第十九話 コットグ
ヤニクの錬金術師の中で最年長なのは灯台の近くに暮らすコットグだ。
昔から地元漁師や船乗り、釣り客を相手にポーションを作ってきたコットグは漁業関係者に慕われており、独り立ちした弟子も多数ヤニクに住んでいる。
コットグに認められれば、冒険者ギルド関係者はともかく漁業関係者の支持は得られるという。態度が硬化している冒険者ギルド関係者ではなく、漁業関係者から懐柔していこうという作戦だ。
そんな話をイルルに説明されながら灯台に向かう。
「コットグさんは見た目は三十代だけど、実際は五十歳超えてるって。一時は襲名した弟子じゃないかなんて言われていたらしいよ」
「二十歳も若く見えるのは凄いですね」
錬金術師には稀に化粧品作りから入ってきた美意識高い系もいるが、そのタイプは好きこそものの上手なれ理論で凄腕になったりする。
強い潮風にセラが吹き飛ばされそうになってよろけると、イルルが支えてくれた。
「セラさんはもっと足腰を鍛えないとだね」
「あまり出歩かないもので」
潮風に注意しながら港の方を振り返ると、停泊している船がいつもより多いのが気になった。
セラの視線を追ったイルルが解説する。
「この時期は近海が禁漁になるんだよ。みんなで遠洋に出るんだけど、そうなるとポーションの消費も馬鹿にならないから」
「遠洋は大型の海洋魔物が出ますからね」
漁師は海に特化している分、下手な冒険者よりも魔物に強い。それでも貿易船には海上での戦い専門の冒険者が必要なほど、遠洋の大型魔物は手強い。
海中透視のポーションを切らせば海中からの不意打ちに対応できずに船ごと海の藻屑だ。本来は遠洋に出る船が今も港に停泊しているのもそういう事情だろう。
急がないと。そう思って、セラは灯台近くにぽつんと建つ家を見る。
二階建ての小さな家屋と平屋の建物が渡り廊下でつながった家だ。毒物なども扱う錬金術師の自宅兼工房はこういった形式になることがよくある。換気の効率を考えれば、強い潮風で風通しのよいこの立地にも納得だ。
「コットグさーん! お邪魔しまーす!」
イルルが海の向こうにも聞こえるんじゃないかと心配になるほどの大声で呼びかけ、家人も待たずに門をくぐる。
ついていくべきか迷いながら、セラはイルルに声をかけた。
「勝手に入っていいんですか?」
「あ、言い忘れてたね。親戚なんだよ。私のお爺ちゃんの弟の娘がコットグさん」
親戚だからって返事も待たずに入っていいのかと、セラの心配は尽きない。
置いて行かれるのも困るので、セラは恐る恐るついていくことにした。
勝手知ったるといった風情で敷地を突っ切ったイルルは母屋の玄関につり下がった青銅製の鳥の模型を指でつつく。それだけで、敷地のあちこちから鳥の鳴き声が聞こえてきた。海鳥ではなく、山鳥の鳴き声だ。
港町では馴染みのない鳴き声を発する青銅製の鳥の模型を観察して、セラは気付く。
「魔道具ですね。それもかなり精巧に作られています」
王都の職人でもなかなか真似できないレベルの精巧さだ。模型の内部を空洞にして魔法陣を内部に彫り込んである。
許されるのなら手に取って観察したいほど精巧な品だ。さぞ高名な魔道具職人の手によるものだろう。
「これを製作した方はご存命ですか?」
セラが尋ねるとイルルは髪留めのバレッタを弄りながら困ったように笑う。
「五十年前くらいに亡くなったってさ。その魔道具もコットグさんが生まれた記念品らしいよ」
「そうですか……。お弟子さんは居ませんか?」
「――食いつくじゃない。見る目のあるお嬢さんだ!」
快活な、どんな難事もスパッと解決してくれそうな頼りがいのある女性の声が割って入った。
声の聞こえた方へと視線を向けるとすらりとした美男子が母屋と平屋を繋ぐ渡り廊下に立っていた。イルルと同じ綺麗な茶髪が強い潮風にひらりはらりと揺れている。
「イルル、そこの目の肥えたお嬢さんをどこで拾って来たんだ?」
「こちら、冒険者ギルドに派遣されてきた国家錬金術師のセラさん」
「はっはっは……マジかい?」
明朗快活な声が一瞬で不安そうな響きに変わり、セラをまじまじと見る美男子。
イルルがセラにそっと耳打ちした。
「あれがコットグさん。説明会でもちゃんと『さん』をつけた方がいいよ。親戚の私でも他人の振りをしておくくらいだから」
「イルルさん、呼び捨てにしても構いませんか?」
「いいよぉー、こっちおいでー、可愛がってあげよう」
「――聞こえているよ、イルルー」
あ、間違いなく親戚だな、とセラが確信するやり取りを交えるイルルとコットグさん。
三十代の美男子に見えるが、実際は五十代のお姉さまらしいコットグさんは登場時に台詞をキメてしまったがために引っ込みがつかなくなったらしい。
「まぁ上がんなよ。むさ苦しい漁師の男どもと違って、見目麗しいお嬢さん方なら大歓迎さ」
「冒険者ギルドで行う予定の、コロ海藻不足によるポーション高騰の解決策の説明会について説明に参りました。こちらが資料です」
「ふぅー! イルルー、芯がしっかりしたいい友人を得たね!」
「コットグさん、私は冒険者ギルドのお仕事で来てるの。セラさんを友人として連れてきたわけじゃないし、友人をここに連れてくるわけないよ?」
「ふっふぅー! 辛辣ぅ」
コットグはけらけら笑いながらそう言って、玄関横の壁に背中を預けると鋭い目つきでセラを射抜いた。
「イルルが仕事と言い切るからには、ゼロベースで話したいってことだろう? しかも、イルルは、あたしとあんたがゼロから仕事で付き合えると踏んでるんだ。あたしは仕事とプライベートはきっちり分けるよ。この家を見ればわかるだろ?」
母屋と仕事場が渡り廊下でつながっている自宅を手で示し、コットグは挑戦的に笑う。
イルルはセラを確かめるように目配せをした後、一歩下がる。後は任せる、と。
セラは説明会についての話を始める前に、潮風にかき消されそうなコットグに染み付く臭いに言及した。
「木の実のカブラズの粉末から碇のポーションを作ろうとしていますね?」
「……そこ、風上のはずだよ?」
「あの粉末をパスタに混ぜるのが好きでして、あの香りはすぐわかります」
「……マジかい?」
「はい。美味しいですよ?」
コットグはセラを生態不明の深海魚を見るような目でまじまじと観察し、口を閉ざす。
質問がないのならちょうどいいと、セラは説明会の招待状を渡した。
「あと、お届け物があります」
セラはイルルを促し、薬草店から預かった小瓶を渡す。
コットグは小瓶を片手で振って、セラを見た。
「これの正体にも気付いているわけだ? 正解?」
「半分は正解です。もう半分はフジツボの煮汁です」
「どうやってそれにたどり着くんだ……」
コットグは降参とばかりに両手を上げて、説明会への参加を確約した。




