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4 侯爵邸にて

 フォルシウス侯爵邸で最初に驚いたのは、侯爵夫妻が私の母を知っていたという事実だった。


 ディーン先生が私の抱えていた事情とすべて演技だったことを暴露し終えると、フォルシウス侯爵が何かに気づいてハッと顔を上げる。


「では君は、リネーア・ビョルク子爵令嬢の娘だというのか……?」


 貴族だった頃の母の名前を口にする侯爵に、思わず「母をご存じなのですか……?」と尋ねる。


「もちろんだよ。彼女は学園で私たちの一つ下の学年だったからね。成績優秀で定期試験ではいつもトップだったし、同い年の王妃殿下が唯一勝てない相手だといつも悔しがっていたのだから」


 侯爵夫人も、その話に大きく頷いている。


 ちょっと勉強ができた、なんていう母の自慢話は、どうやら本当だったらしい。ちょっとどころではないような気もするけど。


 そして侯爵は、ノルマン男爵が学生時代から品性を欠いた粘着質な男だったことや卒業後の評判も決して良くはないことなどを教えてくれる。


「とにかくこのままだと、マリーナ嬢はノルマン男爵の愛人にさせられてしまう」


 焦燥を帯びたディーン先生の声が、語気を強める。


「そんなことは言語道断だし、才能ある若者を黙って見捨てるようなこともしたくない。ルーシェルもなんとかしてマリーナ嬢を助けたいと言ってるんだが、残念ながらキルカ公爵家ではマリーナ嬢を保護する正当な理由がない」

「それで、うちに連れてきたのか?」

「そうだよ」

「しかしだな、匿う理由がないのはうちも同じなのだが?」


 侯爵が訝しげな顔をすると、ディーン先生は待ってましたとばかりに口角を上げる。


 そして自分の斜め前に座る、アルヴァー様に目を向けた。


「理由ならある。アルヴァーとマリーナ嬢を婚約させればいい」

「はあ!?」

「え?」


 アルヴァー様が素っ頓狂な声を出して立ち上がったのと私が小さく叫んだのは、ほぼ同時だった。


「な、なに言ってるんですか先生!」

「そうですよ。婚約だなんて……」

「幸い、アルヴァーにはまだ婚約者がいないだろ? 二人が恋仲になったとでも言って、婚約が決まったことにするんだよ」

「な、なんで俺が、こんなやつと……!」


 立ち上がったままのアルヴァー様は、鬼のような形相で私を睨みつける。その強い視線に耐えられず、私はそろそろと俯いてしまう。


「アルヴァー、言い過ぎだぞ」

「だって……! いきなりそんなこと言われて、『はい、そうですか』なんて言えるわけがないでしょう! いくら今までの態度が全部演技だったとしても、こんな女すぐには信用できません! それに俺にだって、選ぶ権利くらい……!」

「じゃあお前は、マリーナ嬢がこのままノルマン男爵の愛人にさせられてもいいって言うのか?」

「そうは言ってませんけど……!」


 アルヴァー様が声を荒げて拒絶するのも、無理はない。


 だってアルヴァーと私は同じ学年で、クラスは違うけど去年の私の醜態を嫌というほど目にしているんだもの。


 だから私に向ける敵意と憎悪が尋常じゃないことくらい、容易に察しがつく。知り合った頃のセルマやギルロス殿下のそれとは比較にならない。そりゃそうだ。なんせ、姉を失意のどん底に突き落とした憎き仇なのだから。


 それに、今年になってからは侯爵令息であるアルヴァー様のことも何度か追いかけ回してたんだった。つまりは直接的な被害者なわけで。なんだか非常に、申し訳ない。


 激昂し、ふーふーと荒い呼吸を繰り返すアルヴァー様に対し、ディーン先生は顔色一つ変えずに冷ややかな目をしている。


「そう興奮するな。これはな、いわば偽装婚約だよ」

「偽装婚約……?」

「ああ。今はとにかく、マリーナ嬢をノルマン男爵邸に帰さずに保護することが最優先だからな。お前との婚約が急に決まったことにすれば、マリーナ嬢をフォルシウス侯爵邸に引き留めておくことができる。婚約してすぐに嫁ぎ先の家に入って家政をひと通り学ぶなんてのは、別に珍しいことでもないだろ?」

「……確かにな」


 思ってもみない話の流れに混乱しているアルヴァー様の代わりに、侯爵が興味深そうに答える。


「おまけにマリーナ嬢は男爵家の令嬢だ。上位貴族である侯爵家、それも現宰相家に嫁ぐとなれば、それ相応の礼儀作法や教養の習得が望ましい。一刻も早く嫁として迎えるためにこちらで必要な教育を施したいとでも言えば、男爵だって文句は言えないだろ」

「で、でも、そんなことしたって根本的な解決にはならないじゃないですか? 当面はそれで凌げたとしても――」

「当面を凌げればいいんだよ。そうだろ? グスタフ」  


 アルヴァー様の言葉にディーン先生は突然訳知り顔をして、なぜか侯爵に視線を移した。


 侯爵は一瞬で仏頂面になったかと思うと、不愉快そうにため息をつく。


 それから二人は、騎士団がどうのとか情報の管理がどうのとか、いきなりよくわからない話をし始めた。そして共犯者めいた表情をしたかと思うと、お互いに頷き合う。


「……いいだろう」

「父上!」


 抗議の声を上げるアルヴァー様に、侯爵は平然と言い放つ。


「そう目くじらを立てるな。ディーンも言った通り、これは『偽装』だ。何も本当に婚約するわけじゃないんだし、時間稼ぎにはなるだろうよ」

「時間稼ぎ……?」

「マリーナ嬢は、それでいいか?」


 一番の当事者であるはずなのに、私はまるで他人事のように呆けていた。


 だって展開が早すぎて、まったくついていけてない。


 でもディーン先生に問われて、ようやく事態を理解する。


「いいも何も……」


 私はこの場にいる全員の顔を見回した。


 噛みつくように尖った目をするアルヴァー様は仕方ないけど、ルーシェル先生もディーン先生も侯爵夫妻も、包み込むような優しい目をして私を見返している。



 ……信じられない。



 こんな私を、助けてくれるなんて。窮地に陥った、かつての仇ともいうべき私なんかを。


「……むしろ、ご迷惑をおかけすることになります……。いいんでしょうか……?」


 すがるように、隣に座るルーシェル先生に目を向ける。


 先生は、ひと際柔らかく微笑んだ。


「いいに決まってるじゃない。あなたのことは、キルカ公爵家とフォルシウス侯爵家が全力で守るから安心なさい。あなたをノルマン男爵の愛人になんかさせるものですか」

「先生……」


 その瞬間、涙はとめどなく溢れ出た。両親が亡くなったときでさえ、こんなに泣きはしなかったのに。


 なだめるように背中をさすってくれるルーシェル先生の手が優しすぎて、私はまるで無防備な子どものように、いつまでも泣き続けた。






◇・◇・◇






 ルーシェル先生とディーン先生が帰ったあと、私は客室に案内された。


 侯爵邸に着いたときにも思ったけど、広さといい高級感といい絢爛豪華な佇まいといい、男爵邸とは比べ物にならない。当たり前だけど。


「ここにいる間は、何も遠慮することなどありませんからね」


 案内役を買って出てくれた侯爵夫人は、なんでだか妙に張り切っている。


「私のことはお母様と呼んでほしいのだけど、ちょっと気が早いかしら?」

「え?」



 いや、あの、婚約って言っても、「偽装」ですよね?



 そう返したいのだけど、目の前の貴婦人のやんごとない雰囲気に水を差すこともできず。



「アルヴァーがいろいろと面倒くさいことを言っていたけれど、気にしなくていいのよ? 自分の家だと思って、のんびり過ごしてちょうだいね」

「は、はあ……」


 かくして、「偽装婚約」の名のもとに私はフォルシウス侯爵家に保護され、しばらくはここで暮らすことになる。





 それが私の人生を一変させることになるなんて、このときの私はまだ、知る由もない。












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