第六話 麻薬?
冒険者ギルドに戻ってすぐ、セラはギルドホールにある依頼掲示板を見回した。
風笛草の採取依頼がない。他の雑多な薬草や魔物の素材の採取依頼はあるのに。
ギルドにも在庫が少ないのにこれは妙だ。
研究室に帰ったセラは買ってきたルベイト調合水とセリカナ調合水を成分分析するために準備しながら考える。
風笛草は栽培に成功していない薬草だ。採取以外に手に入れる方法がない。
専売状態、つまり冒険者ギルドしか風笛草を販売していないのも、冒険者でなければ採取が難しいから。
冒険者ギルドは風笛草の重要性を知らず、積極的に在庫確保に動いていないのではと思ったが、市場の店主曰く購入したいと何度も依頼を出しているという。
「医師の方に流れている可能性もありますけど……」
キノルはこれから本格的な冬に入る。乾燥した空気は喉を傷め、風邪なども流行るだろう。それに備えてのど飴の材料になる風笛草の需要が一時的に高まり、ギルドの在庫が乏しくなったと考えられる。
だが、風笛草で作るのど飴は高級品だ。日持ちするので遠方でも売られるが、買い手は限られる。貴族ほどでなくても小金持ちでなければ買わない。後は財布の紐が緩んで少し奮発してお土産を買う旅行客か。
錬金術師であるセラにはのど飴の需要は読めない。在庫不足の理由は棚上げして、なぜ追加で確保しないのかを考えるべきだろう。
採取依頼が出ていないのはすでに依頼を受けた冒険者が出発したから、という可能性もある。この点は冒険者と繋がりを作れるアウリオに聞くしかない。受付嬢のイルルはいま張り込みで忙しい。
セラは二種類の調合水にそれぞれ二種類の粉末を混ぜて様子を見る。
一つは花燐の粉末。動物の体内魔力の残存量を調べることができる粉末だ。これを溶かして反応があれば、幼生のスライムなどの透明な動物や魔物が混入していることがわかる。
「反応なし。まぁ、飲んだ時にも違和感はありませんでしたからね」
幼生のスライムは液体に溶け込むと屈折率を調整して完璧に擬態する性質を持つ。非常に弱いので御酢を混ぜるだけで殺せるが、調合水に溶け込んでいる場合がないわけではない。
ちなみに、食感はぶにっとしていて気持ち悪いが意外と美味しい。スープに混ぜる郷土料理があるほどだ。
もう一種の粉末は一部の菌類の繁殖に魔力が使用されていないかを調べるもの。素材を溶かす水などの殺菌が甘いと反応するのだが、今回は無反応だ。
このあたりの検査はキノルの錬金術師もやっているだろうから、反応がないのはさして驚くことではない。
「とりあえずは含有魔力量を調べておきましょうか」
現時点での含有魔力量を調べ、数日置きに測ってグラフを作れば見えてくるものがあるかもしれれない。
セラは王都のババーリア薬草店で購入した水鏡月草を取り出した。
緑色の花だ。鮮度が落ちているが、問題ない。
水鏡月草は液体の含有魔力を調べるのに使う薬草の一種。魔力を含まない液体に漬けると沈みこみ、魔力を含んでいれば花の色が変化する。
ルベイト調合水、セリカナ調合水ともに水鏡月草は浮かび上がった。
「薄い紅色……」
魔力が少なければ紅色に、多くなるほど白くなり、さらに黄色味を帯びて月白色になるのが水鏡月草の特徴だ。
早見表で水鏡月草の色を照らし合わせ、含有魔力量を大まかに記してからノートに水鏡月草を張り付ける。一度色が変わってしまえば変色しないため、後から確認できるのだ。
セラは機材を片付けながら考える。
「おそらくは異常気象か、水質の悪化ですね」
二種の調合水の魔力含有量を考えて照らし合わせると、素材を溶かし込んでいる水そのものに問題があるように思う。
キノル周辺で取れる湧き水や雪などに含まれる魔力量が少ないのだろう。
キノルの錬金術師たちもそれに気付いたから、確認のために弟子たちを外に送り出した。同じ素材、同じ製法で水だけを変えてキノルの調合水と比較すれば、水質が問題だとはっきりする。
ただ、水質が目に見えて悪化した理由がセラにはわからなかった。
「山で何かが起きたのかもしれませんけど……」
キノルに来たばかりのセラでは変化など分かるはずもない。聞き込み調査が必要だろう。
そう思って窓を見た時、ちょうどさび猫姿のイルルが研究室を覗き込んだ。
早く開けて、と言わんばかりに窓へ猫パンチを連打するイルルの可愛さにセラは思わず笑ってしまった。
「す、すみません、いま開けます」
イルルは寒さと闘って必死らしく何度も窓に猫パンチしている。
セラが窓を開けると少し湿気を含んだ冷たい風が研究室に吹き込んだ。セラも思わず窓から離れてしまう。
さっと部屋に飛び込んださび猫イルルが抗議するように鳴く。早く窓を閉めてほしいらしい。
言われずとも、セラは窓を素早く閉めた。
さび猫イルルはプルプルと身を振るわせて毛に付いた水滴を払う。
「――にゃっ」
一声鳴いて前足を持ち上げた直後、さび猫は人の姿になっていた。
「服が雪解け水を吸っちゃって重い」
イルルは文句を言いながら湿った上着を脱ぎ始める。
「明日からはダッフルコートを着て変身しよっと」
「それ、意味あるんですか?」
「私の変身のバレッタは服も込みで変身できるからね。ダッフルコートを着て変身すると長毛種猫になれるの」
長毛種猫を想像したセラは調合しようとしていた耐寒ポーションのレシピを変更することに決めた。効果が高いと熱を貯め込みすぎて熱中症を起こしかねない。
用意していたタオルで髪を乾かしながら、イルルがセラを見る。
「取引現場を何度か目撃したんだけど、何かおかしいんだよね」
「おかしい、とは?」
セラは耐寒ポーションの素材を棚から取り出しつつ聞き返す。
イルルは自身の小さな鼻を指さした。
「クレバスハニーって独特の匂いがしたと思うんだけど、感じなかったんだよ」
クレバスハニーに含まれるスリーニリの蜜は独特の甘い香りがある。人間なら鼻を近づけなければわからないが、猫に変身中のイルルなら嗅ぎ分けられるのだろう。
「あとね、クレバスハニーの売人は麻薬としてじゃなく美白効果があるって言ってたよ」
「クレバスハニーに美白効果はないですね」
「ないよね。売人はクレバスハニーを肌に塗って使うって言ってたんだけど、麻薬効果って肌吸収するの?」
「しません。……かなりおかしな話ですね」
麻薬はリピーターを作って儲けるものだ。麻薬としての使用法を説明するどころか意味のない使用説明ではリピーターが生まれるはずもない。
「私、あれはクレバスハニーじゃないと思うんだよね。怪しいのは確かだけど」
ギルド長に報告してくる、とイルルは研究室を出ていった。