞いていたエルリアはカタカタと小さく全身を震わせ、両手で口元を覆った。顔からは血の気が引き、呼吸が浅くなっていく。
彼女は何もかも知らなかったのだろう。カミラがどのように育ち、エルリアにどのような思いを抱いていたのか、知ろうとしたことさえなかったのかもしれない。当たり前のように両親に愛され、世界は優しいものであると信じて育ったエルリアには、カミラが生きてきた世界は想像することさえできないだろう。
どんなに傍にいても、人は見ようと思わないものを自ら見ることはできない。
「カミラは、エルリアのために友人や恋人を奪い続けていたということですか?」
エルリアの背中をさすりながら、ノーマが問いかける。
「いいえ。カミラは、あくまでも自分のためだと言っていたわ。『あの子は私の唯一なの。あの子が雑に扱われることが、どうしても我慢できなかった』ってね」
誰かのためにという思いは、ともすれば恨みに変わり得る。「あの人のために」という思いが、己の望む結果にならなかったとき、「あの人のせいで」に変わるのだ。
カミラは己の願いの本質を理解していた。
自分自身が、ひどく歪んでいるということさえも──。
だからこそ彼女は「自分のためだ」と言ったのだろう。己の願いの結果がどうなっても、何よりも大切な存在を憎まないために。
「でも、エルリアを一番傷付けてきたのはカミラじゃないですか!」
ノーマは納得できないという目でセリヴァルを睨みつけた。エルリアはただ小さく震えたままだ。
「そうよ。エルリアを傷付けてきたのは、カミラ一人。エルリアも、そう思っているんじゃない?」
セリヴァルの問いに、エルリアの肩がビクッと跳ねる。図星なのだろう。
──そうでなければ、あのようなことを願ったりはしない。
「カミラがそうなるように仕向けたのよ。エルリア──あなたが憎むのは、自分一人であるように。あなたが他人を、諦めないでいられるように」
もしもエルリアが、たくさんの人に利用され、使い捨てられたりしたら──。絶望してしまうかもしれない。他人に親切にするものではないと、優しい心を失ってしまうかもしれない。
カミラはそれを、防ぎたかった。
「カミラは、周囲の人間にエルリアを傷付けさせないために、エルリアが周囲の人間に絶望しないように、自ら傷付ける役を負ったということですか……?」
「歪んでいるわよね。……でも彼女なら、エルリアを洗脳することも容易だったはずよ。エルリアが彼女の言葉を従順に聞き入れるように。でもそれをしなかったのは、なぜなのかしらね?」
カミラにとってエルリアは唯一の光だった。ひとりぼっちだった自分に声をかけ、手を伸ばしてくれた存在。
彼女を育て、あらゆる知識と手練手管を仕込んだレイヴァンという男も、彼女にとっては救いだっただろう。だが、彼に出会うまでの日々を耐えることができたのは、エルリアの存在があったからだった。
自らの意思で手を伸ばしてくれたエルリアの優しさを、カミラは洗脳という形で崩したくはなかったのだろう。
だから彼女は待っていた。
エルリアを心から愛し、その愛情を真っ直ぐに届けてくれる存在を──。
カミラでは届けられない言葉と思いを、エルリアに届けてくれる存在を、カミラは待っていた。
「──っ」
エルリアの目が見開かれ、大粒の涙が零れ落ちる。その瞳には、あらゆる悔恨の思いが満ちていた。
きっとエルリアやノーマには、カミラのあまりに深く、あまりに歪んだその思いを理解することはできないだろう。だがきっと、カミラはそれで良いと思うのではないか。
カミラがエルリアの傍にいてほしいと願ったのは、真っ当で、誠実で、そして──歪みのない、善人なのだから。
「……魔導士さま。カミラは他にも、貴女に願ったんじゃありませんか?」
声を震わせながらノーマが問いかける。
彼は彼で、エルリアの知らないカミラを知っている口ぶりだ。
「えぇ。つい先日のことだけどね。久しぶりに会ったわ」
どこで聞きつけてきたのか、カミラはセリヴァルの泊まる宿を訪ねてきた。以前よりも情報網が広がっているのではないかと、セリヴァルですら驚いたものだ。
「ノーマ。あなたはカミラに、何を言われたの?」
問いかけるセリヴァルの声に、エルリアが濡れたまつ毛を震わせながらノーマに振り向いた。
「カミラは……」
ノーマはテーブルの上で拳を握りしめると、ためらいがちにエルリアに視線を合わせた。
セリヴァルにではなくエルリアに、カミラの残した言葉を伝えようとしているのだろう。
「ずっと、僕を待っていたと。願いは叶った、と。それから……」
「それから?」
言い淀むノーマをセリヴァルが促す。
「エルリアは、子供を産める──と」
「……え?」
エルリアの震える手がノーマの袖口を掴む。
「ど、どういうこと?だって、私はもう……」
答えを求めるようにノーマがセリヴァルに視線を向け、エルリアも振り向く。
二人と視線を交わすと、セリヴァルは静かに口を開いた。
「ノーマが言った通りよ。カミラの最後の願いは、エルリア──あなたが、もう一度子供を授かれるようにすること」
エルリアの手が無意識に自身の腹部をさすった。
諦めていた未来を得ることができる。混乱していた頭に更に突然告げられた事実に、思考が追い付いていないようだった。
「エルリアの運命の人が見つかったタイミングで叶えてほしいと言われたわ」
「対価は……?」
ノーマの問いにセリヴァルはふるふると首を横に振った。
「それだけは、誰にも言わないでくれと口止めされているの。ごめんなさいね」
カミラのことだ。誰にも知られたくないというより、自分の口で知らせたい相手がいるようにセリヴァルには思えた。
きっとそれは、この二人ではないのだろう。
「カミラの願いは三つ。エルリアが、自分のことだけを一途に愛してくれる人との縁を得ること。その人と確実に結ばれることができるよう、一度限りの"覗く目"を得ること。──そして、エルリアが再び愛する人の子供を授かれるようにすること」
カミラは決して、セリヴァルに己の未来を願うことをしなかった。
己の未来は己の力で切り開く。カミラにはその意志と強さがあった。だが、それだけでは己の望むエルリアの幸せは手に入らない。
カミラはそう考えていた。
どれだけエルリアの周囲の人間を操作し、支配しようとも、エルリアが幸せになれなければ意味がない。
魔女に願わずとも、エルリアは運命の人と出会えたかもしれない。
──だが、その不確実な可能性に賭けることは、カミラにはできなかった。
「……じゃあ、私……、私は……」
セリヴァルの言葉が静かに胸に落ちるたびに、エルリアの肩が細かく揺れ始めた。喉が絞られたように浅く息を吐き続け、苦し気に胸を押さえる。
セリヴァルの口から語られた事実を、受け止めきれずにいるのだろう。
「エルリア、大丈夫……?」
ノーマが背中に手を当てた瞬間、エルリアは小さく肩を跳ねさせ、怯えたようにセリヴァルを見つめた。
「カミラは私の幸せを願い続けていたのに、私はあの子の不幸を願ったってことですか!?」
その視線を逸らすことなく受け止め、セリヴァルは答えた。
「最初に訊いたでしょう?カミラの覚悟を、知る覚悟があるか──って」
「あ……」
「エルリア。あなたの願いの対価は、"あなたが友人との間で得られるはずだった幸福"。そして、カミラの願いの対価は、あなたとの縁よ」
カミラの対価の支払いは、彼女の願いが叶ったときでいいと約束していた。そうでなければ意味がなかったからだ。
そしてカミラはノーマに"覗く目"を使用し、己の願いが叶ったことを確信した。
「あなたとカミラの縁は既に切れている。あなたがカミラの真実を知っても、彼女と分かり合えることは二度とないわ」
カミラの対価だけならば、ノーマや他の誰かを通じて思いを伝えることはできたかもしれない。
だが、エルリアは"友人との間で得られるはずだった幸福"を支払った。
「あなたたちは、知ることを望み、選んだ。もう何も知らなかった頃には、戻れない」
憎しみ続けていられたら、その方が楽だっただろう。
カミラと分かり合える幸福は、二度と得られないのだ。
「私は……謝罪することもできないんですか?願いのことだけじゃない!今までずっと、私の弱さがカミラを傷付け続けてきたのに……!」
「エルリア……」
エルリアの肩を抱くノーマの表情が苦しげに歪められる。
カミラの思いを託されたノーマは、薄々気付いてはいたのだろう。カミラが尋常ならざる思いをエルリアに抱いていたことに。だから、自分だけでも話を聞きたいと言ったのだ。
「それが、友人の不幸を願ったあなたの──対価よ」
それは、願ったことへの後悔なのか、これまで見ようとしてこなかったことへの後悔なのか──エルリアの慟哭が響いた。




