第九話 ボグス族
ボグス族は王国の北方にある山脈を拠点とする山岳民族である。
キノルの周辺では最有力の民族でもあり、周辺の山岳民族をまとめてキノルとの間の争いを収めた立役者でもある。
だが王国に臣従しているわけではなくあくまでも独立を掲げており、彼らとの交渉はボグス族出身の冒険者を介して行っているらしい。
風笛草の売買もその冒険者ダ・クマとの交渉次第。それがここ最近、風笛草を売り渋られていて冒険者ギルドの在庫が不足している。
「依頼掲示板に貼られていないわけですね」
地図上では王国領土になっている山脈だが、実態はボグス族たち山岳民族の領土。迂闊に冒険者を送り出して採取すると戦争になりかねない。
ただ、冒険者ギルドとしても余裕がなくなった。
王国騎士団から風笛草の納入を催促する手紙が来て、さらには付近で演習まで始めたのだ。
オースタが話していた演習だろう。その戦力をいつでもキノルに派遣できるという脅しを兼ねている。
泡を食ったのは冒険者ギルドだけではなくボグス族もダ・クマを通じて憂慮している旨を伝えてきた。それでも風笛草は売り渋る。
板挟みになったギルド長のマルドクは椅子に深く腰掛けて両手を挙げた。降参のポーズだ。
「売り渋る理由を教えてくれないと王国との橋渡しもできない。風笛草は栽培方法も確立されてないから環境変化でもあったのかと思ってはいたんだが」
「それで水を気にしたんですね」
「そう。だが、水に含まれる魔力が減るなんてことはあるのか?」
マルドクの素朴な疑問にセラは少し言葉を選ぶ。
一般的に、水に含まれる魔力は徐々に拡散したり水中の生物により消費される。だが、微々たるものだ。
魔力を大量に消費する魔物などがいない限り、水源における魔力の減少は無視できる。
「現場を見てみないと何とも言えませんね。それに、水が原因とも限りません。生息地に強力な魔物が現れたり、土砂災害で被害を受けて復興中といった可能性もあります」
「ボグス族にとっては貴重な現金収入だから弱みを見せたくないってところか。そっちの可能性もあるんだが、ダ・クマと話しているとどうにも違和感があってな」
言語化できない違和感なのか、マルドクは首を横に振る。
「現地調査も考えたが、ボグス族を刺激しかねない。少なくともいい顔はされんだろう」
マルドクはセラを見る。
「冒険者ギルドの職員ではないセラさんに頼みたいことがある」
「一応、業務命令は出せますよ?」
「危険が伴うんだ。断ってくれてもいい」
そう前置きして、マルドクは頼みごとの内容を話し出す。
「冬が本格化する直前にボグス族と周辺の山岳民族に医療品の提供をする習わしがある。まぁ、協力して厳しい冬を越えましょうって話だ。錬金術師として同行し、現地でポーションを調合してほしい」
「その合間に風笛草と周辺環境を調べる、と」
国立錬金術師ギルド本部からスパイして来いと言われたキノル冒険者ギルドから、ボグス族をスパイして来いと頼まれた。
たらい回し、という単語がセラの脳裏をよぎる。
ただ、風笛草の調査はセラとしても望むところだ。出向の理由が風笛草の流通量低下の原因を探ることでもあるのだから。
マルドクの頼み事で冒険者ギルドが関与していないことはほぼ間違いなくなったのだが、原因が特定できればより国を納得させられる。
「わかりました。任せてください」
「すまない。密売人との接触といい、国家錬金術師に頼むことではないと分かっているんだが……」
熊のような見た目のわりに優しい性格なのか、マルドクは本当に申し訳なさそうに眉を下げる。
「調合素材や医薬品を運ぶためにダ・クマ以外にキノルの冒険者も参加する。ただ、横のつながりがあるから彼らに事情を教えることはできない。セラさんの護衛にアウリオを当てたいと思うが構わないかな?」
「アウリオさんがいてくれると心強いですね」
パラジア討伐戦でのアウリオの戦いぶりを思い出しながら、セラは答える。
マルドクは安心した様子で机の上に依頼書を出すと手早く記入欄を埋めて自ら判を押して承認した。
「これをアウリオに渡しておこう。護衛費用はもちろんギルドが出す。何かほかに必要なものがあれば可能な限り用意しよう」
何かあるかと問われてもすぐには思いつかない。
「一度、部屋に戻って支度をしながら考えます。出発日はいつでしょうか?」
「三日後を考えている。急ですまないが」
三日あれば十分に準備できる。問題はない。
ただ、土地勘がないのだけが気になって、セラは壁に貼ってある地図を指さした。
「水源地も調べたいので地図の複製があれば貸してください」
「あぁ、第二資料室にあるはずだ。持っていくといい」
ギルド職員用の第二資料室までの道順を思い出そうとして、あきらめる。後で職員の誰かに聞くしかない。
セラはギルド長室を出る前に質問する。
「この建物はなぜこんなに複雑な形に増築されたんですか?」
「元は三つの建物を増築で繋げたんだ。山岳民族との争いが激化した時に、建物の間取りが山岳民族に知られていると分かって、迷路状に繋げた後、防災上の都合でさらに増築してこの結果だ」
マルドクは職員でもたまに迷子になると言って笑った。