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北の森に住む魔女と  作者: 小松しの


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5/10

5.アロイスの異変


 リージェは日付が変わろうかという頃に帰ってきた。

 その時にはネマリエも戻ってきていて、二人はすっかり冷えたリージェにいつものように接した。


「リージェ!まったく、どこをほっつき歩いていたんだい!ほら、すっかり冷たくなっちまって。女は冷やしたら駄目なんだよ!もう風呂に湯は張ってある。とにかくゆっくり浸かりな!」


 グイグイとネマリエが背中を押して風呂場へと追いやると、ピアがリージェの服を脱がせてリージェに湯をかけた。

 ピリピリと冷えた体に痛みを感じたが、リージェは二人の優しさに涙が出る。

 リージェを湯船に浸らせたピアは、湯船の横に椅子を用意して座った。

 声を出さずに泣くリージェを見ても、何も言うことなく静かに見守る。

 すると、しばらく泣いていたリージェが、何かを振り切るように話しだした。


「ぐすっ、私ね、好きだったんだぁ」

「ああ。まだ若いけど、あれはいい男だもんね」

「うん。優しかったぁ」

「ああ。そんな感じだったね」

「待っていてって言われたけど、ぐすっ、さよならって逃げちゃったぁ」

「賢明な判断だよ」

「うん。でもねぇ、好きだったんだぁ」

「好きになるのは自由だよ。ただ今回は相手が悪かったね」

「うん、ぐすっ」


 それからリージェはまた泣いた。

 翌朝、リージェの腫れ上がった瞼を見たネマリエに、『せっかくの美人が台無しだ』と呆れられたが、その頃には頑張って笑えるくらいにはなっていた。



 この日以降、リージェは買い出しにも一人では行かせてもらえなくなった。

 ネマリエとピアの過保護に拍車がかかった感じで、必ず一人はリージェの傍に居た。

 

 約二週間後、依頼のためにリージェが街へ行くと、アロイス第二王子が王太子になることが発表されたとの話が駆け巡っていた。

 そしてその話には、アロイス殿下に婚約者が決まったことも加わっていた。

 婚約者は隣国の王女とのことで、立太子の儀では婚約者を伴うと誰かが言うと、めでたいことだ、と皆が笑顔で祝福している。

 リージェもなんとか笑顔でやり過ごしたが、依頼をこなして家に帰ると何ともいえない脱力感に襲われた。

 その日一緒に街へ行ったピアも、リージェにかける言葉が見つからず、ただ一人ネマリエだけは憤慨していた。

 

「待つか待たないかはリージェ次第だけどさ、こんなに早く婚約者ができるなら待っていてなんて言うんじゃないよ」

「まあ、貴族だからね。しかも王太子なんて恋愛の自由はないんじゃないかね」


 怒るネマリエと宥めているピアを前にしても、リージェは気持ちが落ち込んだまま浮上しそうもない。

 なんとなく火掻き棒で暖炉の薪をつついていると、リージェの前にピア宛の手紙がフワリと姿を現した。

 ネマリエを相手にすることを中断し、ピアは手紙を見る。

 それは国王陛下からで、西の魔女がアロイスを北の森に飛ばすまでの経緯を話すから来てほしいとあった。

 西の魔女は依頼を完遂していない形なので、話すとなると死ぬ覚悟なのだろう。

 人の命を奪う魔法は、完遂しないうちに依頼内容を話すと魔女の寿命を半分削る。

 西の魔女は現在三十七歳。

 だから神が決めた寿命が七十四歳以下ならば即死だ。

 西の次代の魔女にはまだ魔女の肩書は譲っていない。

 それなのになぜ話すと決めたのか疑問だらけだが、とりあえずピアは城へ行くことにした。

 ネマリエも行くと言い張ったが、今ネマリエが城へ行ったらアロイスに何をしでかすか分からない不安から、ピアとリージェがネマリエに留守番してほしいと説得した。


 ピアはすぐに返事を飛ばし、翌日の昼前に転移して城へ行った。

 ネマリエはピアが出発する時まで自分も行くと聞かなかったが、リージェがネマリエに残ってほしいと再三願い、ネマリエは渋々だったがリージェと二人でピアを見送った。





 城に着くと、ピアはなぜか国王陛下からアロイスに会ってほしいと一番先に頼まれた。

 ネマリエが怒っていたので表には出せなかったが、ピアも内心怒っている。

 その相手に会う義務はないと当初は突っぱねたが、国王陛下ともあろうお方が頭を下げてきたので仕方なく会うことにする。

 アロイスの部屋に向かうと、部屋の外にいた王妃がピアの手を取り、『お願いします』と青白い顔で言ってくる。

 何事かと思いながらも扉を叩くが返事がない。扉はアロイスの魔法で鍵がかけられていた。

 ピアならばチョチョイと解除できる魔法だが、そうしてしまうと廊下に居る人達が部屋になだれ込んで収拾がつかなくなりそうだと感じたピアは、転移で中へ移動する。

 室内はカーテンが締まったままで暗く、目を凝らして見るとそこは足の踏み場もないほど荒らされた状態だった。


「殿下、居ませんか。東の元魔女のピアですよ」


 静かに声を発すると部屋の端から、『東の魔女殿か』と声が聞こえた。

 この際、魔女だろうが()魔女だろうが些細なことだ。

 そこはあえて訂正せずに受け流した。

 そして、落ちている物を踏まないようにしながら声の方へ移動すると、床に蹲ったアロイスを見つけた。


「どうしたんですか、殿下。とりあえずカーテン開けますよ」


 一言言ってカーテンを思い切り開けると、アロイスは蹲ったまま頭を抱えている。


「どうしたんですか。街中殿下の立太子を祝って大賑わいなのに」


 そう声をかけてもピクリともしない。

 ピアはついでに窓も開け放った。

 ピアはこれまで何度も貴族の依頼を受けたことがあるので、魔力の淀みも慣れてはいた。

 しかし臭うものは臭う。

 長丁場になりそうだから、せめて換気だけでもしておきたいと開けた窓からは、北の森ほどではないが冬の冷気が入ってくる。

 

「······寒い」

「そうですね。でも、魔女は魔力の淀みに敏感なんで我慢してくださいよ」

「······なあ」

「はい?」

「······元気?」

「私ですか?」

「違う」

「南のネマリエかな」

「違うって」

「リージェですか?」

「······」


 リージェのことだと分かっていながらも、ピアは意地悪をした。

 アロイスと別れたあの日、リージェは泣いた。

 きっと一人の部屋でも泣いただろう。

 初恋なのにあっさり失恋した、それだけでもかわいそうなのに、まだ傷のいえないうちに惚れた男に婚約者が決まったと知ったのだ。

 今日だって元気はなかった。

 それなのに、『元気?』なんて、神経を逆撫でするにも程があるってものだ。

 だから答えなかった。

 沸点の低いネマリエがいると怒るタイミングを逃しがちだが、ネマリエが居ない時はピアだってそれなりに怒る。

 今日だって国王陛下が頭を下げなければ、アロイスには会う気はなかった。

 そもそも、西の魔女があの事件について話すなんて言い出さなければ城には来なかったのに、なぜあの女は話そうなんて思ったのか。

 ピアはだんだん腹がたってくる。


「殿下、いったいどうしちゃったんです?もう綺麗さっぱり元通りの生活になったんじゃないんですか?」

「······元通りの生活、してるのか?」

「私ですか?」

「違う」

「ネマリエ」

「違うってば」


 ピアはまた意地悪をした。

 しかしこのくらいは可愛いものだ。

 もうこれ以上ここに居ても何も無いと思ったピアは、『国王陛下から呼び出されて来ただけなので、もう行きますよ』とアロイスの後頭部に向かって声をかけた。

 するとパッと顔を上げたアロイスが、『元気か教えてほしい』とピアに向かって言ったが、ピアはアロイスの顔を見て仰天した。

 

 リージェ曰く、妖精のような美しさだったアロイスは、目の下にはっきりと隈ができ、あきらかに頬もコケている。

 今は妖精というよりも死神だ。

 そして魔女に会った男がその状態になる現象を、ピアは何度か見たことがある。


 魔女に失恋したのだ。

 

 もちろん過去に見たことがあったのは街に住む平民の男だ。

 貴族は初めてだが、恋に貴族も平民も無いというあたりまえのことにピアは困惑した。

 魔女に恋した男は、魔女に告白しても必ずうまく行くわけではない。魔女にも選ぶ権利はある。結婚するまでは普通に恋愛をするのだから。


 失恋した男はまず食事がとれなくなる。

 食事をする間を惜しむように、ずっと魔女のことばかり考えてしまうのだ。

 そして考え疲れると眠る。

 眠ると魔女の夢を見る。

 それも必ず。

 楽しかったこと、喧嘩したことなど、とにかく寝ると魔女との思い出が夢で再生されるのだ。

 これが二日から一週間続く。

 魔女への恋が浅いうちに失恋すると早く正気に戻るが、深く愛していると最悪の場合は死んでしまう。

 さて、アロイスは何日目だろうか。

 二人は一週間しか一緒にいなかったから、まだ浅い思いで済んでいたら儲けもんだな、と願いながら、ピアはアロイスに尋ねる。


「アロイス様、食事してないんですか?」

「······ああ、食べられない」

「何食抜きました?いつから食べてないんですか?」

「分からない。でも寝てはいる。リージェが笑ってくれるから」

「困ったもんですね。ちょっと待っていてください。とりあえず依頼をこなしてからまた来ます」

「待ってる。その時、話を聞かせて」

「······」


 ピアはアロイスの部屋を出ると、廊下にいた使用人に何日食べていないのかを尋ねた。


「今日で四日目です」

「まずいね」

「ピア様、どうしてこんなことになったのでしょう。アロイスは元気になりますか?」


 侍女に支えられながら、王妃が縋るようにピアに尋ねる。

 王族とはいえ、何でも知っているわけではない。下手をすると魔女の呪いと言われかねない事柄に、ピアは頭を抱える。

 

「さて、どうしたものか。とりあえず国王陛下も一緒に聞いてもらったほうが良いかねぇ」


 ピアは、つくづくネマリエが居なくて良かったと考えながら、丸く収めるには国王夫妻への話の持って行き方次第だと覚悟を決めた。





 お読みいただきありがとうございます。

 次話はすぐに投稿します。



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