第二十四話 哀れで脆い白い枝
龍伐の湖の湖底へ先陣を切ったのは、魔道具持ちのロウ・ダ・イオだった。
ロウ・ダ・イオの魔道具は自身の周囲三メートルほどの水分を弾き飛ばす効果がある。
小柄な彼は魔道具を使って空気を取り込んだ半径三メートルほどの球体となって湖面に飛び込み、ロープが付いた重りを湖底へ投げた。ロープを引き寄せれば湖底へたどり着けるらしい。
巨大な気泡が沈んでいくような光景は見ていて少し面白い。範囲が広いこともあり、魚はロウ・ダ・イオの三メートル範囲に入った瞬間に泳げなくなる。漁に適した魔道具だ。
湖底に到着次第、ロウ・ダ・イオはセラが渡した碇のポーションで水底に足を固定し浮かび上がらないようにする。湖底にいながら水の影響を一切受けない空間を作れるロウ・ダ・イオは今作戦の要になる。
続いて、アウリオとダ・クマが実体魔力のポーションを飲んで飛び込んだ。二人とも完全に実体魔力を使えるわけではないが、水圧に抗う魔力の膜のようなものを全身に纏わせ、足で水を掻いて潜っていく。
三人がある程度先行したのを確認して、セラは用意していたポーションを飲んでいく。
水中呼吸のポーション、水中透視のポーション、耐ベルジアカ毒ポーション、耐寒ポーション。すべてを飲み切ったセラは湖に飛び込んだ。
体内魔力を使用する関係でポーションを飲むと戦闘に使用できる魔力は少なくなる。戦闘員であるアウリオたち三人は実体魔力、水中呼吸、水中透視のポーションしか飲んでいない。
セラの役割は三人が戦闘中に毒に侵された際に回収、安全な場所に退避してから解毒のポーションを飲ませるなどの緊急対応だ。
飛び込んだ水は耐寒ポーションがあってもひんやりとしている。真冬の湖らしい冷たさ。
セラは事前に決めておいたハンドサインで三人に湖底へ向かうよう指示を出す。
沈んでいくロウ・ダ・イオの気泡を先頭に、アウリオ、ダ・クマ、セラの順に暗い水底へ向かう。途中、緑や青の鱗が美しい細長い淡水魚が泳いでいるのが見えた。トレントの毒が溶け込んだ水のはずだが、当たり前のように泳いでいる。
後で調べれば毒に対する抗体が見つかるかもしれない。
記憶に留めつつ、セラは湖底へ目を向ける。
すでに百メートル近く潜っているにもかかわらず、湖底が見えない。
水に触れていないロウ・ダ・イオはもちろん、アウリオたちにも毒の影響は見えない。水中呼吸のポーションを使っている三人は水を口に含んでいるが、警戒したほど毒の濃度が高くないようだ。もっとも、湖底に近づくほどに油断できなくなる。
見上げる湖面ははるか遠く、これ以上潜るのは覚悟がいる。
それでも、セラはすぐに下を見下ろした。
なおも潜っていくと先頭を行くロウ・ダ・イオが片手をあげ、グーとパーを繰り返す。湖底が見えてきた証拠だ。
セラたちはみな一様に動きを止める。湖底の様子が見える。
――異様だった。
白い樹皮、白い葉のトレントの群れが湖底にひしめき合っている。一本一本は哀れなほどに細く貧弱で、斧など持ち出さなくても包丁一本あれば容易く切り倒せそうだ。
食べるものがなかったのか、餓死した仲間のトレントを貧弱な枝で叩いて砕き、共食いしている様子も見える。
魔物に詳しくないセラでも一目でわかる。これは明らかな異常行動だ。
ロウ・ダ・イオが着底し、気泡の中で碇のポーションを飲み干す。
哀れなほどにか弱いトレントの群れを前に、同情などない。魔物である以上、ここで絶滅させる。ボグス族の集落を守るロウ・ダ・イオとダ・クマはもちろん、冒険者であるアウリオも躊躇はない。
ロウ・ダ・イオがセラを見上げる。
討伐戦の開始を待つその視線を受けながら、セラはトレントを見た。
セラもトレントに対する同情心はない。だが、目の前の光景を分析したいという学術的な興味が強い。
しかし、余裕がないのも事実。
セラは右手をトレントの群れへ突き出した。事前に決めていた、討伐戦開始のハンドサインだ。
ロウ・ダ・イオが湖底を走り抜ける。泥に足を取られることもなく優れた体幹で姿勢を保ち、振り抜いた手斧でトレントを容易く両断する。白い幹はまるで蠟細工のような脆さで抵抗もなく刃を受け入れ、トレントが上下に分かたれていく。
ダ・クマが山刀を抜いて静かにトレントの急所を貫く。
樹木に擬態している魔物のトレントには心臓などの致命的な急所がいくつかあるが、個体にばらつきが大きいため正確に急所を捉えるのは困難だ。
しかし、ダ・クマは経験則と解剖学の知識で確実に一撃でトレントを絶命させている。
一体一体を撃破していくボグス族の二人とは違い、アウリオの動きは豪快だった。
トレントの密集地帯に上から急潜行し、魔力を乗せた剣の一振りで十体以上のトレントを破砕する。アウリオの攻撃を受けたトレントの体は少なくとも七つ以上に分かれていた。
あまりにも一方的な討伐だ。
セラは万が一に備えて上から三人を見守りつつ、水中を浮き上がってきたトレントの破片を手に取る。
……脆い。
トレントの体は動物の骨と同じくカルシウムを主成分とした内殻と樹木を模したセルロースを主成分にした外殻に分かれる。
脆いのは内側。カルシウムを主成分とする内殻だ。
あきらかに、湖底にいるあのトレントたちは栄養失調に陥っている。トレントは人間とは異なりカルシウムの吸収に日の光が関係ないことを考えると、餌そのものが足りていなかったのだろう。共食いしている点からもそれは推察できる。
なぜ、湖から出て餌を探しに行かなかったのか。
トレントは魔力さえあれば生育に酸素を必要としない。水の中で生きることは可能ではある。それでも、飢餓感はあるはずだ。樹木に擬態しているだけで、自ら餌を探しに行く移動能力もあるのだから、湖底に留まる理由がなければおかしい。
アウリオがセラを見て、剣の切っ先を湖底にいるトレントの一体に向けた。自分の鎖骨の中央からへそまでを片手で一直線に割る仕草を見せる。
――気になるなら解剖するかい?
セラが頷き返すと、アウリオは微笑んでトレントへ距離を詰め、剣の腹でトレントを殴りつけた。
ぐらりと揺れるトレントの枝に片足を絡めて下半身を安定させたかと思うと、剣に魔力をまとわせて湖底に振り下ろす。
魔力の奔流が湖底にぶつかって跳ね返り、上昇水流を作り出してトレントを湖面へと打ち上げた。
あまりに器用な剣撃と魔力操作の賜物に、ダ・クマとロウ・ダ・イオが拍手する。水中なので音は聞こえてこないが、心底からの称賛の拍手だと表情でわかる。
セラは湖底にいるトレントに目を向けた。
解剖するとしても、一体だけではサンプル不足だ。特殊個体であることも加味してキノルの冒険者ギルドに寄贈する一体と解剖研究用に二体、毒性に関しての研究用に生体が二体は欲しい。
トレントが脆すぎることもあり、討伐戦は佳境に差し掛かっている。セラが少々派手に魔力を使っても役割は果たせるだろう。
セラは実体魔力を使って無作為にトレントを七体捕えた。
実体魔力に包み込まれて微動だに出来ないトレントの根元に、セラは実体魔力の操作で水を圧縮していく。
トレントが必死にもがく。当たり前だ。自分の足元で急激に水が圧縮されていくのだから。
セラが実体魔力を操作し、圧縮した水の逃げ場を作る。
――トレントが水圧で急浮上し、湖面へとすっ飛んでいく。
拍手していたダ・クマとロウ・ダ・イオが口を半開きにして打ちあがっていくトレントを見上げ、アウリオが腹を抱えて笑い出す。
枝ぶりのせいで妙な回転を生み出したトレントは湖面を突き破り、間近でみた雪雲を最後の思い出にして気絶し、龍伐の湖の流木になれ果てた。




