第二十三話 カヌー
作戦決行日はあいにくの雪模様だった。
未来に蓋をするような灰色の雪雲を見上げて、セラはわずかに笑みを浮かべる。
「拳を振り上げれば突き破れそうな、いい天気だと思いませんか? アウリオさん」
「錬金術の腕一本で生きているだけあって尖った台詞だね」
釣られて笑うアウリオが湖の岸までやってきた冒険者たちを振り返る。
「そんじゃ、冒険者代表で行ってくる。退路の確保を頼んだ」
「おう、任せろ」
「あのポーションは飲めなかったが、これでも仕事はできる方だぜ」
周辺の森から魔物が出てこないように、岸辺に陣地を張る冒険者たちが口々にアウリオに言い返す。
カヌーに荷物を積んでいたダ・クマがセラに声をかけてきた。
「アウリオ、あの男は大したもんだな。付き合いは長いのか?」
「まだ一年経ってないですね」
「あのポーションを飲んでも顔色が少し悪くなる程度で済むのにか? もっと飲みなれているくらいの付き合いかと思ったが」
「実体魔力のポーションを飲めるかどうかで私との関係性を測らないでください」
一口も飲もうとしないイルルの方が仲がいい。そう主張しようとしかけたが、さび猫の正体を教えるわけにもいかない。
「まぁいい。出発するぞ」
セラとアウリオに声をかけて、ダ・クマは真っ先にカヌーに乗り込んだ。
セラはタ・ナーレがオールを持っているカヌーにそっと乗り込む。転覆しないようにと気を使ったつもりだったが、バランス感覚のなさが一目でわかるほど揺れてしまった。
器用にバランスを取ってカヌーを安定させたタ・ナーレが目を丸くする。
「えっ、これで討伐戦に参加してほんとに大丈夫? 運動神経がかなり悪いよ!?」
「カヌーにさえ気を使って生きられるなら左遷されてません」
「あっ、ごめん」
「いえ、ただの言い訳なので謝られると逆に切ないんですけど……」
「じゃ、突っ込んじゃうね。自分ごと冬の冷たい湖にじゃっぽんしたいんじゃなければ気を使わないとダメだよ! 運動神経が壊滅していますって言ってくれればこっちもちゃんと合わせるの!」
「はい……すみません……」
セラは正直に頭を下げてカヌーに座り込み、実体魔力のポーションを飲む。
実体化した魔力を使えばカヌーを安定させることなど容易い。
しかし、タ・ナーレは両手でオールを漕いで不審な顔をする。
「なんか、オールが重い?」
実体化した魔力で船を安定させているせいで抵抗が増しているらしい。
セラは魔力を操作して自分の体をカヌーに固定した。
イルルを連れてこなくて正解だった。いまごろは宿泊所でぐっすり眠っていることだろう。
タ・ナーレは急に軽くなったオールに首を傾げたが、すぐに気を取り直してカヌーの速度を上げた。
カヌーの勢いが一気に増して、アウリオが操るカヌーをあっさり追い抜き、ロウ・ダ・イオに追いつく。
ロウ・ダ・イオは小柄な男性だ。セラよりも背が低いくらいだが、特異な存在感がある。あたかも地面のように、そこにあることを誰一人疑わないのに意識していない存在感だ。
影が薄いのにそこに居ても誰一人疑問に思えない。居ることに驚きすらない。
ボグス族で最も優れた狩人だと紹介されているが、納得感しかない。山に生きる獣でさえ狩られる寸前まで存在に違和感を覚えないだろう。
アウリオ曰く、山中で敵に回したら遺言書を書く以外にできることがないらしい。
そんなボグス族きっての狩人もタ・ナーレが操るカヌーは追い抜いた。
タ・ナーレが明るく笑う。
「どう? この速さ! 川下りと違って前が見えるから怖くないし、風を切る感覚だけを楽しめて最高でしょ!?」
「なぜタ・ナーレさんがこの作戦に選出されたのか分かりました」
カヌーの扱いが上手いのはもちろん、カヌーに乗って速度を出すことに喜びを感じている。しかめ面より笑い面が上達するの言葉通り、タ・ナーレはボグス族の誰よりカヌーで速度を出すことに長けているのだろう。
非戦闘員であるセラが緊急時にも真っ先に岸へ戻れるように配慮した人選だったらしい。
そんなタ・ナーレでもダ・クマには追いつくどころか距離を離されていた。
先に潜水地点に到着したダ・クマがタ・ナーレを振り返る。
「ちょびっと速度も上がったか?」
「クマおじちゃんはなんで速さ変わんないのさ、もう! 何年も都会暮らししてるってのにさ!」
「空白期間なんざ、経験で埋められるんだ。年寄は技術以外に誇ることもねぇかんな。ほれほれ、俺から誇りを奪ってみろ」
「へぇー、そういうこと言うんだ……。セラさん、じったいなんちゃらなポーションを出して!」
「待て、それは反則だ!」
得意そうなダ・クマが一転して青い顔になり、それをタ・ナーレが笑う中、セラは実体魔力のポーションを懐に戻した。
「こんなにおいしいのに……」
世界は理不尽で無知だと、セラは愚痴を飲み込んだ。
ほどなくして潜水地点に全員が到着し、調査が開始される。
――潜水前に実体魔力のポーションを飲んだアウリオとダ・クマがカヌーの縁を掴んで色々と堪えたのは、体質の問題だろう。




