第二十三話 緊急事態
慌ただしく動く港の人々を端から観察しつつ、セラは隣のアウリオに声をかける。
「アウリオさんは救助に行かなくていいんですか?」
港に居合わせた冒険者はほとんどが船に乗って大型船の救助に向かっている。ヤニクの冒険者には海難救助の講習があるほど、船回りの事件があれば急行するよう指導されているはずだ。
アウリオは油断なく海面を睨みながら首を横に振る。
「自前の船でもあれば救助に行くけど、いまさら行っても邪魔になるだけなんだ。向かっている冒険者と漁師の人数からして、あの大型船の定員を超える」
あの一瞬でそこまで判断して飛び出さなかったのかと、セラは感心した。セラの方は何が起こっているのかよくわからずに大型船に目を凝らすばかりだった。
アウリオが大型船の甲板を指さす。
「見えるかな? あそこで人と魔物が戦っているだろう? あれがパラジアだ」
「……遠くて見えませんね」
セラの視力では鮮やかな紅色の塊がいくつか動いているのがかろうじてわかるだけだ。
おそらく、アウリオにははっきりとヤドカリ型の魔物の姿が見えている。
「怪我人は出ていますか?」
「戦闘中の漁師の数が少ない。怪我人を中に匿っているんだろうね。全速力で港入りするつもりのようだし、多数出ていると思う」
狭い甲板上で堅い甲殻をもつ魔物と闘うのだから、なかなか分の悪い戦いになる。怪我人が出るのは当然だ。
セラは買い込んだポーションの素材を頭に思い浮かべながらさらに質問する。
「パラジアに毒はありますか?」
「吐いた泡に毒がある。ヒエンボラと同一の毒だったと思う」
「それなら手足がしびれる神経毒ですね。二時間は動けませんが、自然治癒します」
「確かに毒で死んだって話は聞いたことがないな」
予断は許さないが、地元の錬金術師に対処を任せる方が確実だ。それだけの時間もおそらくある。
だとすれば、セラがここでやるべきは入港してきた船から重傷者を引き受けて応急処置を行うこと。
セラは懐から常備しているポーションを取り出して蓋を開けながら歩き出す。
「港に行きましょう。怪我人の治療に当たります」
「できれば安全な場所に避難してほしいんだけど?」
「これでも国家錬金術師ですから。救護義務があります」
「それに救われた身としては強くは言えないな。護衛するよ」
セラの荷物を持とうとするアウリオを片手で止める。
「荷物は自分で持ちます。アウリオさんは両手を空けておいた方がいいでしょう」
護衛の手がふさがっていてはいざというときに剣も抜けない。
セラがポーションを飲むのを見て、アウリオが不思議そうな顔をする。
「そのポーションは?」
「アウリオさんは意識を失っていたので見てませんでしたね」
セラは空になったポーションを懐に戻しながら魔力を展開する。地面に置いていた荷物がひとりでに持ち上がるのを見てアウリオが驚いた顔をした。
「どうなってるんだ? そのポーションの効果か?」
「魔力を実体化するポーションです。複数のポーションを並列で調合する時に便利なので常備しているんですよ」
話しながら、セラは大量の荷物の中から軽症治癒などのポーション素材を取り出しつつ港に走り出した。
アウリオは信じられないように宙に浮かぶ素材の列を見ている。
「器用って言葉で片づけられないくらいに器用なことをしているように見えるんだが」
「慣れですよ」
答えながら到着した港では大型船の受け入れ準備が始まっている。市場にいた商人や客はすでに避難がほぼ終わっているようだ。
素材を宙に浮かしながら駆け込んできたセラを漁師や冒険者がぎょっとした顔で出迎える。
「国家錬金術師のセラです。怪我人の治療に参りました。応急処置にはなりますが、重傷者はこちらに運んでください」
「それは心強いんだが……」
唖然とした顔で宙に浮かぶ素材を見る漁師を意に介さず、セラは港の一角を水魔法で洗浄する。捌かれた魚の鱗などが散っているのもあって、怪我人を寝かせるには非衛生的だったのだ。
セラが場を整え終わる前に、冒険者の何人かが声を上げた。
「戦える奴は岸辺に寄れ! パラジアがこっちにまで来てる!」
「繁殖期でもないのに何で群れてんだよ」
「知るかよ。とにかく目の前の敵に対処しろ」
冒険者がさすまたや槍をもって岸壁を上がってくるパラジアに対処する。堅い甲殻に覆われたパラジアは剣で斬りつけても効果が薄い。
そのため、数人がかりでさすまたを使って動きを封じ、槍でとどめを刺す流れができていた。元々対処法が知られている魔物らしい。
それでも取り押さえるタイミングが合わなければ振り払われ、運悪く鋏の間合いに入れば腕や足を捩じ切られる危険な魔物だ。
アウリオもいつの間にか剣を抜いてセラの護衛に立っている。
セラは魔力を周囲に展開してパラジアが近づいても対処できるようにしつつ、素材を見回した。
さすがに調合器具までは持ってきていない。素材ばかり豊富でも調合器具がなければできることは限られる。
大型船が入港するまでに時間のかかる素材は先に処理しようとセラは決めた。
セラはバツバツ草を実体化した魔力のみで押しつぶして細かくする。怪我の治療に用いるポーションの一般的な材料だが、細かくする度合によって副作用の大きさが決まる。
セラは大きさを慎重に見極めて均一にしつつ、別の素材を取り出した。
赤い柔らかな実だ。非常に強い毒性のあるザクラームという実で、一舐めすれば大人でも死に至る危険物である。
ただし、重曹を加えて混ぜ合わせることで青く変色し、毒性が完全に失われる。これだけで安全に薬効成分だけを取り出せるのだ。
均一に混ぜる必要があるものの、セラは実体化した魔力で実を潰し、その上から重曹をまぶして一気に青く変えていく。
宙に浮いた素材が瞬く間に処理されていくその光景は知識のない者から見ても異様の一言に尽きる。
午前中にギルドで行われた説明会など知りもしない冒険者たちも、この異様な光景を見ればセラが只者ではないことが分かった。
「――やられた! 一匹抜けたぞ!」
岸壁で冒険者たちが作っていた防波堤を一匹のパラジアが抜けた。
突き出されたさすまたを鋏で切り飛ばし、パラジアは動こうともしないセラに狙いを定める。
狩りやすそうな獲物から狙う。野生の本能だろう。
パラジアがセラに向けて一直線に駆けだす。
――次の瞬間、パラジアは堅い甲殻ごと真っ二つになっていた。
「おっと、汚しちゃまずいな」
アウリオはそう呟いて強化した脚を振り抜く。真っ二つになったパラジアの体は左右のどちらも海へと蹴り込まれた。
セラを守れる位置をキープしたまま、アウリオはセラを振り返る。
「パラジアも鮫みたいに解剖するのか? だとすれば内臓を傷つけないように倒すけど?」
「私は魔物に詳しくないので解剖をしてもわかりません。あまり余裕もありませんから、普通に倒していいと思います」
アウリオとセラの余裕綽々なやり取りに、冒険者たちが気合を入れなおす。
地元の冒険者として、負けていられないと。




