第十三話 ヤニク到着
移動する馬車の中で寝て朝を迎え、一日中を馬車の中で過ごす。
揺れる馬車の中でイルルはぐったりしていた。
「やっぱり美味しいですよね?」
「美味しくないよ。飲めないわけではないけど」
答えるイルルは先に覚悟を決めてあったからか、実体魔力のポーションを最初からある程度飲めていた。
――猫状態で。
「魚の内臓とか好きだからかな」
「あれもホロ苦で美味しいですもんね」
楽しそうなセラだが、イルルの方はあくまでも無理をして飲んでいるだけだ。人状態では飲めず、味覚が変化する猫だからぎりぎり飲めただけである。
セラの味覚は人より猫に近いのか。
同乗する医師は興味深そうにセラとイルルを観察していた。
医師は騎士団の所属故に実体魔力のポーションを飲まされた過去がある。
イルルが猫に変化すれば実体魔力のポーションを飲めるのは興味深いのと同時に、やや恐ろしい話でもあった。
アウリオ、ダ・クマ、イルルという実体魔力のポーションを飲める人間がこの短期間で三人も現れてしまったからだ。
騎士団上層部が「なんだよ、飲める奴いるじゃーん」と新人騎士たちの適性試験で飲ませ始めたら、騎士団は離職者や内定辞退が相次いで立ち行かなくなる。
医師は今後の騎士団の存続を危ぶんでいた。
自分が不幸な未来を何とかして回避しなくてはと震えている医師をよそに、イルルは実体魔力を動かす感覚に慣れるため魔力を操作しながら口を開く。
「あんまり魔力を鍛えてなかったからできること少ないなぁ」
冒険者ギルドの受付嬢であるイルルの体内魔力は十魔火程度。実体魔力のポーションは飲むと五魔火を消費するため、自由に扱えるのは五魔火しかない。
「セラはどれくらい体内魔力があるの?」
「最後に計った時が五十魔火だったと思います」
魔法師団でも入団時の平均が四十魔火。筋力と同じで鍛えれば伸びるとはいえ、五十魔火は魔法師団でもベテランの数値だ。
二十五魔火で入団できる騎士団の中でも、戦闘に関わらない医療班の魔力量は多くない。医師はぎょっとした顔でセラを見る。
イルルは魔力を操作してセラからもらった訓練用の紙を畳みながら「へぇ」と納得したように頷く。
「船を持ち上げたりトレントを打ち上げたり、私じゃできないって思ったけど魔力量の違いなんだね」
「そうですね。ただ、実体魔力のポーションを普段使いしていると魔力をよく使う分、体内魔力も増えていくのでイルルもそのうち出来ますよ」
「興味はあるけど、今回みたいに危険な動物の巣に突撃命令なんて受けたくないよ」
「今回はともかく、危険な動物の巣への突撃はイルルのように飲める人がいるという前例があれば騎士団の方で候補者を探し――」
「――お二人とも! 景色とか! 見てはいかがでしょうか!?」
医師の魂の叫びにセラとイルルは気圧されて何度もうなずく。
そういえばこんな人がいたな、という顔のセラとイルルに医師は胸を撫で下ろしながら笑顔を取り繕う。
「地元の端みたいな感じだから、いまさら景色を見るとかないです」
「左遷された時に見ましたからいまさらですね」
医師の魂の叫びは届かなかった。
※
港町ヤニクに到着すると、セラたちはすぐに動き出した。
白化雨が降っていないかの確認と戦力になる冒険者集め、白化した魔物がパラジア以降に現れていないかどうかの調査などだ。
近隣の村からの情報も集まる冒険者ギルドを訪れたセラとイルルはヤニク冒険者ギルド長コフィの部屋に顔を出す。
セラとイルルを見て、コフィは安堵したように小さく笑った。
「お帰り、二人とも。ずいぶんと騒々しいが、何かあったのかな?」
冒険者ギルドの前に王立騎士団の馬車が止まっている状況は心穏やかではいられないのだろう。コフィは窓の外を横目で見つつセラたちに質問する。
「白化雨がヤニクで降る可能性が高いので、対策をお願いします」
セラは先に結論を述べてから、事の経緯を説明する。
ヤニクは港町だ。漁師は船に乗って海に出るが、船に雨をやり過ごせるような船室があるとは限らない。特に近海の漁では素潜りをして獲った貝などを船に放り込むようなやり方もある。
漁の最中に白化雨に降られれば、漁師がもろに白化雨を浴びるかもしれない。
他にも、獲った魚を売買する市場は屋根がない。こちらも対策が必要だろう。
コフィはセラの説明を受けて疑問も挟まず動き出した。
「町全体へ通達しよう。可能な限り雨除けのテントなどを張ってどこでも雨宿りができるように準備をしつつ、冒険者を巡回させて有事の避難誘導とテントの支柱を倒すような不届き者の取り締まりを徹底する」
迅速に対応策を定めて、コフィはギルドの職員に指示を出し始める。
セラはイルルの背中を押した。
「イルルさん、コフィさんのフォローをお願いします」
ある程度は説明したが、コフィも事情を詳しくは知らない。町の住民の疑問に答えられる顔見知りとして、イルルの存在は不可欠だ。
イルルはセラを振り返る。
「セラはどうするの?」
「白化雨が降った時の役割分担を決めてきます」
コロ海藻不足の際に代替ポーションを紹介する説明会を開いた経緯もあり、顔繫ぎがなくともヤニクの錬金術師たちとの連携が取れる。
「まずはコットグさんに会いに行きますよ」
「わかった。行ってらっしゃい」
イルルに廊下で見送られ、セラはヤニク冒険者ギルドを後にした。