第十一話 白化雨の正体
国家錬金術師ギルド本部の研究室。セラに与えられているセラ専用の研究室は左遷される前と何ら変わらず放置されていた。
掃除もされていなかったらしく、机には埃が薄く積もっている。
その研究室になぜかアウリオとカマナックがいた。
「お二人とも、何をしているんですか?」
「冒険者ギルドの資料を届けに来たら、カマナックさんにここへ案内されて……」
アウリオも自分がなぜここに通されたのか分からないらしく、所在なさそうに立っている。
セラはカマナックを見た。
視線を感じたのか、カマナックは口を開く。
「セラさんが早くも何かつかんだようだから、興味があってね」
国家錬金術師ギルド本部が総掛かりでも解決の糸口を掴めなかったのだ。王都に到着して早々に動き出したセラに興味も沸くだろう。
廊下を歩いている時にじろじろ見てくる職員がいたのはそれかと納得しつつ、セラは実験の準備を始める。
「まず、事実から話していきます」
実験する前に何を確かめようとしているのかを説明しておこうと、セラはアウリオとカマナックに話し出す。
「白化雨は王国のどこか一ヵ所でしか降らず、同じように雨が降っている地域の中の一部でしか確認されません。つまり、普通の雨の中に白化雨が降っている場所があります」
「あぁ、そのように聞いている」
本部はもちろん、騎士団などの調査でも同様だったため、カマナックも知っている。
「白化雨のサンプルを検査したところ、通常よりも魔力含有量が少ないだけでただの雨水だったという結果が出ています」
「うむ。検出できない微細な何かや成分があるのだろう」
「カマナック部長、私は事実のみを話しています」
カマナックが言った検出できない何かの存在は推測にすぎない。国家錬金術師ギルド本部が総力を挙げて調べているその推測をセラは否定する。
「今現在保管されているサンプルは現状、ただの雨水であると結論付けます」
検出できない何かがある、ではなく検出できないのだからただの水だ。少なくとも実験結果はそう出ている。
「皆さん、白化したという事実に捕らわれて何かの成分があると思い込んでいるんですよ。逆です。白化させる成分はもう消えて、ただの雨水を検査していたんですよ」
カマナックが押し黙る。
セラの言うことには一理ある。だが、ただの雨であると結論付けるには抜けている視点があるのだ。
「美白美容液はどうなるのかね?」
「あれは雨水由来ではありませんよ。白化スライム由来の水にハチミツを混ぜ込んでいます」
セラはおババの店で買ってきたものとキノルで手に入れたもの、二つの美白美容液を机に置いた。
「キノルで手に入れた美白美容液の方が、粘度が低くなっているのが分かりますか?」
時間経過で蜂蜜由来の粘性が下がる。二つ並べて見せればそれが事実であることが分かる。
現在失明しているカマナックは粘性の違いは目視できないが、代わりにアウリオが確認した。
「本当だ。分解されたのかな?」
「分解されたんでしょうね。さて、この美白美容液には白化作用があることが確認されています。妙だと思いませんか? というわけで、カマナック部長、腕を出してください。採血します」
「……待ちなさい。話が飛んでいる。採血の必要が分からない」
夢中になり過ぎた、とセラは反省しつつも注射器を取り出した。
採血を中断する気はさらさらない。
「白化雨は雨水になってしまいますが、白化スライムから作る美白美容液は効果が持続します。であれば、生物の体内に取り込まれた白化雨が効果を持続するのかを検証しましょう」
「それで白化雨に打たれた私を実験動物にするわけか」
「そうですね」
「セラさん、否定するところだ」
ツッコみつつも、カマナックは素直に左腕を差し出した。
同じ国家錬金術師だけあってこの検証に意味があると納得したのだろう。おそらくは結果も見えている。
セラはカマナックから採取した血を目視で確認する。
「やはり、赤いですね」
当然だが、白化雨が体内で効果を持続すると仮定すると、カマナックの血液が赤いのはありえない。血液だって白くなっていなければおかしい。
一応検査に回すものの、この手の検査は医者もやっているはずだ。病原菌の可能性を検証するためにも採血などは行われている。
セラは二つの美白美容液、白化雨のサンプル、カマナックの血液を並べて実験を開始する。
「今回の実験では白化雨の正体が雨水を媒介にした魔法ではないかという仮説で進めます」
「魔法師団の調査では魔法の痕跡はなかったとのことだが?」
「報告書は読みました」
白化雨に含まれる魔力含有量が少なかったことから、魔法によって消費されたのではないかという推測は前からあったらしい。
魔法師団は王国中に魔法師を派遣して白化雨を待ち構え、降り始めた白化雨に魔法の痕跡がないかを調べたが空振りに終わっている。
「魔法陣はなく、魔法を使った残滓である魔力も検出できなかったと。検査方法はルゴカー染色液を用いたとも、書いてありました」
ルゴカー染色液は魔法を用いた犯罪捜査にも使われる薬剤だ。魔力を固有色に染める効果があり、魔法の行使中で活性化している魔力にのみ反応する検査薬である。
通常の魔法であればルゴカー染色液で魔力残滓を検出できたはずだが、魔法師団の実験では空ぶった。
「検出限界以下の魔力量だったのでしょう。広域に降り注ぐ白化雨が魔法であるとすれば、魔力も広く分散しているはずです。海に砂糖を一つまみ入れても検出できないのと同じことです」
だから裏技を使う。
セラはデラベア酒を美白美容液などに適量、加えていく。
独特の生臭さに気付いたのか、カマナックが顔をしかめた。
「何を入れてるのかな?」
「デラベア酒です」
王国東部の一部地域で作られる酒、デラベア酒。
グッズ豆を発酵させて作る東部のグッズ酒の中で、このデラベア酒はデラベアという熊の胃にグッズ豆を入れて発酵させる、独特の製法で作る。
とろみのある緑がかった透明感のある酒で独特の生臭さがあるため需要が少ない。国家錬金術師のカマナックも知らないらしい。
だが、冒険者のアウリオは見たことがあるようだ。
「滅茶苦茶に高価なくせに滅茶苦茶に不味いあの酒か」
「はい。私も飲みたくないお酒ですね」
「セラさんが飲まないほどか……」
カマナックがごくりと喉を鳴らす。
飲料としての需要はほとんどない。生産地ですら飲む者が皆無なデラベア酒だが、それでも造られ続けているのは薬効があるからだ。
デラベア酒はもともと、東部地域の傭兵団相手に売られていた原始的なポーションの一種であり、魔力の増強効果と強い殺菌作用を持つ。また、魔力の増強効果の副産物で魔法を活性化させる。
デラベア酒を飲んだ傭兵団は酩酊効果で恐れ知らずとなり、薬効により魔力が増強され、使用する魔法の威力も上がり、非常に強力な戦力となった。強い殺菌効果も戦場での負傷時に消毒剤として使われるなど、傭兵団と切っても切れない関係だった。
王国内が平和になったためデラベア酒の生産量は急速に落ちてしまったが、元傭兵だったご老人の中には当時を懐かしんで飲んでいる者もいるそうだ。
「このデラベア酒を混ぜれば、白化雨の魔法効果を増幅できます。そこにルゴカー染色液を加えれば検出下限値を超えてくれて、反応する――予定でした」
ルゴカー染色液を加えても、美白美容液や白化雨のサンプル、カマナックの血液に変色は起きない。
アウリオが肩を落とし、カマナックが何かを考えこむ。
そんな二人を気にせず、セラはスポイトでそれぞれの溶液をプレートに一滴ずつ落としていった。
すぐに次の作業に入るセラにアウリオたちは疑問符を浮かべながらも作業を見守る。
「顕微鏡……いえ、魔鏡拡大機を使いましょうか。寿命が短いでしょうから先に行っています。後から来てください」
説明を放り投げて、セラは自らの実験室を足早に出ていく。
置いて行かれたアウリオはきょとんとした後、慌てて失明中のカマナックの手を引いてセラの後を追った。
セラが向かったのはこの本部でもなければ購入できない最新設備、魔鏡拡大機だ。
光魔法などを繊細に組み合わせた魔道具で、細菌などを観察することができる。魔道具は適性のある人間しか扱えないため、専門の技師が常駐しており、本来であれば事前に使用申請が必要だ。
セラは颯爽と待機室の扉を開き、ソファで仮眠をとっている技師を叩き起こす。
「サンプルの観察をしたいので起動してください」
「っんだよ! 二日寝てねぇん――セラさんじゃねぇっすか。了解っす」
セラの顔を見るなりすべてを悟ったような顔で魔光拡大機を起動する技師に礼を言って、セラはサンプルのプレパラートを専用のトレイに並べる。
一度欠伸をした技師はすぐに真剣な顔になって、プレパラートに乗っている四種の液体を拡大した。
「……なんすか、これ?」
拡大された液体の内、三種類には何もおかしなところはない。
白化雨のサンプルは多少の土埃や微生物の痕跡があるがただの雨水。
カマナックの血液は赤血球などが邪魔でよく観察できない。
セラがキノルから持ってきた美白美容液は蜂蜜由来と思われる花粉が混ざっている程度。
だが、おババの店で購入した比較的新しい美白美容液はルゴカー染色液で青白く染め上げられた細長い微生物らしきものがうごめいていた。かなり弱っているのか、動きはぎこちなく、観察している間に動きを止めて消滅していく。
「肉眼では視認できないほど極微細な、魔法で作られた疑似生物。これが白化雨の正体です」




