第十一話 さび猫
乱雑に積まれた箱を埃にまみれながら片づけて、セラは古びたソファに座り込んだ。
冒険者ギルドの奥深く、掃除用のモップや箒が転がる廊下を抜けてきた先にある自分の部屋を見回す。
元々は五、六人で机を並べて仕事ができるくらいの広さの部屋だ。しかし、あまりにも物が多すぎて迷路のようになっていた。
物置部屋の外に荷物を持ち出すのも禁止されてしまい、パズルのように中の物を移動させてようやく足を延ばしてソファに座れるスペースを確保できた。
左遷されてきた人間への待遇なんてこんなものだろう。
「さてと、どうしようかな」
倉庫内への立ち入り禁止はセラも誤算だったが、考えてみれば理屈も理由もちゃんとある。
コフィは理由の方はぼかしていたが、気付いてしまえば簡単だ。セラに冒険者ギルド内でまともなポーションを作られては困るわけだ。
――ギルドにポーションを卸してくれる町の錬金術師との関係が悪化しかねないから。
「町の錬金術師に挨拶して、ちょっとお茶するくらいの関係にならないと仕事どころじゃないですね」
自前の調合器具を古ぼけたテーブルに並べて仕事場としての体裁を整えた時、窓の外からさび猫が一匹、部屋を覗いているのに気が付いた。
やけに長い尻尾を自慢そうにくねらせて、セラの調合器具をじっと見つめている。
毛などの異物混入の危険があるため調合部屋に動物を入れるのはあまりよろしくない。ただ、まだ掃除も行き届いていない埃だらけの部屋で異物混入も何もないだろう。
音で驚かさないように窓をそっと開けると、さび猫は礼を言うように一声鳴いて部屋の中に入って来た。
さび猫は我が物顔で部屋を横断し、積み上げられた箱の上へと軽やかに飛び乗る。そこから部屋全体の掃除状況を検分するように見回して、セラを見た。
暴れたりする様子もないので、セラはさび猫から注意を外し、窓から外の景色を眺める。
遠くに見える海は穏やかで建物の隙間から大型船も見える。港の喧騒は聞こえないが、潮騒に混じる人々の明るい声が活気を物語っていた。
埃だらけで物だらけの調合部屋とは大違いだ。
ちょうど一仕事を終えてきたらしい冒険者たちがギルドの玄関へ向かうのが見える。
「怪我をしている様子はなし。なによりですね」
冒険者を眺めて呟くと、近くから視線を感じた。顔を向けると、窓近くの棚の上に移動していたさび猫がセラを見上げている。
「ずいぶん人慣れしてますけど、あなた船守猫か倉庫番だったりします?」
話しかけても当然ながら答えはない。セラも言葉が返ってくるとは期待していない。
ただ知り合いもいない港町に左遷され、完全な厄介者扱いされている現状で寂しさを紛らわせたいだけだ。
だが、セラは研究さえできれば人との会話に飢えることもない。
ならば研究すればいい。
「さび猫さん、私は港で素材を買ってくるので部屋を出てくれませんか?」
窓へと追いやるように手でそっと押そうとすると、さび猫は触れる前に窓の外へと出ていく。
窓の外で振り返るさび猫に手を振って、セラは窓を閉めた。
※
まずやることは市場調査だ。
セラの表向きの仕事は冒険者ギルド付きの錬金術師。どんなポーションの需要があるのか、どんな素材が必要か、知る必要がある。
そして裏の仕事が冒険者ギルドの反乱疑惑の調査。この疑惑の発端はポーション素材各種の品不足にある。つまり、ポーションと素材の需要を知ればそこから逆算して冒険者ギルドが素材をため込んでいるかどうかを推測できる。
受付のあるギルドホールには依頼掲示板や素材などの買取所、待合室などと共にポーションなどの販売所がある。
セラは調合部屋を出てギルドホールに向かった。先ほど窓から見かけた冒険者の他にも何人かの冒険者の姿がある。帰ってきた冒険者への対応に追われて受付嬢たちのお茶会もお開きになったようだ。
小さなギルドに見慣れない職員が現れて冒険者たちはセラの正体を察したらしい。
刺すような視線を無視して販売所のポーション類を眺める。
一口にポーションと言ってもその種類は様々だ。軽症治癒のポーションのように一般的でどこでも見かけるものもあれば、ご当地商品的なポーションも存在する。
ヤニクのような港町にある代表的なご当地ポーションといえば、碇のポーションだ。
碇のポーションは足裏の身体強化をすることで船の甲板や岩礁に足が張り付いたように固定される効果を持つ。もっぱら釣り客などが使用する釣り人にはお馴染みのポーション。
この販売所にも碇のポーションがあるが、価格が高い。従来の市場価格の四割増しだ。
セラは各種ポーションの価格と使用されているはずの素材を頭の中で照らし合わせていく。
海水飲用のポーションや海中透視のポーションも価格が高い。特に海水飲用のポーションは真水と同様に海水を飲めるようになる海難時の緊急避難用のポーションで、保存性も高い。この価格高騰が昨日今日に起きたものではない証拠だ。
これらの高騰しているポーションは海戦で使用する戦略物資にもなっているから、国が冒険者ギルドの反乱を疑うのもわかる。
ただ、ポーションが値上がりしているから反乱を起こすつもりだという結論は飛躍しすぎだ。
セラは販売所を後にして背中をチクチクと視線に刺されながら冒険者ギルドを出た。
向かう先は港の魚市場。素材の価格などを調査するついでに夕食の買い出しもしようと、セラは献立を組み立て始めた。




