エピローグ
最後まで片付かなかったな、と研究室に迷路状に積まれた荷物を見て、セラは苦笑する。
この眺めもこれが最後だ。半年にも満たない短い間だったが、この研究室で完成したレシピは多い。充実した日々を送ることができた。
「ありがとうございました」
無人の研究室、これからは再び荷物置き場に戻るだろう部屋に礼を言い、セラは荷物を持って部屋を出る。
国立錬金術師ギルド本部から届いた異動の指示書には王国の北に位置する雪山の町キノルに向かえと書かれていた。情報漏洩を防ぐためか、異動の理由は書かれていない。現地かどこかで理由を教えてくれる人物でもいるのだろう。
個人的には機材が揃った開発部に戻って白化したパラジアの分析をしたかった。パラジアの大量発生の謎も解けるかもしれないし、研究結果を転用すれば美白効果のあるポーションなども作れるかもしれない。
面白そうな研究テーマだけに、また左遷されるのは残念だ。
ギルド長室の扉を開けると、コフィが書類の山に埋もれていた。
「ギルド長、大丈夫ですか?」
「うん? セラさんか。仮眠もとったから大丈夫だ」
それはまともに寝ていないと言っているのと同じだ。心の中でツッコミながらも、セラはコフィが格闘する書類をチラ見して指摘するのをやめた。
海沿いの町の冒険者ギルドや漁師ギルドへの問い合わせの手紙と返事ばかりだったのだ。セラやアウリオに代わる海底調査が可能な魔道具持ちを探して忙しくしているのだろう。
「お忙しいところすみませんが、最後の業務報告です。部屋の清掃は完了しました。研究資料と開発したポーションのレシピは第二資料室とヤニクの錬金術師コットグさんに渡してあります。引継ぎ資料はどこに置きましょうか?」
「そこのソファにおいてくれ。他に置き場もないのでね」
手紙や返事と混ざると困るのだろう。セラはコフィの指示通りソファに引き継ぎ資料を置いた。
ちょうど作業が一段落ついたのか、コフィが顔を上げる。
「セラさんが来てくれて本当に助かった。当初はどうなることかと思ったがね」
「辞表を提出できず仕舞いですみません」
「いじめないでくれ。本当に悪かったと思っている。申し訳ない」
コフィが笑って頭を掻く。きわどい冗談で笑えるくらいの関係性にはなれたらしい。
「キノルまでは少々長旅になる。お詫びというわけでもないが、護衛をつけよう」
「護衛、ですか?」
セラは適当に隊商にお邪魔しようと思っていた。護衛が付くなら徒歩でもいいくらいだ。
コフィが執務机の引き出しから依頼書を取り出す。
「先払いで私が払っておいた。キノルの冒険者ギルドにこの依頼書を出せば依頼完了になる手はずだ」
受け取った依頼書には要人護衛の名目で依頼人にはヤニク冒険者ギルド長コフィの名が入っている。
この依頼書をキノルの冒険者ギルドに提出するということは依頼完了と同時に、セラがヤニク冒険者ギルドにとっての要人であることを周知する意味がある。
「この依頼書を見せればキノル冒険者ギルドでの扱いもよくなると思う。それからもう一つ、これはセラさんに頼み事だ」
「伺います」
業務命令ではなく頼み事。何だろうと思っていると、部屋の扉がノックされた。
「ギルド長ー、準備できましたー」
どこかやる気のない間延びした声の主に思い当たり、セラはコフィを見る。
「イルルですね。開けましょうか?」
「いや、必要ない。イルル君、入ってくれ」
コフィが声をかけると、大荷物を引きずってイルルが入ってきた。
旅行鞄らしき大荷物を引きずるイルルの後ろからアウリオが顔を出す。
「あ、セラさん、ちょうどよかった。ギルド長、話は済んだ?」
「慌てるな。これから話すところだ」
段取りが狂った、とコフィがため息をついてセラを見る。
「セラさん、イルルもキノルの冒険者ギルドに出向することになった。できれば気にかけてあげてほしい」
「はい。わかりました。でも、なぜイルルまで出向することに?」
冒険者ギルドの人事などセラにはわからない。
だが、ヤニク冒険者ギルドは海の魔物に対応することに特化した組織だ。雪山にあるキノルの冒険者ギルドに人材を派遣する意図がわからない。
「現地では内密にしてほしいのだが、町に溶け込める変身の魔道具持ちを派遣してほしいとの要請でね」
魔道具持ちだったのかと驚きの目でイルルを見ると視線をそらされた。
セラとイルルの反応を見てコフィが怪訝な顔をする。
「イルル君、まさかネタ晴らしをしていないのか?」
「……機会がなくって」
「まったく」
コフィは呆れ顔でイルルを一瞥し、セラに告げる。
「国立錬金術師ギルド本部が人を送ってくるなんて、本当に左遷人事なのかと疑ってしまってね。ひそかにイルル君に調べさせていたんだ。さび猫を見なかったか?」
「初日に見ましたね。最近は見ていませんけど」
「そこのイルル君の髪留めが変身のバレッタ。彼女の祖母がその魔道具で海龍に変身して海底調査を行っていたんだ。持ち主によって変身できるものが変わり、イルル君は猫に変身する」
「……イルルさん、最初から好意的な態度だったのが気になっていましたけど、さび猫に変身して私の周りを探っていたんですね」
「さん付けに戻ってる!? だから話すの嫌だったんだよー!」
許してと抱き着いてくるイルルの頭をセラは撫でる。
理由はどうあれ、イルルには助けられた。この程度で嫌いになるはずもない。むしろ、初日から無実を証明してくれたのだろう。
どちらかというと、国立錬金術師ギルド本部から内偵の仕事を受けている自分の方が不義理をしている。独り言で余計なことを言わなくてよかったと少し背筋が寒くなった。
「では、仲直りがてら今日はいい宿にお泊りして夜通し話しましょうか」
「いいの!? 何ならおごるよ!」
「では宿代をお願いします。食事代は私が出しましょう」
セラとイルルが仲直りする中、部屋の扉横に立つアウリオが寂しそうにしている。そんなアウリオに同情するような視線を向けるコフィに、セラは言う。
「それでは、お世話になりました」
こうして、セラはアウリオ、イルルと共に雪山の町、キノル冒険者ギルドへと出発した。