第9話─ 叶った願い
イライザと別れたあと、エルリアはぼんやりと街を歩いていた。
「私はただ、万人に好かれようとするあんたに、少しはカミラのことを知ってほしかっただけ」
イライザは最後にそう言っていた。
(私は……そんなつもりなかった……)
だが、思い当たる節がないわけではない。
最初の恋人と付き合っていたとき、確かにカミラには忠告された。もっとエルリアを大事にしてくれる人と付き合ってほしい、と。彼はエルリアを大事にしていない、と。
それでも、彼にも優しいところがあるからと聞く耳を持たなかったのは自分ではなかったか。
後輩にご飯をご馳走していたり、プレゼントをよくしていた。エルリアに同じようにはしてくれなかったが、その分、他の人に色々してあげられるのだからそれでいいと思っていた。
彼にとってのエルリアは"身内"だから、気を遣わないだけだと。
(カミラは……私に怒ってたのかな?)
ぼんやりと歩いていると、無意識にノーマの店の近くまで来ていることに気がついた。
「あ……」
店にはまだカミラがいるだろうか。彼女の思いが何であれ、今は会いたくないなとエルリアは思った。
(今日は……帰ろうかな)
踵を返し、街を出る方向へと足を向ける。
──そのときだった。
「きゃああああっ!」
突如聞こえた女性の叫び声。
それと同時に、けたたましい物音と馬の嘶きが周囲に響き渡った。
(な、なに……!?)
視線を向けると、そこには暴れる馬を抑えようとしている馬車と、倒れた女性の姿があった。
「女の子が馬車に轢かれたわ! 誰かお医者さまを!」
中年の女性が声を上げながら、倒れた女性へと駆け寄る。意識を失い、ぐったりと抱き起こされた女性の姿は、見紛うことのない──彼女だった。
「……カミ……ラ?」
嘘だ。
真っ先に、エルリアはそう思った。そう、思いたかった。
そんなはずない。カミラのはずがない。きっとよく似た別人で、カミラじゃない。だってカミラは、ノーマの店にいたのだから。
だが──
「カミラ!?」
騒ぎを聞きつけたのだろうか。ノーマが飛び出してきた。
そして医者を探そうと周囲を見渡し、エルリアと視線がぶつかる。
「エルリア……?」
「あ……、ノー……マ」
驚いたように見開かれる目に、喉がひくついた。全身の血の気が引いていく。
──きみがやったのか?
そう言われているようで、震えが止まらない。
「ちがう……、違うの、ノーマ……」
喉が張り付くように乾いていく。唇が震え、掠れる声は馬の荒い鼻息と群衆のざわめきにかき消されていく。
「私は医者だ! 怪我人を診せろ!」
「お医者さま! こっちです!」
医者を名乗る男がぐったりしたカミラに駆け寄り、それを確認したノーマがエルリアへと足を向けた。
逃げ出してしまいたかったが、エルリアの足は震えるばかりで動かない。
「エルリア! 来ていたのか! 大丈夫かい? 事故の瞬間を見たのか? 怖かっただろう?」
心配そうな目をしたノーマがガシッとエルリアの両肩を掴む。
「違うの……私、そんなつもりじゃなくて、ただ軽い捻挫程度で済むと思ってて、それで……」
「……エルリア? 何? どうしたの?」
大きな手がエルリアの頬を撫で、滲む脂汗に張り付く髪を払ってくれる。
それでも、エルリアは彼の目をまともに見ることができない。
「──っ! そうだわ! 魔導士さま! 魔導士さまにお願いすれば……!」
ハッと思い立ち、エルリアはノーマの両腕を握り返した。
「魔導士……? エルリア、落ち着いて。きみも魔導士に会ったのか?」
"魔導士"という単語に反応を示したノーマは、エルリアの顔を強引に上向かせた。
きみも、という言葉が少し引っかかったが、それを問い返す余裕はエルリアにはなかった。
「魔導士さまなら、きっとカミラを助けてくれるから……」
妖しく美しい魔女が宿泊している宿はここから近い。
エルリアが振り向くと、宿の窓からこちらを見ている女性と目が合った。あの宿と事故の現場は、間に別の建物があるものの直線状にあったのだ。もしかしたら魔女は、事故の瞬間を目撃していたかもしれない。
「すぐそこの宿にね、泊まっていらっしゃるの。だから、ね? 行こう、ノーマ……」
「あ、あぁ……」
戸惑うノーマの手を引き、エルリアは駆け出した。
あの翠玉の瞳をした魔女なら、カミラの怪我を治してくれる。
──そう信じて。
***
「いらっしゃい。来ると思っていたわ」
宿に駆け込むと、セリヴァルはもう階下に来ていた。
二人が来ることを見越して出迎えにきていたようだ。
「あ、あのっ、魔導士さま……!」
セリヴァルのしなやかな指先がエルリアの唇に触れ、言葉を制する。
「話は部屋で、ね?」
息を呑んだエルリアが小さく頷くと、セリヴァルは次いでノーマへと視線を移した。
「あなたがノーマね?」
「は、はい。貴女は……」
「セリヴァルよ。旅の魔導士ってとこ。二人とも、いらっしゃい」
セリヴァルの言葉に従い、エルリアとノーマは彼女が泊まる部屋へとついていった。
小さなテーブルには既にティーカップが三つ用意され、ポットからは湯気が伸びている。セリヴァルがカップに茶を注ぐと、ふわりと甘い香りが部屋に満ちた。
促されるままに腰を下ろし、エルリアは温かいカップを両手で包んだ。くゆる湯気の香りを嗅いでいると、張り詰めた心が不思議と少しずつ緩んでいく。
「二人の用事は別々のようね? ──どちらも、大体の予想はつくけれど」
セリヴァルの言葉に、エルリアは目を丸くした。
(別々……? ノーマも、魔導士さまに何か……?)
恐る恐る視線を上げると、ノーマは睨むような目でセリヴァルを見据えていた。彼がどうしてそんな目をしているのか、エルリアには分からなかった。
「色々と聞きたいことがあります。あり過ぎて、何から聞いたらいいのか分からないが……」
「答えられることには答えましょう。じゃあ、一つずついきましょうか。まず、最優先に聞きたいことは?」
ノーマがわずかに表情を緩め、エルリアへと視線を向ける。
エルリアの心臓が思わずギクリと跳ねたが、彼はただ優しくエルリアの手を握りしめた。
そして再び、セリヴァルへ鋭い視線を戻す。
「カミラを知っていますか?」
「えぇ。知っているわ」
「彼女が事故に遭ったことは?」
「それも、見ていたから知っているわ」
セリヴァルの答えに、エルリアは「え?」と小さく声を漏らした。
エルリアは確かにセリヴァルにカミラの話をした。だが、それだけだ。エルリアの話からカミラの名を知っているということであれば、そのように答えるのではないか。それに、先ほどの事故を目撃していたとしても、その被害者がカミラだとなぜ分かるのだろうか。
あれが、エルリアが願ったことだったからなのか──。
血の気が引きそうな手を再びノーマがぎゅっと握りしめた。
──大丈夫だよ。
温かい手の温度からノーマのそんな気持ちが伝わってくるようで、エルリアは胸が痛んだ。
「カミラを助けることはできますか?」
淡々と落ち着いた声で問うノーマに、セリヴァルもまた淡々と答えを返す。
「無理ね。あれは、起こるべくして起きた事故だから。というか、そもそも私が助けるほどの怪我ではないわよ。普通に医者の手当てを受ければ、直に良くなるわ」
起こるべくして起きた事故。やはりあれは、自分の願いの結果。そう気づいた瞬間、エルリアは唇を噛んだ。
そんなエルリアとは対照的に、ノーマはホッとしたように息をついた。しかしすぐに、眉間に力が込められる。
「カミラの左目は、貴女の仕業ですか?」
「"仕業"だなんて、人聞きが悪いわねぇ」
「ではやはり、貴女が──」
「えっ? 待って、待ってノーマ! なんの話?」
エルリアは思わず割って入った。カミラの左目がどうかしたというのか。先ほどノーマとカミラは二人きりで会っていたが、そのときに何かあったのか。
エルリアの願いが叶ってしまったということは、カミラがノーマを誘惑したことは確かなのだろうが──。
「エルリア。さっきまで、カミラは僕の店にいたんだ。そのとき、左目の……妙な力を使っていた。僕の思考に入り込むような。そのあとのカミラの左目は……何も見えていないようだった」
「なに……それ」
カミラが不思議な力を使えるなど、聞いたこともない。確かに彼女は人の心に入り込むのが得意だが、それはあくまで卓越した話術や観察眼によるものだ。
ノーマはそれを、今目の前にいる翠玉の魔導士の仕業だと考えているようだった。だからここに来る前、"魔導士"という単語に反応を示したのだ。
「カミラの左目の力は、私が与えたものよ。一度だけの、覗く目。あの子は"見抜く目"を欲しがったけど、それは無いから自分で覗いて判断しなさいと言ったの。その対価が、左目の視力よ。魔力を持たないあの子に、あの目は負荷が高いからね」
「……そういうことか」
ノーマが奥歯を噛み締める。何かを悟ったように深く息をつき、悔しそうに両手で頭を抱えている。
その様子に、セリヴァルの翠玉の瞳が細められた。
「カミラに……会ったことがあったんですか? 私より先に?」
今度はエルリアがセリヴァルに問い、彼女は「えぇ」と答えた。
「カミラに会ったのは何年か前よ。本当に見聞の広い子よね。魔術や魔法とは縁のない生活をしているのに、どこかで私の噂を聞いたようでね。自力で探し出してきたわ」
「どうして……言ってくれなかったんですか? 私のことも、最初から知ってたんですか……?」
エルリアの声が震える。
セリヴァルはエルリアがカミラの話をしたとき、既にカミラのことを知っていた。カミラがエルリアのことをどう話したのかは分からない。だが、セリヴァルはおそらく、エルリアが話す"カミラ"という名が誰を指しているのか気付いていたはずだ。
「訊かれなかったからよ。情報には価値がある。人の未来を変えてしまうほどにね。だから私は、本人が望まない限り余計な情報は与えない」
「そん……な」
「エルリア」
静かに重く返された言葉に沈む肩が、ノーマの低い声にビクッと跳ねた。
「きみは、魔導士さまに何を願ったんだ?」
「あ……」
「彼女にカミラのことを話して、何かを願ったんだろう? 僕には言えないこと?」
しまった、とエルリアは思った。今の会話の流れで、ノーマはエルリアがセリヴァルに会い、何かを願ったことを察してしまった。
思わずセリヴァルへ振り向くが、彼女はただ黙ってティーカップを口にしている。自分から漏らすつもりはないという意思表示だろうか。ノーマもまた、エルリアが願ったことをセリヴァルに問おうとはしない。あくまでもエルリアの口から話してほしいのだろう。
(ノーマに嘘はつけない……)
膝の上で、ぎゅっと両手を握りしめる。
「カミラが……もしもカミラが、ノーマにアプローチするつもりで近づいたら……しばらく動けなくなる程度の怪我を負うように、って……」
「そんなことを……?」
ノーマの声が震えた。俯くエルリアの目には映らないが、きっと彼の目は大きく見開かれているのだろう。或いは、軽蔑に満ちた目をしているのかもしれない。
「ちょっと捻挫する程度だと思ったの……。少し痛い目に遭えば、カミラが懲りてくれるんじゃないかって……。もうあなたに近付かなくなるんじゃないか、って。私、あなただけは取られたくなくて……」
言い訳のような言葉を続けながら、声がどんどん小さくなっていく。
ぎゅうっと握りしめた手を、再びノーマの大きな手が包んだ。
「エルリア。すまない。僕がきみを不安にさせてしまっていたんだね……。カミラがどんなつもりであれ、僕がきみにちゃんと信頼を得ていれば、そんな願いをさせなくても良かったのに」
「ち、違うわ! ノーマは何も悪くない! 私が、私がちゃんと……ノーマを信じていれば……」
思わず顔を上げ、ノーマの悲し気な目を見たとき、エルリアは気付いた。
──己の視力をなくしても『どうってことない』って言ってのける人間だっているわけだし。
あのときセリヴァルは、そう言っていた。あれは、カミラのことだったのだ。
カミラが左目の視力を失ってでも得た"覗く目"とは、何だったのか。彼女はノーマの何を覗き、何を判断したのだろうか。
「魔道士さま……。"覗く目"って、なんですか?カミラは、魔道士さまに何を……願ったんですか?」
その問いに最初に反応したのはノーマだった。エルリアの手を握る指先がピクリと震え、視線を伏せている。
セリヴァルがゆっくりとティーカップを置き、凛とした声で問う。
「本当に、知りたい?」
翠玉の瞳が鋭く光り、エルリアを真っ直ぐに射抜く。
「え……?それって、どういう……」
「ノーマはもう、気づいているんじゃないかしら?」
「──っ!」
ノーマがビクッと肩を震わせた。
エルリアが怪訝な目で見上げても、彼はただ視線を彷徨わせるばかりだった。
「エルリア。カミラは己の望みのために、深い覚悟で私に願った」
セリヴァルの明瞭な声がエルリアの鼓動を跳ねさせる。
「あなたはそれを、知る覚悟がある?」
その言葉に、エルリアはイライザに言われたことを思い出した。
── 私はただ、万人に好かれようとするあんたに、少しはカミラのことを知ってほしかっただけ。
心臓が嫌な音を立てる。知らない方がいいような気さえしてくる。
知ればきっと、戻れない。
「エルリア」
ノーマが穏やかな声で呼びかけた。
「僕は、知りたい。知るべきだと思ってる」
「ノーマ……」
「きみが嫌なら、僕だけでも話を聞くよ。もしいつか、やっぱり知りたいと思うなら、僕からきみに話すから」
だから無理しなくていい、とノーマは続けた。
(本当に、それでいいのかな……。私が知らないカミラの願いを、ノーマだけが知るなんて……)
助言が欲しくてチラリとセリヴァルを見ると、彼女は射抜く瞳のまま告げた。
「あなたが決めるのよ、エルリア。己がどうするべきなのか、どうしたいのか。己の願いを間違えてはいけないわ」
「……私が、どう……したいのか……?」
エルリアは視線を落とし、痛む記憶をなぞった。
カミラには恋人を奪われた。それも三度も。
──カミラがノーマにアプローチするつもりで近づいたら、しばらく動けなくなるような怪我を負う。
その願いが叶ってしまったということは、ノーマのことも誘惑したのだろう。今までの恋人たちも、やはりカミラが意図的に誘惑したのではないか。
ノーマの様子から察するに、彼はカミラの誘惑には乗っていない。だからカミラは"覗く目"とやらを使ったのだろうか。
片目の視力を失ってまで叶えたかった手に入れた目で、彼女は何を見て、何を判断したというのか。
それがもし、なんとしてもノーマを手に入れるためのものだったとしたら──。
「し、知りたいです!きっと私も、知るべきです!」
カミラの狙いが分かれば、対策できるかもしれない。
ノーマだけは、奪われないように。
今度こそ、失わないように。
「……そう。分かったわ」
エルリアの瞳に灯った熱に、セリヴァルは表情を変えず静かにうなずいた。
そしてエルリアの隣では、ノーマが密かに眉を顰めていた。




