2.十五歳
リージェは急いで転移を使い、少年をリージェの家の中へと移動させ、暖かい暖炉の前で魔法で衣服を乾かした。
毛布を被せ体を温めていると、少年は意識を取り戻したようで眉間にしわがよる。
「う、うう」
「起きましたか?」
リージェの問いに少年がゆっくり目を開けたが、ぼうっとして答えはなかった。
リージェはそれを気に留めることもなく、温かいジンジャーティーを淹れ少年に渡すべくそばに近寄った。
その時にやっと自分の現状に気がついたのか、少年は毛布を跳ね除け、リージェに対して警戒の体勢をとった。
いつもは帯剣しているのだろう。
右手が剣を掴もうと動いたがそこに剣はなく、そのかわり動かした右腕と背中に鋭い痛みがはしった。
「うあっ」
「大丈夫ですか!?」
リージェは手に持ったカップをテーブルに置き、少年に駆け寄った。
少年は痛みのためか今度は動くこともせず、リージェに抱え込まれた形になる。
「怪我が痛みますか?ちょっと診させてください」
リージェはそうことわってから、少年の額に手を添えて魔法で怪我の箇所を探した。
見える怪我は、腕に刀傷と思われるが酷くない切り傷が数か所、服に隠された右腕と背中、右太腿に酷い打ち身があり、左腕と左太腿は骨折していた。
「どうしましょう。治しましょうか?」
基本的に依頼されないと魔女は魔法を使わない。
リージェはすぐにでも治したかったが、念のために尋ねると少年はあきらかに不信感を全面に出して警戒する。
「お前は誰だ」
「私は北の森の魔女です」
「なぜ北の森の魔女がここに居る」
「ここが私の家だからです」
リージェのその言葉を聞いて、少年はやっと周りを見渡した。
そして、確かに知らない部屋であることからリージェの言葉が正しいと判断したのか、距離をもとうと体を捩った。
しかしそれがまた怪我にひびいたのか、『くっ』と痛みに顔を歪めたので、かわいそうに思ったリージェが離れ、さっき用意したジンジャーティーを少年の右側に置いた。
「ジンジャーティーです。温まりますから良かったらどうぞ」
リージェはそう言って少年から少し離れ、正面に座った。
少年はリージェを警戒し観察してくる。
リージェも少年を観察したが、どうやら少年というよりは青年に近そうだと思った。
自分とあまり変わらない年齢かもしれない。
銀髪で青い瞳をし端正な顔立ちをしている。もしかすると貴族かもしれない。
ほんのりと漏れ出た魔力の香りに、リージェはなんとなくそう思った。
ならば失礼のないように。
できれば早めに怪我を治し、帰ってもらえればありがたい。
リージェはそう思いながらも静かに少年の言葉を待った。
「···魔女は······信用できない」
「そうですか」
街へ買い物に出かけても、たまにあからさまに避ける町民がいるので、リージェはその言葉も深い意味と捉えずに受け流した。
「私はリージェです。あなたのお名前を教えてください」
「············」
「少年?」
「少年ではないっ!十五歳だ!」
「十五歳ですか。では十五歳。怪我はそのままで良いのですか?」
「·········」
「十五歳?」
「そんな名前ではない!」
「え?今、十五歳って」
「━━アロイスだ」
「アロイスさん。失礼しました。ではアロイスさん、治療はどうしましょう」
「······」
リージェがアロイスの返事を待つ間、室内は暖炉のパチパチと小さく火が爆ぜる音しかしない。
静かな、そしてほんの少し重い空気だったが、リージェはアロイスの言葉を静かに待った。
ついさっきまで一人だったのだ。
アロイスが答えを返すのを待つくらいなんてことない。
リージェもジンジャーティーを少しずつ飲みながら、暖炉の前の床の上に足を投げ出して座った。
アロイスの警戒はとけないようで、五分を過ぎてもそのままだった。
これは根比べだな、とリージェが覚悟を決めた時、壁に掛かっている絵の入っていない額縁がプアンと淡く光る。
リージェとアロイスが額縁に目をやると、どこかの室内にいる女の子が半ベソをかきながら呼びかけてきた。
「まじょのリージェさん。この子をたすけてください。ものおきで赤ちゃんうんだけど、この子だけうごかないの。たすけてください。ほうしゅうはリンゴ三こでおねがいします」
五歳くらいの女の子の両手のひらには、小さな生まれたての子犬がぐったりしている。
これはすぐに行かなくては、とリージェは立ち上がると、『治療してないんで、動かないほうが良いですよ』とアロイスに言い残しフッと消えた。
今、額縁は何も映していないが、きっとリージェはあの女の子の所へ行ったのだろう。
アロイスはそう思い、リージェが用意したジンジャーティーのカップをチラリと見た。
もう既に温くなっているそれを見て、アロイスは自分の現状を考えていた。
リージェが転移で戻ったのはそれから十分もかからなかった。
アロイスはリージェが依頼先に行く前と同じ場所に居て、ただジンジャーティーを入れたカップは空になっていた。
「さっきのあれは何だ」
「額縁ですか?あれは街の中に設置してある依頼用の通信設備から届いた依頼です」
リージェはテーブルにリンゴを三個ゴトリと置いて、『報酬です』と笑った。
「あの子犬は」
「助かりましたよ。早めに気がついてくれたんで、元気になりました。さすがに死んでしまうと無理なので良かったです」
「死んだらだめなのか」
「死者の蘇生は魔女殺しと言われる禁忌ですから」
「やればできるのか?」
「やればできますが、魔女の命と引き換えです」
「そうか」
「ところで、ジンジャーティーのおかわりはいかがですか?」
「······いただこう」
「はい。承知しました。治療の方はどうしますか?」
「······お前の魔力は大丈夫なのか?」
「私はまだまだ余裕ですよ。この国の端まで転移して戻ってもまだ余ります。十回は往復しても魔力は心配ないです」
「それならば、治癒を願いたい。報酬は······ああ、この指輪を」
「そんな高価な物いただけませんよ。治ったら考えてくれても良いです」
リージェはジンジャーティーを用意しながらそう言うと、リンゴを一つ手に取り、『これもせっかくだからいただきましょう』と皮をむき始めた。
リージェは、ジンジャーティーの入ったカップとカットしたリンゴををテーブルに置いてから、静かにアロイスの前に座った。
「では、少しだけ失礼しますね」
そう言うとリージェはアロイスの両頬を手で優しく挟み、目を閉じて何やらブツブツと呪文を唱える。
アロイスは体が一瞬熱をもったのを感じたが、はっきり分かる変化はそれだけで体の痛みはなくなった。
「はい。もう大丈夫です」
「凄いな。怪我だけでなく、体のダルさも無くなった」
「元気になって良かったです」
リージェはアロイスに椅子に座るように促した。
アロイスはそれに素直に従い椅子に座る。
「リンゴもどうぞ。お腹はすいてますか?」
時計を見ると夜の二十時を回ったところだ。
何があってどうしてここまで飛ばされたのか分からないが、もしかすると空腹かもしれない。リージェはそう思い尋ねると、夕食は済ませたから平気だ、と言いながらもアロイスはリンゴを一欠手に取った。
さっきリージェが依頼先に行くまでとはうってかわった気安さに、リージェはフッと微笑んだ。
思えばネマリエとピア以外はこの家に入ったことがない。
父はリージェが物心つく前に西の森に行ってしまった。
誰かが居るって心が踊るんだな、とリージェは思いながら窓の外を見た。
雪はまだ降り続いている。
さっきよりも酷い降りだ。
アロイスの部屋を用意しなくちゃな、と考えたのは当然のことだったろう。
「部屋を用意しますね。雪も降り続いているし、今は帰らないほうが良いでしょうし」
「申し訳ない。世話になる」
やはり貴族だな。
アロイスの人を使い慣れた話し方に、リージェはそう思いながら、部屋を出た。
さて、あんなふうに襲われる人をどうしたものか。
雰囲気や話し方から察するに、きっとそれなりに良い家柄の貴族だろう。
そのアロイスを何人で襲ったのかは分からないが大怪我をさせ、また、こんな所に飛ばすくらいの魔法が使える者も居る所には今すぐ帰すのは酷だろう。
しばらくここで匿うほうが良いかもしれないが、それはアロイスの判断にまかせるしかない。
基本的に魔女は家族以外とは一線を画すのが常だ。
あまり親身になりすぎると、きっと辛いことになる。
リージェは本能的に察知し、アロイスにあまり関与してはいけないと自分自身を律した。
リージェはたくさん使っていない部屋のうち、調度品の落ち着いた部屋に入ると、魔法でさらに綺麗に整えた。
部屋には建物の外からは中の人間が察知されないように魔法をかけたが、これは自分が余計なことに巻き込まれないための予防だ、と言い訳をする。
それからアロイスの居る居間へと戻ったが、アロイスは暖炉から程よく離れた所に大型のソファを移動させて寛いでいた。
ソファは四人は座れる物で、簡単には動かせない。
身体強化の魔法でも使ったのだろうか。
そんな魔法が使える者にあんな怪我を負わせることができるのは近しい人間なのだろう。
リージェはアロイスの怪我の背景を想像し、思わず眉間にしわが寄った。
しかしそんな事に気が付かないアロイスは、『ソファ、移動させてもらった』と言いながらリージェを手招きした。
リージェもこれからについて話がある。
アロイスの手招きを受け入れ、体一つあけた位置に座った。
外は未だに雪が降っている。
ネマリエもピアも、やってくる気配はなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次話はすぐに投稿します。