第5章 苦い勝利
少しも美しくないキスシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
マハは信じられないものを見た。カレナードが女医の手を取って自らの胸に添わせた。そして、すばやく接吻した。リリィは少しもたじろがなかった。むしろ進んで受け入れていた。カレナードはもう一度接吻した。マハはその場にいられず、サッと隣室に出てドアを閉めた。カレナードはその機を逃さなかった。
彼はリリィを抱いて診察台の上にそっと倒れた。
「大人の付き合いくらい出来ますよ」
リリィは返事の代わりにカレナードのローブの下に巧みに腕を入れて、彼の体を抱きしめた。明らかに戯れたがっていた。消毒液の香りが漂う中で、2人は口づけを交わし、リリィは開いていた眼を閉じた。
数秒後、彼女は悲鳴を上げた。下唇の端が切れて血が滲んでいた。カレナードが噛みついたのだ。
「ドクトル・リリィ、目には目を、歯には歯を、です」
「よくも騙した……!小僧……」
「僕に何を期待したのですか。今ので十分だったでしょう。娼婦の真似はおしまいです」
「よくも……」
「僕は何も騙していません。あなたのしたいようにしただけだ!」
蒼白になったリリィを尻目にさっさと服を着て施療棟を抜け出した。カレナードは射撃訓練場から出てきた二年生の群れの脇を駆け抜け、実習棟に飛び込んだ。洗面・洗濯室にこもって、思い切り口をすすいだ。顔も首も手も腕も洗った。扉の鏡に映った自分に何も感じるまいとした。そして、このことを忘れようとした。
彼は夕食のパックを持ち、小武闘室へ行った。先にキリアンがパックを持って来ていた。
「おい、カレナード。変なオーラが出てるぞ」
キリアンは親友の頬をペチぺチ叩いた。緊張が切れたカレナードはキリアンに寄り掛かった。キリアンが床に座ってパックの中身を食べる間、カレナードは横たわり、ぼんやりしていた。キリアンはふざけてカレナードの髪をくしゃくしゃ撫でた。
「子供みたいだな、お前……」
その手をカレナードは捕まえて自分の口元に寄せた。
「本当に子供だな」
「キリアン、僕はひとつやり遂げた。次は踊り比べをやり遂げるんだ」
「この前言っていたベテランの件か」
「君の言ったとおり、負けて勝った。たぶん」
「微妙な言い回しだな。後悔するようなやり方をしたのか」
「大人の女って難しい……」
キリアンは叱った。
「お前、夏至祭があるのにバカをやりやがったな」
カレナードは叫んだ。
「そうさ、僕もドクトル・リリィもバカだ!」
彼はその勢いのまま夕食のパックを開いた。ドライフルーツ入りのポテトサラダとチーズとハムを挟んだライ麦パンがあった。彼は食べながら泣いた。
「僕はバカだ……」
溜飲を下げたはずなのに、彼は何かを間違ったと感じていた。
キリアンは親友の顔を何度も拭ってやった。
「泣くか食べるかどっちかにしろよ。バカなのはよく分かったからさ、まったく……!」
レッスンは散々だった。カレナードの背中はまったく伸びず、ステップはのらりくらりだ。エーリフのわざとらしい沈黙に気付いたキリアンは、レッスン後にもう一度カレナードを叱った。
「お前は皆の前で宣言したんだ。気合を入れ直せ。その顔で夏至祭の舞台に上がるつもりか。明日もこんなのなら、俺はお前が情けない」
翌朝、カレナードは淡々と朝練をこなしていた。トペンプーラが「皆さん、よくなってきました。明日からヴァージョンアップです」と褒めた。
キリアンはとりあえずホッとした。トペンプーラの飄々とした励ましはよく効くようだ。
5月の強化訓練は残り数日になっていた。エーリフは新参たちに、月末の3連休を利用した飴を用意した。最上層左舷にある細長いテラス式庭園のバーベキューパーティだ。
さっそく喜んだのはナサールだった。
「艦長殿、たんまり焼いていいのですね!」
「もちろんだとも。私の奢りだ、ポークとラムを山のように焼きたまえ」
「僕たちだけいただくのは、何やら気が引けますが」
「後半の訓練のために滋養をつけたい者は誘っていいぞ。ただし30分だけ基礎レッスンへの参加が条件だ」
パーティ参加者は40人を超えた。ナサールは宣伝しすぎたかと冷や汗をかいたが、艦長は張り切った。
「エスツェット君、管制部の連中を全員呼ぶより出費が少ない。彼らは酒豪揃いだから私の秘蔵を出す羽目になる」
「もしやパーティは艦長の私費でありますか」
「当り前だ。私が妻帯しない理由の一つはな、自由に大盤振舞いをするための財源確保なのだ。妻に娘でもいてみろ、彼女らりを磨くのにどれだけ費やすか想像できるかね」




