第5章 麦酒の力を以てしても
マヤルカは蹴飛ばしたキリアンの向う脛に医療コードをかけようとして、必死の抵抗にあっていた。
「大丈夫!大丈夫だから止めてくれ」
「遠慮しないで。思い切り当たったから、きっと痣になるわ。簡単な炎症止めのコードよ」
「マヤルカ嬢、第6曲が始まる。行かなきゃ。男はこれくらいでへこたれない」
哀愁を帯びた曲が流れた。哀愁とは裏腹に、その場に互いの動きを追う男女の気が満ちてきた。カレナードは艦長の視線に気づいて、彼の言葉を思い出した。
『一緒に踊る相手の呼吸を感じているかね』
今はリンザの呼吸に合わせようと彼女の横に立った。誰が横にいようと、合わせてみせると決めた。キリアン、マヤルカ、ミシコ、ナサール、艦長、トペンプーラ、マイヨール、そしてマリラ。そうだ、誰であっても。ふとリリィの顔も浮かんだ。彼はそれを追い出さないよう努めた。
第6曲はリンザもカレナードも互いに相手に寄り添いつつ、大きな形をしっかり作った。いい出来映えだった。リンザは喜んでカレナードに抱きついた。
「すごいわ、あなたったら!こんなに合わせられるなんて、すごく気持ちいいわ。ねぇ、恋人になって」
「君がすこぶる自由な感性で生きてることは分かったけど、僕は艦長と張り合えない」
「チッ!一瞬で振らないで欲しいわね。10秒でいいから気を持たせたらどう」
キッとなった彼女はまるで猫のようだと思った。カレナードは言った。
「次の曲と最後の曲は、浮かれてては踊れないよ」
「ああ、そうだったわね」
リンザは踊りのことになると集中するのだった。
「じゃあ、いい踊りをして楽しみましょうよ。エーリフを嫉妬させたいわ」
最後のダンスが終わると、踊り手は観客と軍楽団にお辞儀をして解散した。休憩のあとは踊り足りないメンバーがまた芝生を踏んでいた。リンザはエーリフと踊っていた。
トペンプーラは取っておいた発泡飲料を持って、庭園の端の木陰に行った。カレナードが木にもたれて座り込んでいた。
「ブラヴォ、カレナード・レブラント」
「ブラヴォではないです。最後にサポートがずれてしまって」
「レクトー嬢が羽目を外し過ぎたのですヨ。とばしたい気持ちは分かりますが、あれはいけません。怪我がなくて幸いでした」
「ところで、マリラさまが事前にパートナーを指名したのはルール違反じゃないですか。他の出場者は前日まで相手が分からないのに」
「それくらい女王の権限、というより遊び心ですネ。その辺はガーランド・ヴィザーツは皆分かっています」
「そうなのですか」
「各セクションの代表者はすでに知れ渡っていますから、猛者は夏至祭までにこっそり総当たりで手合せしていますよ」
「24人と手合せですか」
「君の所に女性猛者は来ませんヨ。相手が決まっていますから。そういえばリハーサルの回数を増やす動きが出ています。早々に女王と踊る機会があるでしょう」
トペンプーラは蓋付きグラスをカレナードに差し出した。
「これで疲れを取っておきなさいネ」
「キリアンが言うには、僕は酔うと笑いが止まらなくなって、タガが外れると」
「これはただの麦酒です。心配ありません」
その日、カレナードのタガは外れなかった。リンザの一言が彼を酔わせなかった。
『パートナーに指名された意味が分からないの、この鈍感男!』
「マリラさまのお心……。考えれば考えるほど、あの方は謎だ。だから僕はもう考えない。あの方を失望させない踊り手になるだけだ」
それはマリラに対し誠実でないかもしれないと胸の奥から声がしたが、それ以上何をどうしていいのか、彼には分からなかった。エーリフの特訓に打ち込むことが最善の選択かと自分に問えば、それでいいと腑に落ちるものがあった。
彼は夏至祭で女王のパートナーとして晒し者になろうと決めた。
後半の強化訓練が始まり、V班はほぼバラバラになった。
ミシコは管制部、アレクは甲板材料部、シャルはコード開発技術部、ヤルヴィは総合施設部、キリアンとカレナードは航空部に配置された。各部署のガイダンスもそこそこに仕事という名の訓練が始まった。
航空部は飛行艇が主な訓練の場になった。飛行艇のコース入力から計器チェック、飛行記録出力を、メンテマンや管制室など関係部署と確認しながら行う毎日が始まった。
6月朔日は古参訓練生が訓練生棟へ来て、衣装改めをした。
「よーし、当日まで汚すなよ!針仕事が得意な者はもっと刺繍してもいいぞ」
喜んだのは男子棟ではシャルとハーリだけだった。
カレナードはリリィにしたことを謝ると決めていた。リリィが彼に謝るか否かは問題でなかった。キリアンが叱ったおかげで、彼はようやく冷静を取り戻していた。




