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2 男爵の怒り

「いろいろと複雑な事情がおありだったのですね。突然ご両親を亡くされて、たった一人でさぞおつらかったでしょう?」


 誠心誠意謝罪の言葉を繰り返し、何度も頭を下げながら、すべての事情を話し終えた私にルーシェル先生は優しく言った。


「……お、怒らないんですか?」

「怒る理由がないですし」


 そう言って、ルーシェル先生はハルラス殿下に対する思いをあっけらかんと説明する。曰く、「ずっと優しい人だと思っていたけど、振り返ってみたら傲慢な人だった」とか「意外に勝手な人だった」とか。結構辛辣である。


 挙句の果てに、「今のほうが幸せなので、いいんです」なんてけろりとした顔で笑うから、拍子抜けしてしまう。


 確かに、ルーシェル先生に対するラウリエ先生の溺愛ぶりは、尋常ではない。


 その後ルーシェル先生にあっさり赦され、魔法薬学の研究室への出入りまで許された私が頻繁に顔を出すようになると、ラウリエ先生はあからさまに眉をしかめてこう言ったのだ。


「マリーナ・ノルマン。お前、一体どういうつもりだ?」

「な、何がですか……?」

「また何か企んでるんじゃないだろうな? 体よくルーシェルに取り入って、うまいこと利用するつもりで近づいたんじゃ――」

「違いますよ! そんなわけないじゃないですか」

「お前の言うことなんか、信用できるかよ」


 けんもほろろ、である。


 でもまあ、そう簡単に信用してもらえるわけがないと、私も思う。いくら今までの言動が全部演技だったと暴露したところで、私がルーシェル先生にとって憎き仇だったのは事実だし、私の好感度なんかとっくに地に堕ちてるんだもの。


 それでも、苦手教科である魔法薬学を教えてくれるというルーシェル先生のお言葉に甘えて、私は二人のもとに足繁く通うようになった。


 ルーシェル先生はいつでも私を温かく出迎えてくれたけど、ルーシェル先生を盲愛するラウリエ先生はその後ろで常に私を威嚇し、牽制していた。事あるごとに、「ルーシェルを傷つけるようなことがあったら、ただじゃなおかないからな?」とでも言いたげな尖った目つきでぎろりと睨まれている。ちょっと怖い。



 それから私は、すっかり態度を改めた。



 高位貴族を見つけては言い寄っていた頃がまるで嘘のように、素知らぬ顔でその横を素通りするようになる。


 あんな恥ずかしいことは、もう二度としない。誰かの迷惑になるような行動は、もうしたくない。


 私を見つけると慌てて逃げたり露骨に不機嫌そうな顔をしたりしていた令息たちは、そんな私の激変に驚いていたけど我関せずを貫いている。


「でも、どこかの令息と縁付くことを諦めたら、男爵の愛人になるしかないんじゃない……?」


 私の決意を心配したルーシェル先生にはそう言われたけど、いずれは男爵家を出て、どこかの修道院にでも逃げ込もうと思っている。いくら路頭に迷っていたとはいえ、ノルマン男爵の提案なんて最初から断ればよかったと今では本当に後悔しているのだ。


 そして、これまで完全に手を抜いていた勉強にもきちんと向き合おうと決めた。


 とにかく男爵から逃げるための相手を見つけることに必死だったから、勉強なんてずっと二の次だったのだけど。


 取り返しのつかない過ちを笑って許してくれたルーシェル先生に報いるためにはどうすべきか、私なりに考えたのだ。懐の深いルーシェル先生は、「あなたのおかげで今の幸せがあるんだから、むしろ感謝してるのよ」とまで言ってくれた。過去のことはきれいさっぱり水に流して、こんな私に手を差し伸べてくれた大恩人に私は一体何ができるのか。



 学生としての本分を全うすること。これしかない。



 学生の本分は、勉強である。だからこれまでの分を取り戻すべく、一心不乱に勉強した。ひたすら真面目に勉強した。そしたらなんと、学期末試験で学年トップを取ってしまった。これにはさすがに私もびっくりして、成績表を前に声を上げそうになってしまった。慌てて手で口を押さえたけど、まわりにいた学園生たちには怪訝な顔をされたから一目散に逃げた。


 ちなみに、これまで不動の学年トップの座に君臨していたのはルーシェル先生の弟、アルヴァー・フォルシウス侯爵令息である。


 アルヴァー様は学年一の秀才でルーシェル先生の弟で、おまけに現宰相の子息でもある。次期宰相と目されているその人に、期せずして勝ってしまった。そりゃ、びっくりして当然だろう。


 廊下ですれ違ったアルヴァー様には、ものすごい仏頂面で睨まれたけど。


 そんなふうに、ルーシェル先生の優しくて心強いバックアップのもと、真面目な学園生活を送るようになったらなんと友だちまでできてしまった。


 それは第二王子ギルロス殿下と、この国の外交を担当するレクセル侯爵の長女、セルマ・レクセル嬢である。


 実はこの二人、それぞれの婚約関係のことで思い悩み、ルーシェル先生を頼って研究室を訪れるようになっていた。セルマ嬢の婚約者はかつてのハルラス殿下同様、本来の婚約者を放ったらかしにしてあろうことか従妹といちゃこらしていたし、ギルロス殿下の婚約者候補たちは何やら言動が胡散くさすぎていまいち信用できないらしい。


 とはいえ、はじめのうちはこの二人も私に対する敵意をむき出しにしていた。ギルロス殿下は兄であるハルラス殿下の婚約者だったルーシェル先生を以前から慕っていたそうだし、セルマ嬢はセルマ嬢で才媛たるルーシェル先生に密かに憧れていたという。だから二人とも、ハルラス殿下をたぶらかした張本人である私に対してはっきりとした悪感情を隠さなかった。


 でもそれも、ルーシェル先生の取りなしであっけなく解決してしまう。私が抱えていた事情と、そのためにずっと演技していたという真実を明かすと、二人は途端に私の味方になってノルマン男爵を悪しざまに罵り始める。


「もとはといえばノルマン男爵が悪いわけでしょう? 困っている平民の娘を捕まえて、自分に都合のいいように利用するなんて貴族の風上にも置けません」

「その通りです。好きだった女性の娘を助けるならまだしも、自分たちの借金のために引き取って高位貴族の令息を捕まえさせようだなんて、傲慢にもほどがある」

「そのうえ、それがダメなら自分の愛人にしようだなんて、何を考えてるんでしょう? キモすぎます」



 ……うれしかった。



 自分が愚かだったから、馬鹿だったから、利用されてしまったのだと思っていた。その世間知らずな未熟さを咎められて当然とすら思っていたのに、まさか擁護してもらえるなんて思ってもみなかった。ちょっと泣きそうになったのを、顔面に力を入れてなんとか押し留める。


 それから、私たち三人は魔法薬学の研究室でしょっちゅう顔を合わせることになった。


 四年生の私と二年生のセルマ、それに一年生のギルロス殿下は全員年も違うし生まれも境遇も違ったけど、なぜだか妙に気が合った。三人集まってわちゃわちゃと騒いでいる時間がとにかく楽しくて、魔法薬学の研究室に向かうときはいつもわくわくした。



 こんな日常がいつまでも続いてくれたらと思っていた直後――――



 現実はちっとも優しくないのだと、思い知る羽目になる。






 その日、私は学園から帰宅してすぐノルマン男爵に呼び出された。


 執務室で待っていた男爵の表情は、まるで苦虫を嚙み潰したかのよう。


「マリーナ。お前、私の言ったことを忘れたのか?」

「は? 何を……」


 ただならぬ雰囲気に、思わず息を凝らす。


 男爵は一ミリも表情を変えず、冷たい声で言い放つ。


「とっとと次を見つけて来いと言ったはずだが」

「あ……」

「最近のお前は高位貴族の令息には見向きもせず、ひたすら勉学に励んでいたうえとうとう学年トップにまで躍り出たそうじゃないか。一体どういうつもりなのか、説明してもらおうか?」

「そ、それは……」

「トップになどなったところで、なんの意味がある? 私はお前に、高位貴族の結婚相手を見つけて来いと命じたはずだ。違うか?」

「そう、ですけど、でも――」

「自分の役目を果たすつもりがないのなら、さっさと学園を辞めて私の愛人になれ」

「え……」



 そうだった。



 この世界は時に非情で残酷で、理不尽ですらあることを、思い出した。












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