7 第二王子の婚約
それから、数週間後のこと。
「では君は、知っていたのか?」
学園からの帰りの馬車の中で、アルヴァー様が瞬時に眉根を寄せる。
「何をですか?」
「ギルロス殿下とセルマ・レクセル嬢の関係だよ」
「それは、まあ、なんと言いますか、セルマの気持ちについては本人から話を聞いていたので知っていました。でもギルロス殿下に関しては、そうなんじゃないかな、と思っていただけです。ルーシェル先生とディーン先生も、気づいていたような気がしますけど」
私が答えると、アルヴァー様は心なしか納得がいかないというような顔をする。
実は今日、魔法薬学の研究室に集う仲間でもあるギルロス殿下とセルマの婚約が正式に発表されたのだ。
友人であり後輩でもある二人の婚約が決まったのは、素直にうれしい。
でも目の前のアルヴァー様は、何が気に入らないのかはっきりと不満げである。
「なぜ教えてくれなかった?」
「は? だって、聞かれませんでしたし」
「でも君は、あの二人と仲がいいのだろう?」
「そうですけど、だからこそ友だちから受けた相談の中身を断りもなく他人に話せるわけないじゃないですか? あの二人とアルヴァー様にさほど接点はないわけですし」
冷静に返したら、アルヴァー様の仏頂面がますます険しくなる。どうしよう。何がそんなに気に入らないのか、ちょっとよくわからない。
元婚約者のことでずっと悩んでいたセルマと、自身の婚約者を決めかねていたギルロス殿下。
研究室でそういう話をよくしていたら、見かねたルーシェル先生とディーン先生が一気にすべてを解決する奇跡の魔法薬を開発してしまった。
それが、『嘘発見薬』である。
『噓発見薬』とは、服用後に嘘をつくとしゃっくりが止まらなくなってしまうという神秘の魔法薬。嘘みたいな話だけど、本当である。嘘を重ねれば重ねるほどしゃっくりが止まらなくなるから、最後には真実を話すしかなくなるんだとか。
セルマの元婚約者であるカスタル伯爵令息は、セルマを蔑ろにして自身の従妹を優先するだけでなく、必要以上にべたべた、いやいちゃいちゃしまくっていた。苦言を呈しても従妹の面倒を見ているだけで浮気はしていないと返され、婚約を解消できるほどの決め手になる証拠もなくて半ば諦めかけていたのだ。でも『嘘発見薬』を使ったおかげで、最終的には彼も決定的な不貞を認めるしかなくなったらしい。結果として、二人の婚約は無事解消に至ったのである。
一方、ギルロス殿下の婚約者候補である令嬢二人も、それぞれ「嘘」をついていた。一人は家庭で使用人のようにこき使われ冷遇されている状況を必死に隠していて、もう一人は王子妃の地位を得るために父親と結託し、とある有力貴族を買収して婚約者候補に選ばれていた。『噓発見薬』は期せずして二つの貴族家の内情を暴き、二人の令嬢は揃って婚約者候補から外されたのだ。
セルマの婚約が解消になると、すぐにあちこちの令息から釣り書きが届いたらしい。そんな話を研究室でちらっとしたら、ギルロス殿下の顔がさーっと蒼ざめた。
そのときの私の心境がおわかりになるだろうか?
……やっぱりねー!
もう、この一言に尽きる。
だってギルロス殿下、はたで見ていてもそうとわかるくらい、セルマに友情以上の感情を抱いていたんだもの。セルマの一挙手一投足に目をキラキラさせて、「可愛い」と思ってるのが丸わかりだった。私にはあんな目を向けてこないしさ。いや、いいんだけどさ。
しかも、実は少し前からセルマにも相談されていたのだ。ギルロス殿下を好きになってしまったかもしれない、と。一応まだ婚約者のいる身なのに、とか自分のほうが一つ年上なのに、とか第二王子を好きになってしまうなんて畏れ多い、とかセルマはあれこれと葛藤を抱えていた。
だからわざと、殿下のいる前でセルマに釣り書きが届いている話をさせた。殿下の気持ちは自分にないと思っているセルマは「今度はちゃんとした婚約者を見つけたい」なんて言い出して、殿下はわかりやすく相当焦っていた。
そのあとすぐに、本気を出したらしいギルロス殿下。
詳しい話は聞いてないけど、二人の婚約が決まったということはそういうことなのだろう。
そんなめでたい話がまとまったというのに、目の前のアルヴァー様はなぜか不機嫌である。解せない。あの二人のことなんて、よく知らないだろうに。何が気に入らないのやら、ほんとにまったくわからない。
馬車が侯爵邸に到着すると、アルヴァー様は無言でさっさと中に入ってしまった。
相変わらず、学園と侯爵邸での態度のギャップがえぐい。いつものことだし嫌われてるから仕方がないとはいえ、もう少しどうにかならないかと思ってしまう。
ため息をつきながら自室に向かおうとしたところで、階段から降りてくる侯爵夫人に出くわした。
「あら、マリーナ。お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
侯爵邸でお世話になり始めてから、早数週間。
夫人は何かと声をかけてくれ、私はまるで本当の子どものように可愛がられている。「マリーナは素直でいい子ねえ」とか「努力家なのね、偉いわ」とか、いつも私を全肯定して必要以上に褒めてくれるからちょっとくすぐったい。
「ねえ、アルヴァーったらどうしたの? 声をかけたのになんだか不機嫌で、返事もしないのよ」
「あー……」
不思議がる侯爵夫人に、私は馬車の中での会話について一部始終をそのまま伝える。
「ギルロス殿下の婚約が決まったのが、そんなに不満なんでしょうか?」
「さあ? でもルーシェルと婚約していたハルラス殿下ならともかく、ギルロス殿下とアルヴァーにそれほど接点はないと思うのだけれど」
「ですよね……」
と答えた瞬間、不意にある考えが頭に浮かんで「あ!」と叫んだ。
「アルヴァー様、もしかして密かにセルマのことが好きだったんじゃないですか?」
「え?」
「セルマは学年トップの才女だし、快活で可愛らしい令嬢ですから。前の婚約が解消になったときには、すぐに釣り書きが幾つも届くくらい引く手数多だったんですよ。アルヴァー様も、本当は婚約を申し込みたかったんじゃないでしょうか? でも私と偽装婚約していたから何もできなくて、そうこうしている間にギルロス殿下との婚約が決まっちゃったから……」
「そんな素振り、まったくなかったと思うけれど」
突如ひらめいた仮説を聞いて首を傾げる侯爵夫人を横目に、私は強く確信する。
アルヴァー様は、セルマのことが好きだったんだ……!
それなのに、タイミング悪く私と偽装婚約なんてしちゃってたんだもの。もしかしたらうまくいく可能性だってあったのに、私のせいで全部台無しになってしまったんだ……! まあ、それ以前にセルマの気持ちはギルロス殿下に向いていたから、勝算があったかどうかはわからないけど。でも私さえいなければという腹立たしさが、ますます増しちゃったに違いない。
ああ……! アルヴァー様ったら、なんて不憫なのだろう……!
そして本当に、本当に心から申し訳ない……!!
ノルマン男爵の件が片づいたら、一刻も早くアルヴァー様を解放してあげるしかない。そのあとは一切のかかわりを持たずに、赤の他人としてひっそりと生きていこう、なんて思いを新たにするのだった。
隣に佇む侯爵夫人が「やっぱりどう考えても違うと思うんだけど……」とつぶやく声は、私の耳には届かなかった。