第1話「魔界の監視カメラ事件」
「ただいま」
魔法学校から帰宅して玄関のドアを開けた瞬間、リビングに浮かぶ無数の小さな水晶玉が目に入った。
また始まったか。
私は表情を変えることなく、台所で呆れた表情を浮かべる母の姿を確認した。元勇者として数々の困難を乗り越えてきた母でも、夫の奇行には毎回頭を抱えているようだ。
「お帰り、ユイ。お父さんがまた...」
「愛娘よ!ユイちゃん、お帰りなさい!」
母の言葉を遮るように、父の興奮した声がリビングから響いた。
いや、人が話してる途中で割り込むな。
会社から帰ったばかりなのか、まだスーツ姿の父が水晶玉の一つを手に取りながら、満面の笑みで私に向かって手を振っている。
「今日は完璧な監視システムを導入したのだ!これでユイちゃんの安全は万全だぞ!」
完璧って何が完璧なんだ。家中に怪しい水晶玉が浮いてる時点で完璧じゃない。
「監視システム、ね」
私は淡々と父に近づいた。
「また魔界の道具?」
「そうだ!マモンから『魔界最新式・愛情監視水晶』を特別価格で譲ってもらったのだ!」
愛情監視って名前からして気持ち悪い。
父は嬉しそうに水晶玉を掲げる。その瞬間、水晶玉から青い光が放たれ、私の顔をスキャンし始めた。
勝手にスキャンするな。
『対象:愛娘ユイ。現在の愛情レベル:45%。標準値を下回っています』
機械的な音声が響く。
なんだこの機械。愛情を数値化するとか頭おかしいだろ。
「なんと!ユイちゃんの愛情レベルが低下している!これは緊急事態だ!」
父は慌てふためいた。
緊急事態って何だよ。そんなもので大騒ぎするな。
「お父さん、それ故障してるんじゃない?」
私は冷静に指摘した。
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「親父、その水晶玉の精度はどの程度だ?」
階段から降りてきたのは、王立魔法技術研究所で働く兄のレンだった。
あ、来た。最悪のパターンだ。
研究服を脱いで普段着に着替えたばかりのようで、まだ髪が少し乱れている。
「レン!息子もユイちゃんの危機的状況を理解してくれるか!」
危機的状況って何が危機的なんだ。
「違う」
レンは冷静に父を見つめた。
「その水晶玉、感情測定のアルゴリズムが古すぎる。魔界の技術は威力はあるが、精密性に欠けるんだよ」
よくそんな専門的な話ができるな。
「なんだと!」
「それに」
レンは水晶玉を手に取り、詳しく観察し始めた。
「この測定方式だと、疲労やストレスも『愛情低下』として誤認識する可能性が高い。愛しいユイちゃんが学校から帰ったばかりで疲れているのは当然だろう」
そういう問題じゃないんだが。
「さすが息子よ!では、より正確な測定ができる改良版を...」
「任せろ、親父」
また共闘モードに入った。
なんで兄は父を批判してたのに、結局協力するんだ。一貫性を持てよ。
私は小さくため息をついた。普段は父の行動を批判する兄だが、私のことになると父と協力してしまうのだ。このパターンを何度も見てきている。
いい加減学習しろ。
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「やあ、紳士諸君」
窓から堕天使マモンがひょっこりと顔を出した。
出た。問題の元凶が。
金髪に小さな角、そして黒い翼を持つ彼は、見た目こそ美しいが、その性格は問題だらけだ。
「マモン!ちょうど良いところに!もっと高性能な監視装置は...」
父は振り返った。
ちょうど良くない。むしろ最悪のタイミングだ。
「ああ、それなら心配ない」
マモンは落ち着いた口調で大きな袋を取り出した。
「『愛情測定機能付き・24時間完全監視システム』。これなら可愛いユイちゃんの一日を完璧に把握できる...」
だんだんテンションが上がってきてる。
「ひゃっほう!これで天使のような少女の生活が丸見えだぜ!」
完全に変態モードに入った。
「それだ!」
父とレンが同時に叫んだ。
息ぴったりだな、この二人。
「ちょっと待ちなさい」
母のアキが台所から出てきた。
やっと常識人が登場した。
「マモン、あなたまた幼稚園で問題を起こしたって連絡があったんだけど」
「あ、あー...」
マモンは急に落ち着いた口調に戻って視線を逸らした。
「ちょっと警備のお手伝いを...」
警備って名目で何やってたんだ、こいつ。
「警備じゃなくて不審者扱いされてたじゃない」
やっぱりな。
「またやってしまったか...」
マモンがぼそりと呟いた。
予想通りの展開だ。私は冷静に状況を観察していた。
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マモンが持参した新しい監視システムは、家中に小さなカメラを設置し、私の一挙手一投足を記録し始めた。
勝手に設置するな。
『愛情度:48%。微増中。推定原因:家族への安心感』
機械的な音声が響く。
安心感って何だよ。全然安心してないんだが。
「おお!」
父は感激した。
「やはりユイちゃんの私への愛情が...」
勝手に解釈するな。
『警告:対象が浴室に移動中。プライバシー保護モードに移行します』
「プライバシー保護だと?」
レンが眉をひそめた。
「それでは完全な監視にならないじゃないか!愛しいユイちゃんの安全確認ができない!」
完全な監視って何だよ。犯罪者の発想か。
「俺が改良する」
レンは研究者の血が騒ぐのを感じているようだった。
「魔法工学の知識を応用すれば...」
「お兄ちゃん、それは犯罪」
私は平然と指摘した。
しかし、父とレンはもう聞いていなかった。
人の話を聞け。
二人は魔界道具と魔法技術の融合に夢中になっている。
「親父の魔界道具に、俺の精密制御魔法を組み合わせれば...」
「私の魔王の力で出力を上げて...」
いつまでやるんだ、この会話。
『システム過負荷。緊急停止します』
突然、全ての水晶玉とカメラが赤く点滅し始めた。
「壊れた」
当然の結果だ。
私は淡々と呟いた。
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「システムダウンだと?」
父は慌てた。
「ユイちゃんの監視ができなくなってしまう!」
監視できなくて何が困るんだ。
「まだ他の手段がある」
レンは冷静に別の魔法道具を取り出した。
まだあるのかよ。
「俺が開発した『感情共有クリスタル』なら...」
感情共有って何だよ。気持ち悪い。
「それは完全にプライバシー侵害」
「愛しいユイちゃんの安全のためなら多少の犠牲は...」
「多少じゃない」
私の冷静な指摘も虚しく、父とレンは次々と新しい監視装置を設置していく。
なんで私の話を無視するんだ。
家中が魔法陣とクリスタルと水晶玉だらけになった。
もう家じゃなくて研究所だろ、これ。
『愛情度:30%。急激な低下を検出。ストレス値:危険領域』
「大変だ!」
父は青ざめた。
「ユイちゃんのストレスが!」
ストレスの原因はお前らだ。
「原因は明らかに俺たちの監視だな」
レンも焦った。
分かってるじゃないか。
「でも、監視をやめるわけにはいかない!」
分かってないじゃないか。
「そうだ!ストレス解消用の魔界グッズを...」
「俺は心理的安定を促進する魔法陣を...」
二人はさらに家中に魔法道具を設置し始めた。
本末転倒だ。
どこまで頭が悪いんだ、この二人は。
私は呆れながらも、表情は変えなかった。
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「お父さん、お兄ちゃん」
私はいつもと同じ平坦な声で呼びかけた。しかし、自分でも分かるくらい、その声には今までにない冷たさが含まれていた。
「愛情って言えば何でも許されると思ってる?」
「し、しかしユイちゃん...」
「俺たちはユイちゃんのことを...」
まだ言い訳するのか。
「心配してくれるのは分かってる。でも、これは愛情じゃなくて監視」
私の冷静だが容赦ない指摘が家中に響いた。
『愛情度:15%。過去最低値を記録』
「あああああ!」
父とレンが同時に絶叫した。
うるさい。
「当然の結果」
私は淡々と呟いた。
その時だった。
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「あなたたち...」
低く、冷たい声が響いた。
来た。最終兵器の登場だ。
振り返ると、そこには完全に怒りモードに入った母が立っていた。
元勇者の威圧感が部屋全体を包む。魔法学校の理事長として普段は優雅な母だが、今は完全に戦闘モードだった。
この威圧感、毎回思うけど本物の勇者は格が違う。
「聖剣よ、我が手に...」
母が台所の包丁を手に取った瞬間、それは神々しい光を放ち始めた。
包丁が聖剣になった。
実際には普通の包丁だが、元勇者の手にかかれば立派な聖剣である。
「あ、アキ...」
父は青ざめた。
「お、お母さん...」
レンも震え上がった。
今更怖がるな。
「マモンも」
母の視線が堕天使に向いた。
「あなたが余計な道具を持ち込んだからでしょう」
「ふん、アキの言うことなど...」
また言った。学習能力ゼロか、こいつは。
次の瞬間、マモンは母の魔法で宙吊りにされていた。
「ぎゃああああ!すみませんでした!」
「逃がさない」
逃げられると思うな。
いつものパターンだ。私は冷静に状況を見守った。
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「全員、正座」
母の一言で、父、レン、マモンが一列に正座させられた。
あっという間に鎮圧完了だ。
監視装置は全て魔法の力で無力化されている。
「お父さん」
母は父を見つめた。
「あなたの愛情は理解してるけど、限度があるでしょう」
「はい...」
「レン、あなたも研究者なら、もう少し論理的に考えなさい」
「すみません...」
「マモン、あなたは出入り禁止」
「そんなあ...」
「二度と変な道具を持ち込んだら、本当に魔界に送り返すからね」
三人は震え上がって頷いた。
これで平和が戻る。
「お疲れ様、お母さん」
私は平然と母に声をかけた。
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制裁が終わった後、我が家は久しぶりに静かなリビングで夕食を囲んでいた。
やっと普通の家族の時間だ。
「ユイちゃん」
父がぽつりと呟いた。
「心配のかけ方を間違えていたかもしれん...」
今更気づいたのか。
「そうだね」
私は淡々と答えた。
「でも、心配してくれる気持ちは嫌いじゃない」
「そうか...」
父は少し寂しそうに微笑んだ。
「俺も反省してる」
レンも珍しく素直だった。
「ユイちゃんの気持ちを考えずに、技術的な興味が先走った」
反省してるなら次からやめろよ。
「でも」
父が急に表情を明るくした。
あ、やばい。また何か言い出すぞ。
「家族の絆を確認できて嬉しかったぞ!」
結局そこに着地するのか。
「まあ、それはそうかも」
私は小さく頷いた。
「本当か!ユイちゃん!」
「愛しいユイちゃんが喜んでくれて俺は幸せだ!」
父とレンが同時に感激した。
「お父さん、お兄ちゃん、人前で泣かないで」
私は冷静に制止した。
まあ、この家族らしいといえばらしい。
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翌朝、父が会社に出かける前に玄関で呟いた。
「今日も8時間、ユイちゃんと離ればなれか...」
毎朝同じこと言ってるな。
「いってらっしゃい」
私は平然と父を見送った。
その時、玄関のドアベルが鳴った。配達員が大きな箱を届けに来たのだ。
「魔界通販便です。魔界グッズの配達で...」
また来たのか。
私は箱を見つめた。
箱には『愛情確認用・テレパシー装置』と書かれていた。
テレパシー装置って何だよ。
「また届いてる」
父はもう会社に向かった後だった。
「今日も平常運転、か」
私は空を見上げることもなく、平然と箱を家の中に運び込んだ。
面倒くさい家族だが、それが日常の一部として完全に受け入れている。
というより、この家族以外の日常なんて、もう想像できないかもしれない。
まあ、退屈はしないからいいか。