第12章「視線の奥の真実」
ぱんは、今日も笑っていた。
「おはよ~♡」
教室のドアが開いた瞬間、空気が少しだけ凍った。
だが、誰もその理由を言葉にできない。
ただ――“何かが変わってしまった”と、肌で感じていた。
ふー太郎は軽く手を振る。「おはよ、ぱんちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
ぱんはにこにこしながら席につき、ランドセル型のバッグからリボン付きの手帳を取り出した。
中には、一人ひとりの“好きなもの”と“嫌いなもの”のメモがびっしりと書かれていた。
「Aちゃん……笑った顔かわいい。りおんちゃん……甘いの好き。せきたて……おもしろい変態。
ふー太郎……弱点、ないかも♡あ!でぶ!」
ぱんは、ページの端を破ってくしゃくしゃに丸めた。
—
一方、旧放送室。
もぶAの名で活動していたVtuberキャットの映像が、匿名で再びアップされた。
《No.003:“紅茶事件”の証言》
「俺は――72時間合宿の夜に気づいた。
誰かが俺たちの飲み物に何かを入れた。
そして“彼女”だけが、異常なく微笑んでた。
ぱん。お前だけが、何も失ってなかった」
映像の最後、うっすらと映るぱんの後ろ姿。
その顔は見えない。けれど、何よりも不気味だったのは、
その“無音”の空気だった。
—
「ぱんちゃん、あの映像……見た?」
Aちゃんが尋ねると、ぱんは首を傾げてにっこりした。
「え、なになに? そんなの見てな~い♪ あたし、夜はずっと寝てたもん」
「……そう。なら、いいの」
でもその時、Aちゃんの胸の奥にざわつく何かが芽生えていた。
“この子だけが無傷でいられる理由”を、本能的に察していた。
—
昼休み。
りおんは一人、鏡の前に立っていた。
「ねえ、そらん。今、出てきたい?」
鏡の中の自分が笑った。
『うん♡ もう、黙ってらんないよね。だって――あの子、ちょっと調子に乗りすぎだもん』
「……あの子?」
『ぱん、だよ。アイツ、“ぜんぶ隠してる”のに、誰にも疑われないでしょ? ムカつかない?』
そらんの声は甘く、そして刺すように冷たい。
—
放課後。
生徒会室では、せきたてが腕立てしながらぽつりと語った。
「俺さ、あの“映像の原本”を持ってるやつ知ってる」
クオンが食い気味に訊く。「誰だ?」
「ぽんぽこ先生だよ。あの人、全部気づいてた」
「なぜ隠す……?」
「たぶん――生徒を守りたかっただけなんだよ。あいつが“教師”でいるために」
—
その夜、視聴覚室のスクリーンが、誰かによって無断使用されていた。
映されたのは、再編集された“紅茶事件”の映像。
しかし、クライマックス直前。
紅茶を差し出した人物の顔が映るはずの場面だけが――白く飛ばされていた。
その瞬間、校内放送が鳴る。
《……ねぇ、みんな、私のこと信じてくれるよね? ね?》
ぱんの声だった。
《だって、私は――みんなの“癒し”だもん》
—
つきは、自分のノートに書き込んだメモを見て震えていた。
「72……ふー……あれ、ぶる……あたし、どっちを……?」
その記憶の混濁の中に、“におい”が残っていた。
紅茶じゃない、納豆のような……異物の香り。
—
深夜、鏡の前でそらんは告げる。
『Aちゃん、明日、言ってくると思う。
「あなたのことが好き」って』
りおんは黙って、うなずいた。
『でもね、あたし……先に“あの子”に宣戦布告してくるね』
—
そして、誰もいない教室。
ぱんは黒板にチョークでゆっくりと書いていた。
「つぎは……“Aちゃんの記憶”、包んであげるね」
黒板に書かれた文字:
《しあわせな記憶だけ のこしましょう♡》
その文字の横には、小さな笑顔の落書き。
そして机の下に、血のように赤いリボンが――