第三十一話 これが人の口にするものかよ!?
提案書を受け取ったコフィは賞金付きの難題に臨むような険しい顔でセラを見た。
「……その、実体魔力のポーションとやらは人が飲める代物なのか?」
「私が愛飲しています」
「別にセラ君を化け物呼ばわりするつもりはないさ」
そう言って、コフィは覚悟を決めたような精悍な顔でセラに片手を差し出した。
「実体魔力のポーションを飲ませてほしい」
「どうぞ」
「あっさりと渡すんだね……」
実用化されなかったとはいえ、国を挙げて騎士の標準装備にしようとしたポーションだ。国家機密扱いになってもおかしくない。
そんなものをぽんと渡されたからこそ、コフィの覚悟は揺らいだ。国ですら、飲めるものなら飲んでみろと静観を決めるほどの味なのだ。
コフィは受け取ったポーション瓶を傾け、手のひらの上に少量を取った。恐怖が勝ったのだ。
ぺろりと、舌で舐めたコフィはポーションを取り落とし、思わず天を仰いだ。
独身時代に失敗した数々の料理が走馬灯のように駆け巡る。失敗料理たちは口々に言っていた。
『どうだ、俺たちは食べ物だっただろう?』
いまならコフィは彼らのために祈ることができる気がした。極上の料理を味わった後にあの失敗料理がデザートとしてテーブルを占領しても笑顔で迎え入れられる。その確信があった。
「――ギルド長?」
「はっ……私は何を?」
「執務机の奥に隠してあったらしい塩辛とワインを無心で召し上がっていましたよ」
セラが言う通り、執務机の上には乱暴に開けた塩辛と首をたたき割ったワインボトルがある。
実体魔力のポーションの酷い味に苛まれたコフィは一心不乱に口直しを求めたのだろう。
幾分か和らいだが、コフィは口中に苦味とえぐ味の多重奏とわずかな痛みを感じていた。
コフィは満杯になっていたはずの塩辛の瓶を取る。半分以上がなくなっていることに恐怖すら覚えた。これほどの塩辛さがあっても、口中を蹂躙した一舐めの実体魔力のポーションの味に勝てなかったのだ。
正気を取り戻した今、コフィは改めて塩辛を口に運ぶ。
「……味がしない」
舌の表面に苦味とえぐ味がコーティングされている錯覚すらある。だが、よくよく集中してみれば、錯覚ではないことも分かった。
舌の表面に実体化した魔力の感覚があるのだ。この魔力が苦味とえぐ味を持っているのか、それとも捉えているのかはわからない。
「これは、無理だな」
人が飲める味ではない。山菜をすり潰しただけのペーストすら比較にならない。毒だと言われた方が納得できる。
オースタが話していた激マズの錬金術師の異名、あれは誇張ではなかったのだ。これ以上の形容ができなかっただけだ。
セラはもったいないと言いながら残りの実体魔力のポーションを飲んでいる。コフィは怖くなった。
コフィは大きく深呼吸して、口に残る味を極力無視してセラに問う。
「紙か何かに含ませても味は変わらないのか?」
「変わりませんし、効果がなくなります」
「効果の前に、飲み干せる人間を探すところからだ。いや、訓練された犬でもいい」
「訓練されていても魔力の操作ができる犬はいませんよ?」
「そうだな。まだ取り乱していたようだ」
コフィは人間が飲めるわけがないという先入観が先に来ていたことを反省する。
紙に染みこませても味が変わらないというのは朗報だった。病院送りを減らせる。
だが、セラから絶望的な事実を突きつけられる。
「それと、魔力の操作がどれほどできるかも重要になります。身体強化を日常使いしている冒険者の方でも使いこなせるかどうかわかりません。飲める人が私以外にいなかったので」
「飲めてもまだ壁があるのか……」
国が諦めるはずだと思いながら、コフィは無意識に塩辛を口に運んだ。
※
実体魔力のポーションを染み込ませた紙が冒険者たちに配られていく。
コフィが実体験を交えて危険性を話しただけあって、冒険者たちは一様に悲壮感に溢れた顔をしていた。
そんな冒険者たちをセラは白い目で見ていた。
「町のためだ! やってやろうじゃねぇか!」
と気合を入れて紙を噛んだ冒険者は口を押えて床に倒れ込んだ。
「大袈裟な。たかがポーションだろうが!」
と笑いながら紙を嚙んだ冒険者はギルド横の酒場へ走っていった。
「みんな悪ノリが好きだなぁ」
とのんびり笑っていた冒険者から表情が消えて涙が浮かんだ。
次はお前が行けよと目で語り合う冒険者たちの中から、一人の勇者が進み出る。
「恩義のアウリオ!?」
「まさか、恩に殉死する気か!?」
畏敬と称賛の拍手を背に、アウリオが紙を手に取る。
「命の恩人を守るためだ……」
覚悟を決めたアウリオが紙を噛み、しばらく動きを止める。
冒険者たちが固唾を飲んで見守る中、アウリオは口を開いた。
「あと五枚くれ。この味に慣れてみせる」
喝采が巻き起こる。ギルドホール全体が揺れるほどの大喝采だ。
しかし、セラは騙されない。
「アウリオさんも美味しいとは言ってない」
セラの呟きは喝采に掻き消えた。