第三十話 激マズの錬金術師
密漁組織が壊滅したこともあり、町には若干の楽観ムードが漂っていた。すぐには資源が回復するわけではないとしても、問題を取り除いたという認識なのだろう。
しかし、冒険者ギルド、漁師ギルドの見解は町の雰囲気とは真逆だった。
セラの予想通り、密漁組織はコロ海藻不足を聞きつけてから犯行に及んでおり、密漁による水揚げ量も減少傾向だった。
いよいよ原因が見当もつかないと、両ギルドは頭を抱えている。
セラは町の錬金術師からの聞き取り調査と各々が独自に研究していたコロ海藻不足の原因を取りまとめ、両ギルドと同じく頭を悩ませることになった。
「ほぼ確定ですけど、どう調査しましょうか……」
コロ海藻は水深二百メートルほどのところで胞子を飛ばすことが知られている。人間が利用しているのは二百メートルに満たない水深なので資源枯渇は考えにくいとされてきた。
ヤニクの錬金術師、コットグは海水から作るフラビナ調合水の材料として港で海水を採取し、その際の日記をつけていた。その日記でコロ海藻の繫殖期に胞子があまり海水中に含まれていなかったことに言及している。
この時点で、繁殖するための水深二百メートル以下で何かが起きていた。
本来、海中の異常は漁師ギルドが発見する。漁師の目もあるが、資源保護の観点から定期的な調査が行われるからだ。
だが、深海域の調査はここ五年間行われていないらしい。
コットグ曰く、調査を担当していた潜水魔道具の使い手が老衰で亡くなってしまったそうだ。
魔道具は魔力を流すことで効果を発揮する。魔法陣や素材などを利用して通常の魔法では再現が困難な現象を引き起こす便利な道具だ。
だが、使用者と魔道具の相性による影響が大きく、適性がないと発動できないばかりか誤作動を起こすこともある。
潜水魔道具の後継者が見つかっていないため、深海域の調査ができなくなったのだ。
「深海域で何かが起きているのはもう間違いないとして、調査方法が……」
――ないわけではない。
オースタたち騎士団には断られてしまったが、実体魔力のポーションを飲めば水圧に耐えることも素早く泳ぐことも、身を守ることだってできる。
「……でも、騎士団みたいに半壊すると困りますよね」
実体魔力のポーションは非常に有用なポーションである。
服用者の魔力量と操作能力にもよるが、魔力を展開している限り飛び道具をほぼ無効化し、無数の刃物を自由自在に飛ばすこともできる。
国立錬金術師ギルドの開発部に勤めていたセラが考案したポーションの中でも飛びぬけて優秀な効果を持つこの実体魔力のポーションは、当然国が目を付けた。
『これを騎士に飲ませれば物理攻撃はほぼ無効じゃん。サイキョー騎士団爆誕ダワ!』
などと軽いノリだったかは不明だが、国のお偉方は迅速に実体魔力のポーションを王立騎士団に配布した。
結果、実体魔力のポーションのあまりの苦さ、エグ味、粘りつくようなピリ辛さに騎士たちは悶え苦しみ、治療室はパンクした。
治療室に運ばれた騎士の一人は『魔力操作どころではないほどひどい味だ!』と絶叫し、舌が回るなら軽症だと判断されて治療を後回しにされたとか。
実体魔力のポーションは二百ミリリットルを飲み干さなくては効果が出ないうえに一口でも口に含むと口に残った味のせいで集中力が大いに乱れてしまい、戦闘どころではなくなる。
味の改良を依頼されても、セラはこの味が一番美味しいと思っていた。騎士から苦情を聞いて亜鉛不足を本気で疑ったほどだ。
国立錬金術師ギルド本部が総出で改良に取り組んだものの、結論は『改良は不可能』というものだった。
以来、セラは王立騎士団に『激マズの錬金術師』の二つ名で呼ばれ、恐れられている。
そんな曰くつきのポーションを冒険者たちに飲ませるわけにはいかない。どういうわけか、コフィからギルド長命令で新規ポーションの試飲は密漁組織の容疑者を使うようにとお達しもきている。
「いっそ一人で素潜りしましょうか」
自分なら実体魔力のポーションを美味しく飲めるのだから、調査はできる。
問題は、深海の普段の状態を知らないところだ。異変を見落とす可能性が高い。
せめてもう一人、海底調査に同行した経験者が欲しい。
事情を話して冒険者ギルドと漁師ギルドで希望者を募るしかない。騎士団と同じく何人か病院に運ばれるかもしれないが。
セラは提案書を作るため引き出しから白紙を取り出し、筆を走らせる。
その時、窓を軽く叩く音が聞こえてきた。
「あ、久しぶりですね」
窓の外にさび猫がいる。
ここしばらくは護衛のアウリオがいたせいか姿を見せなかったさび猫は催促するように窓に猫パンチをしていた。
「いま開けますよ」
窓を開けると、さび猫は外から研究室を見回して安全を確認し、するりと入ってくる。
さび猫は机の上に座り、セラの書きかけの提案書をじっと見つめ始めた。
「邪魔しちゃだめですよ?」
言ってもわからないだろうなと思いつつ声をかけると、さび猫は返事をするように一声鳴いた。
セラが席に座りなおして提案書の続きを書き始めても、さび猫は大人しく文面をじっと見つめるだけだ。すらすらと連ねられる文字が面白いのか、それとも筆の動きを目で追っているのか。どちらであっても手を出してこないのならそれでいい。
次第に集中して提案書を書き終えたころ、ふと周りを見回すとさび猫は姿を消していた。