第十話 山小屋
出発日、セラは護衛のアウリオと他の冒険者たちと共にキノルを出発した。
セラが厚めに着込んだ服の胸元からさび猫がひょっこりと顔を出しているのを見て、冒険者たちの表情がわずかに緩む。これから丸一日かけて雪山を登り、ボグス族の集落を訪ねるのだ。危険はほぼないが、大荷物を抱えての雪中行軍なので猫という癒しが救いになる。
たとえその正体が人間だとしても。
「にゃー」
暖かそうに一声鳴くさび猫イルルに、セラは視線を落とす。人の胸に挟まって暖を取りながら自ら歩くこともしない。
イルルは国家錬金術師のセラの助手ということになっている。助手がついていかないというのも格好がつかないからと、イルルも同行することになった。
だが寒がりなイルルは必死に抵抗し、最終的にセラの服の中に潜り込んだのである。
正体を知るアウリオが苦笑しながらセラに耳打ちした。
「人の姿になるときは本当に気を付けてくれよ」
「わかっています」
イルルがさび猫姿でついてきていることをギルド職員と違って冒険者たちは知らない。
それというのも、イルルにはボグス族の集落で猫の振りをしてうろつき、情報収集する仕事があるからだ。部外者のセラやアウリオは警戒されるだろうが、さび猫イルルならボグス族同士の話を盗み聞きしやすい。
セラよりスパイらしい仕事を任せられるイルルはいまだけはのんびりと温まる権利がある。
たとえ人の胸をベッド代わりにして欠伸をしていようと。
「重くない?」
アウリオがさび猫イルルを指さして心配そうに聞いてくる。すでにセラの荷物の大半を持ってくれているアウリオにこれ以上任せるわけにはいかないので、セラは無言で首を振った。
いざとなれば実体魔力のポーションを飲んで支えればいい。
雪がちらつく山中を進む。背の高い常緑樹が鬱蒼とした森だが、雪の重みに耐えかねた枝がたわんで積雪を地に落としている。
二十人ほどいるこの集団は錬金術師のセラだけでなく医師や商人も数名同行している。ただ、医師は治療を目的にしているわけではなく、ボグス族が伝える民間療法や薬草について教えてもらうために同行しているらしい。
セラは先頭集団へ目を向ける。
先頭を歩くのは毎年ボグス族を訪ねている三人の冒険者パーティとボグス族出身で道先案内を務めるダ・クマだ。
ダ・クマは五十歳ほどの男でウサギの毛皮を青く染め抜いた帽子を着けている。小柄ではあるが、樹上から襲い掛かった猿のような魔物を山刀の一閃で打ち払って仕留めており、実力は確かだ。
地元の山岳民族出身だけあって、ダ・クマはこの山を歩き慣れているらしい。彼が大回りする時には必ず大型の魔物の痕跡が見えた。縄張りを避けて進んでいるのだろう。
セラはアウリオに声をかける。
「アウリオさんはあんな風に縄張りを避けられますか?」
「無理だね。あれは地元の人間ならではの技能だよ。地形を把握していないとどんな魔物が縄張りに選ぶかの推測もできないから気付きにくい」
「やはりそうですか」
薬草探しと一緒だ。生態を知らないとどこを探せば効率的かがわからない。
セラは空を見上げた。雲の色、風の冷たさ、湿気、環境を読み取りながらセラは少し足を速める。
ダ・クマが集団の最後尾に向かって声を張り上げた。
「急げ。吹雪くぞ」
短い警告を発して、ダ・クマが速度を上げる。先頭集団に冒険者が二名新たに加わったのを見て、アウリオが呟く。
「対処できそうな魔物の縄張りを突っ切ってでも速度を上げるつもりみたいだ」
「これだけの人数で吹雪をやり過ごせる場所は限られるでしょうからね」
洞窟か山小屋でもあるのだろう。毎年この時期に行われる交流行事でもあるので、吹雪も織り込み済みの計画のはずだ。
セラは鞄から付近の地図を出して確認しようかと思ったが、ダ・クマの視線に気付いてやめた。錬金術師が地図を持っているのは不自然だ。風笛草関連を探っていると警戒されているだろうし、疑われる真似は慎むべき。
さび猫イルルがもぞもぞと動く。
視線を自らの胸元に落とすと、さび猫イルルが顔を洗っていた。すっかり猫である。
風が勢いを増し、煽られた木々の葉がこすれる音が大きくなっていく。
山の中腹に差し掛かるころにはすっかり吹雪の様相を呈し、さび猫イルルが胸元から顔を出すことさえなくなった。
「見えたぞ。早く入れ。山の悪主が来る」
先頭にいたダ・クマが手を振ってセラたちに呼びかける。
ダ・クマのそばに山小屋と呼ぶには立派な建物があった。木造平屋ではあるがとにかく大きい。
冒険者たちが次々に山小屋に入っていく。セラとアウリオも吹雪で押し込まれるようにして山小屋に入った。
中もやはり広々としている。天井が高くなっていて、薪ストーブも完備。三つほどの小部屋まで用意されていた。
セラがきょろきょろ見回していると、取り残されたものがいないか人数を数えたダ・クマが説明してくれる。
「キノルが建てた。普段は交易品置き場にしている。今の時期は休憩所に使う。あんたは奥の部屋を使え」
「ありがとうございます」
三つある小部屋のうち、一番奥の部屋の扉を指さすダ・クマに礼を言い、セラは質問する。
「山の悪主というのは?」
「吹雪くと出る魔物だ。腕の立つ者に挑みかかる雪で出来た化け物みたいなやつだ」
「好戦的なスノーゴーレムですか?」
「そんな小物とは違う。二百年君臨する悪しき山の主だ。詳しいことは冒険者共に聞け」
ぶっきらぼうに話を打ち切って、ダ・クマは冒険者たちに夜の番の相談を投げかける。
「この女も夜番に参加するのか?」
「いや、その人は医者たちと同じ枠だ。夜番は俺ら冒険者の仕事」
セラの傍らにいたアウリオが代わりに答えて、セラに目配せする。
後は冒険者の仕事だから任せろ、といいたいらしい。
セラはアウリオに小さく頭を下げて、奥の部屋に向かった。




