第5章 湧き上がるもの
ナサールは千載一遇のチャンスに向かって走った。
「艦長殿、ここだけの話ですが東メイス特産の琥珀色のアレをただいま1ダース取り寄せ中です。特級品の自負はあります。よろしければ授業料代わりにお納めください」
ミシコが加わった。
「オルシニバレ産のワインもあります。紋章人は後見のヴィザーツ屋敷がありまから僕たちが支えたいのです」
艦長はにんまりした。
「ナサール・エスツェットにミシコ・カレント。麗しい友情だ。特産品は1ダースとは言わん、それぞれ5ダース用意したまえ。練習は休日以外の週6日、午後8時30分から90分みっちりやる。私の授業は厳しいぞ。ナサール君、鏡のある部屋を探してくれ、明日から必要だ」
ナサールは新しい練習場を確保してきた。小武闘室だ。壁は立派な鏡があった。お祭り男は多少の筋肉痛をものともせず、誇らしげに鏡を磨いた。艦長はこの部屋に満足した。
「第1曲と第2曲は古謡の素朴でおおらかな旋律が特徴だ。労働歌や祈祷師の詠唱に起源があるものばかりだ。第4曲は変調のところで気をつけるのだ。どれも品よく踊りたまえ。これらは元はアナザーアメリカの大地精霊に捧げられたものだからね。野蛮な心根で脚を運ばないことだ」
レッスンの間、カレナードは集中した。課題とレポートを忘れ、訓練の疲れを忘れ、施療棟のリリィを忘れた。それは心地よかった。その週のうちに、朝の自主練習にトペンプーラが加わった。
「艦長に白羽の矢を当てられましたワタクシ、踊り比べの補充ダンサーです。いい機会ですから、皆さんの特訓に参加します。よろしくネ」
格闘の強者はエーリフと同じくらい熱心な教師だった。彼は自分の練習をしながら新参の姿勢と癖を直した。油断しているとトペンプーラの頑丈な脚が彼らの緩んだ部分に飛んできた。
「ほらほら!そこ、足首をきちっと開くのッ!」
伴奏のヤルヴィはすっかりトペンプーラに心酔していた。彼の眼には日に日にキリアンやミシコの上達ぶりが映った。カレナードは週末には、空中で一回転して綺麗な着地を決めて瞬時に次のステップに移るコツを掴んでいた。
用を成さなくなったコルセットの代わりに、ビスチェと胸を巻く帯を用意したのはマイヨールだった。 彼女は女子Y班より適切なアドバイスをくれた。若い女は胸の谷間をきれいに見せるのに一生懸命だが、カレナードはその逆を求めていたからだ。マイヨールは見事に応じれた。
「聞いたわ、女王の御指名を受けたそうね。彼女と踊る以上は、10曲踊ったうえで優勝しなくてはならなくてよ」
「やはりそうですか」
「当り前よ、最後まで複数組が残る場合、女王とその相手が有終の美を飾らなくてどうするの。もしも最後の曲で女王とあなただけが残った時は、あなたと彼女で優勝を競うことになるわ。どちらにしても大変な仕事ね」
マイヨールのサロンの衝立の陰で、彼はビスチェを着けてみた。それは胸の膨らみが目立たないよう直されていた。マイヨールが着け方を教えた。彼女は「ちょっと触るわよ」とことわってから、乳房をきれいに納めた。
リリィに痛められて以来 自分で触る気にならなかったが、マイヨールの手は思いやりに溢れていて、彼の心は軽くなった。
マイヨールが伸縮性の帯をビスチェの上からひと巻きすると、男性の胸板に見えなくもなかった。歴史学者はいい形になりそうな膨らみが勿体ないと思ったが、彼のために言わなかった。
「跳んでも大丈夫です。お代は待ってもらえますか、マダム・マイヨール」
「これは末娘に用意したのが不要になったものだから、結構よ」
「娘さんの物を。いいのですか」
「彼女は魂が安らぐ場所へ行ったの。あなたに役立てられて、ホッとしているところよ」
マイヨールの目に一瞬悲しみが走ったが、すぐにカレナードの背中を押した。
「夏至祭が楽しみだわ」
わずか1週間の間に急激な変化が訪れていた。彼は週明けのリリィの診察をすっぽかして逃げを決め込むつもりだった。が、エーリフやトペンプーラと毎日汗を流すうちに、彼女と対決する力が湧き上がっていた。そのままでは自分が情けなく思えた。彼女に一矢報いて、アナザーアメリカンとしての、また男としてのプライドを守りたかった。
艦長に担当医の変更を相談するのは、そのあとのことだ。怒りに身を任せた蛮勇と言われようと、今は止まる気はなかった。
対決の下準備はしておいた。施療棟に連絡して、無理やり午後5時に行く約束を取り付けた。その時刻は訓練の休憩時間帯で、半数の医療ヴィザーツは施療棟に戻ると聞きだしたのだ。あのリリィも暴虐をふるう可能性は低いだろう。
貴重な休日を彼はリリィ攻略のための沈思黙考に費やした。
「負けて勝つか、先手か搦め手か、あるいは捨て身で挑むか」




