第三話 キノル
くるぶしまで積もった雪を踏みしめながら、セラたちは雪山の町キノルに入った。
百年前まで周辺の山岳民族との諍いが絶えなかった経緯から、キノルは町の規模に対して立派な防壁と堀、跳ね橋が備わり、付近にもいくつかの小規模な砦がある。
現在では付近の山岳民族の代表ボグス族が友好的で小規模な交流と取引があるという。
そんなわけで用済みになった防壁は苔に覆われていて、堀にも雪が溜まっている。
「堀には飛び込まないでくださーい。見た目以上に沈むので、上がってこれませんよー」
よそ者がはしゃいで飛び込む事故がよく起きるそうで、門の守衛が大声で呼びかけている。
門をくぐり、セラはキノルの町並みを見回す。
雪深い土地だけあって屋根の傾斜が急だ。道端で石を組んだ焚火を囲んでいる人々の姿もある。
まだ秋の半ばで、雪の季節はこれからだというのにすでに肌を刺すような冷たい風が通りを抜けていく。
「セラー寒いよーポーションの効果切れたよー」
イルルがセラの背中に回り込んで北風をやり過ごしながらぐずる。
「耐寒ポーション、新しいの、ちょうだい」
「連続服用はダメです。せめて昼食を挟んでからです」
「寒いよー」
「ほら、温石をあげますから、もう少しがんばってください」
近くの村で貰った温石を渡すと、イルルは両手で持ってありがたがる。
だから、荷物になるとしても持った方がいいと言ったのに、とセラは喉まで出かかった小言を言わないでおいた。雪なんて滅多に降らないヤニクの出身であるイルルは、雪山の寒さを知らなかったのだ。
むしろ、この男はなぜ平気な顔をしているのだろうと、セラはアウリオを見る。
耐寒ポーションを飲んでいないどころか温石も持っていないはずのアウリオは白い息をたなびかせながら平然としている。
「アウリオさん、雪国の出身ですか?」
「雪は降るけど、そんなに積もらない場所だよ。王都の近くだ」
アウリオはそう言って東の方を指さした。
「キノルじゃないけど、雪山を拠点にしていた時期があるんだ。換毛した鳥の羽毛を依頼されて、四年くらい冬の間だけ過ごした」
「それで慣れているんですね」
雪道で滑って転びそうになるイルルを支えつつ、セラは感心する。
ヤニクでもそうだったけれど、アウリオの活動範囲はかなり広い。海上でも海中でも雪中でもお構いなしだ。流石に名の売れた冒険者だけはある。
そんなアウリオの方が不思議そうにセラを見た。
「セラさんこそ、慣れてるよね。この辺の出身?」
「……そうですね。こんなに良いところではありませんでしたけど」
似ているのはどんよりと蓋をするあの雪雲くらいだと、セラは目を細めて空を見上げる。
イルルが道の先を指さした。
「キノル冒険者ギルド見つけた! あの角のところ!」
早く建物の中に入って温まりたいらしく、イルルはセラの背中を押して急かす。北風よけのセラは外せないらしい。
身長はセラの方が低いためイルルは自然と屈みがちになり、バランスを崩して滑って転んだ。
「雪道の歩き方わかんないよぉ!」
「すり足で歩けばいいですよ」
「早く言ってよ。ズボンがべちゃべちゃ……寒い」
このままでは風邪をひくからと、セラたちは足早にキノル冒険者ギルドを目指した。
木造二階建てのキノル冒険者ギルドは増築を繰り返したのかややバランスの悪い外観だ。しかし、内部は広く、暖炉も完備していて暖かい。床は石材が敷き詰められていて、清掃担当の職員がモップがけをしていた。
ちょうど冒険者が出払っているタイミングだったようで、ギルドホールにはギルドの職員しか見当たらない。
セラたちは受付カウンターに向かう。
受付嬢が笑顔で迎えてくれたが、セラはヤニクの冒険者ギルドを初めて訪れた時の反応を思い出していた。
さて、歓迎されるのか。
身構えながらも、セラはコフィの名前が入った依頼書を提出する。アウリオが受けた護衛依頼の完了を示すと同時に、ヤニクの冒険者ギルド長コフィがセラを要人として扱っていることを証明する依頼書だ。
受付嬢は依頼書を手に取り、アウリオを見る。
「はい、確認しました。依頼料は先払いのようですが、お間違いありませんか?」
「間違いありません」
アウリオが肯定すると、受付嬢は淡々と事務処理を進め、セラを見た。
「国家錬金術師のセラ・ラスコットさんですね? ギルド長がお待ちです。案内しますがその前に……」
受付嬢はセラに愛想笑いをしながらも、横のイルルを見る。
ヤニクの冒険者ギルドの受付嬢だけあってイルルは素早く完了手続きを済ませている。ただ、転んで濡れたズボンが冷たいのか、プルプル震えていた。
受付嬢が職員用の通路を手で示す。
「更衣室にご案内しましょうか?」
「お願いします」