第十二話 市場調査
直に日が暮れる頃合いだけあって、魚市場はほとんど閉まっていた。それでも、個人向けの商店や屋台は夕食の買い出しに来た客で賑わっている。
あまり日持ちがしない魚を売り切りたい店側と安く買いたい客の間で値段の交渉をしている声や地元客との世間話がちらほらと聞こえてくる。
聞こえてくる世間話から察するに、町全体の物価が上がっているわけではないようだ。
セラは店先の箱の中を泳ぐ魚を見る。少し弱っているのか動きが鈍いものの、脂が乗っていそうな太い魚だ。王都で見るのは大体が干物で、新鮮なものはここで売られているものの三倍近くする。
「お嬢ちゃん、見ない顔だね。観光かい?」
店主に声をかけられて、セラは愛想笑いで答えた。
「仕事の都合で今日、ヤニクに来たんです」
「大変だね。いまから魚を捌くのも大変だろうし、店側でやれるけどどうする?」
すでに買う流れに持ち込まれていることに気付いていたが、夕食の買い出しも目的の一つなので店主の思惑に乗ることにした。
セラは悩むような顔をしつつ店主に質問する。
「それが、魚といえば干物ばかりで生魚は扱ったこともないんです。どう料理すればいいのかもわからなくて。おすすめの料理法も教えてほしいです」
「内陸の出身? なら癖のある魚よりもこっちの方が見た目的にもとっつきやすいかな。鱗も引いて半身にするから、そのままムニエルにできるよ」
「ムニエル! 一度やってみたいと思っていたんですよ」
話を合わせながら、セラは勧められた魚を確認する。
ライラン魚という近海で取れる中型魚だ。熱を通すと身がほぐれて柔らかくなり、皮目から独特のよい香りがするムニエルに最適な魚だ。
この店主はきちんと客に合わせて商品を見繕ってくれるらしい。信用できそうだ。
セラは店主に気になっていたことを質問する。
「コロ海藻やコロスミエビって置いていませんか? 朝のスープにしてみたいんですけど」
コロ海藻もコロスミエビも一般的な海産物だ。しかし、魚市場を見て回った限り一度も見かけていない。
売り切れている可能性も考えての質問だったが、店主はライラン魚を絞めながら眉を寄せた。
「それがねー。コロ海藻もコロスミエビもここ最近は全然獲れないんだ。俺らも困っててねー」
「そうなんですか……。時期が悪かったんでしょうか?」
「いやいや、あんなもんは年中獲れるはずなんだよ。俺らも首を傾げてるんだ」
店主の言う通り、コロ海藻もコロスミエビも一年を通して水揚げされる。セラの知識でもそうだ。
見事な包丁さばきで下ろされたライラン魚を受け取り、セラは礼を言って海岸へ向かう。
海に近づくほど人が少なくなっていく。船が停泊する港は夜の漁に出るためか明かりをつけた船が何艘か見受けられる。しかし、夜釣り客でひしめいていそうな岸壁や桟橋は無人だ。
碇のポーションが高騰しているのもあって釣り客が他所の町へ行ってしまったのだろう。ただ、地元の釣り人もいないのは意外だった。
冷たくなってきた海風が頬を撫でていく。風に遊ばれる髪を気にせず、セラは海面を覗き込んだ。
「うーん。至って普通の海水。藻も繁殖している」
なぜコロ海藻だけが取れないのか。水質を詳細に検査してみる必要がありそうだ。
「とりあえず、藻が生えているなら栄養はあるはずだけど……」
穏やかな海を眺めながら、情報を頭の中で整理する。
価格が高騰しているポーションには共通する材料がある。フラビナ調合水とコロ海藻だ。
フラビナ調合水は百年ほど前に船医兼錬金術師のフラビナが発明したポーション溶媒。火を用いずに加熱の必要もなく調合でき、海産物由来の素材がよく溶ける。船の中での調合に適した溶媒で主な原料は海水だ。
フラビナ調合水が枯渇することはまずありえない。そう考えて魚市場でコロ海藻を探したのだが、水揚げが減っているらしい。
つまり、価格高騰の原因はコロ海藻の品不足だろう。国立錬金術師ギルドで見せられた資料とも合致する。
コロ海藻はコロスミエビをはじめとした様々な生物のコロニーの中心となり、海中の生物多様性の指標となる。
コロスミエビの水揚げ量も減っているのなら、生態系に狂いが生じている可能性が高い。
では、生態系の異常原因は何か。
海水を持ち帰って水質検査をするついでにフラビナ調合水を作っておこうと決めて再び海面を見た時、足元にさび猫が見えた。
驚いてさび猫の顔を見つめる。目が合って、さび猫はゆっくりと瞬きをした。
「ギルドに来た子? なんでこんなところに?」
鳴くわけでもなくじっと見つめてくるさび猫の視線からライラン魚が入った籠を隠す。
「これは私の夕食のムニエルだからあげませんよ?」
言いながらも、セラは無人の桟橋を見る。
このさび猫が釣り人からおこぼれをもらっていたのだとすれば、やけに人慣れしていることもここにいることも説明がつく。釣り人が来なくなったことで腹を空かせているだろうことも推測できる。
悩んだ末、セラは籠からライラン魚の半身を手に取り、さび猫の前に差し出した。
「どうぞ。どうせ一尾丸ごとは多いし」
明日の朝食が一品減るだけだ。そう割り切ったセラをよそに、さび猫は差し出されたライラン魚を一瞥するとふいっとそっぽを向いて魚市場へ歩き出した。
お気に召さなかったらしい。
「魚市場の売れ残り目当てですかね……?」
よく見れば、さび猫は別に痩せているわけでもなかった。餌のえり好みができる程度には食べているようだ。
左遷されて来たセラとは違って、さび猫は自由気ままに世の中をうまく渡っているらしい。
「可愛いは正義ってことですかぁ」




