第三十六話 パラジア討伐戦
セラは実体化した魔力を操作し、高速艇の下に海流を作り出す。
下降する海流により高速艇の安定感が失われて揺れるようになったが、それでも速度がほとんど落ちない。
垂らした網で海底をさらうように魔力を広げ切ったセラは実体魔力の維持に集中しつつアウリオに報告する。
「魔力にパラジアらしきモノが多数触れています。徐々に浮上してきています」
「数は分かる?」
「数えたくないくらいいますね」
「まぁそうなるよな」
獰猛に笑ったアウリオが剣を片手に船室を出る。
直後、海面に無数の泡が生じ、赤い甲殻が海面上に現れた。
一匹、二匹と数えた直後には両手の指で足りない数が海面から顔をのぞかせ、さらに続々と浮上してくる。
「速度を上げます!」
言うが早いか船長が高速艇の速度を跳ね上げる。海中透視のポーションを飲んでいる船長には船を取り囲むように浮上してくるパラジアの姿が見えたのだろう。
セラも実体魔力を海面下に広げているため、おおよその配置がわかる。速度を上げなければ囲まれていただろう。
漁師ギルド秘蔵の高速艇を任されるだけあって、船長の腕はいい。パラジアの間をするりと抜ける巧みな操舵で甲羅の赤で埋め尽くされつつある海域から脱出する。
「聞いていた以上ですね! この船でなければ沈没してましたよ!」
豪快に笑いながらも繊細に船を操る船長の横で、アウリオが剣を構えた。
「直進で構わない」
「助かります」
アウリオが船首から前方へ跳躍し、空中から海面を剣で突き刺す。その瞬間、セラが操る実体魔力が大きく揺らぐ。
アウリオの一突きが海面下に衝撃波を走らせたのだ。浮上中だったパラジアの体に大穴が空き、衝撃波に運ばれ錐もみ回転しながら海底へ落ちていく。
何らかの高度な魔法を併用したのはセラにも分かるが、とても真似できそうにない。
高速艇が波に乗り上げて大きく跳び、着水する。セラはバランスを崩しかけ、慌てて椅子に掴まった。
「ごめんよ、嬢ちゃん! こっちも余裕がなくなってきたんだ。これから本隊に合流して甲殻野郎どもを倒してもらうから、もうちょっと辛抱な!」
申告通りに余裕がないのだろう。豪快に笑いながらもぶっきらぼうな口調になった船長が目線鋭く進行方向を睨む。
セラも船の行先へ目を凝らす。中型船の群れが等間隔に並んでこちらに向かっているのが見えた。
海軍でもないのに素晴らしい連携だ。互いに遅れないように船足を揃えるのがどれほど難しいか、素人のセラでも想像に難くない。
アウリオが高速艇の左右を飛び回り、近付いてくるパラジアを斬り伏せる。このままなら無事に本隊と合流できるだろう。
セラと同じ考えに至った船長が肩の力を抜いた瞬間、セラは海底から猛スピードで浮上してくる巨大な何かを魔力の網に捉えた。
「衝撃に備えて――」
セラが言い切るより早く、白い何かが海中から勢いそのままに海面を割って空へと飛び出した。
「パラジア……?」
本来は赤いはずの甲殻が骨のように白いパラジアが着水する。周辺の赤いパラジアと比較するまでも無く、明らかにサイズがおかしい。通常のパラジアは大人になっても二メートル強の高さだが、白いパラジアは倍の四メートルほどはある。条件さえ揃えば、イルカを捕食できる大きさだ。
それが一体だけではない。海上に三体、セラが広げている実体魔力で検知できるだけでも海中に二体いる。
あの鋏なら、この高速艇も真っ二つにできるだろう。
そこまで考えた時、セラは高速艇が速度を急速に落としていることに気付いた。
パラジアに囲まれたこの状況で停船するのは自殺行為だ。
慌てて船長を探したセラは無人の舵輪を見て血の気が引く音を聞いた。
「――セラさん! 船長が海に落ちた!」
近くに浮上してくるパラジアを斬り伏せながらアウリオが焦った声で報告する。
この高速艇は魔道具だ。適性のある人間でなければ動かない。船長でなければ動かせない。
セラは船室を飛び出した。
「船長の位置は!?」
アウリオに問いかけるが、パラジア寄せのポーションの影響で次々に襲い掛かってくるパラジアの対処でアウリオも余裕がない。それでも、アウリオに投げられた視線でおおよその位置を察して、セラは船縁に駆け寄った。
海中透視のポーションは飲んでいないが、実体魔力で大まかな捜索はできる。海中へと実体化した魔力を伸ばすと、パラジアに足かズボンを挟まれて海底へ引きずり込まれていく船長らしい影を察知した。
「……アウリオさん、船に掴まってください」
セラは大きく息を吸い込み、両手で船縁をつかむ。
「転覆しませんように」
セラが祈るように呟いた言葉に、アウリオが怪訝な顔をした瞬間――海が持ち上がった。
「……嘘だろ」
アウリオが唖然として船首に掴まり、真下を見る。
高速艇が海ごと海上百メートル以上垂直に持ち上げられている。
セラは実体化した魔力を精密に操作しながら、高速艇を周辺の海水ごと持ち上げていた。ポーション調合時に素材を浮かすのと同じ方法ではあるが、規模も必要な魔力量も桁が違う。
「アウリオさん! 船長をお願いします!」
「――わかった!」
セラの力技に度肝を抜かれても流石に戦闘のプロ。アウリオは即座に船首から飛び降りて、海水ごと実体魔力で持ち上げられていたパラジアと船長を見つけ出す。
「動くなよ、船長!」
声をかけながら、アウリオが剣を一閃する。
高速艇を持ち上げる海水の円柱に一筋の線が走り、支えを失って周囲に水をまき散らしながら崩れ落ちる。
セラは高速艇の着水に備えて息を止めた。
水飛沫が天高く巻き上がり、セラの頭上に降り注ぐ。激しく揺れる高速艇に振り落とされないよう、セラは必死で船縁にしがみついた。
わずかに波が収まった瞬間、高速艇が急加速してパラジアの包囲を潜り抜ける。
海水を被って張り付く前髪を払って船首を見ると、ずぶ濡れの船長が海上に響き渡る笑い声をあげていた。
「この俺が海に落ちて死ぬものか。死ぬときは船の上だと決まってやがんだからなぁ! ヒヤッとさせやがって甲殻野郎共! ふざけんじゃねぇぞ、おらぁ!」
大分やけくそ気味だが元気な様子の船長の足元に、アウリオが座り込んでいる。
「人生一の冒険をしてる気分だよ。予想外が起きすぎる!」
とりあえず、全員が無事なようだと、セラは船室入り口横の壁にもたれて一息をつく。
「すみませんが、魔力がもうありません。寄港してください」
「セラさん、こちらこそすみませんなんだけど、船室に入っててくれる? 目のやり場に困る」
アウリオが腕で目を覆いながら言う。
何のことかと思いつつ、セラは自分の体を見た。海水を頭から被ったせいで服が体に張り付いている。だが、白衣を着ているのもあって別に体のラインは出ていない。
「アウリオさん、意外と初心ですね」
「これは経験のあるなしじゃなくマナーなんだよ。だから船室に入ってて」
「そういうものですか?」
人付き合いは難しいな、と左遷の錬金術師セラは船室に引っ込んだ。




