第5章 蔓棚の下の白い足
カレナードは甲板上層通路の端の隠し扉から船体外縁に沿う回廊に出た。勘を頼りに上層天蓋下の訓練用地に出る通路を探した。回廊はいくつか扉があり、それ以外の壁面は栽培ポットが並んでいた。5番目の扉を開けた。訓練用地が林の向こうに見えた。
「よし。行けそうだ」
彼は林の中で睦みあう恋人たちを横目に見た。羨ましかった。いつか自分にその時と相手があるかと自問した。答えは出なかった。
訓練用地の手前の高い土手はどうしても登れなかった。仕方なく土手沿いに進んでから、メンテナンス用のエレベーターに乗った。窓から施療棟が見えたところでエレベーターを降りた。薬草が匂う畑の向こうの建物に向かった。
そろそろ夕刻だ。畑の蔓棚を通り抜けようとして、ギョッとした。棚の下に女の白い脚がだらしなく転がっていた。裸足の皮膚は硬く乾いて生気がない。
「まさか、マルゴ・アングレーの死体……」
女は投げ出されたように横たわっていた。膝までのワンピース姿で、上半身は厚手のスカーフで覆われていた。
「死んでいるのか。後で埋めるんだろうか。本当にマルゴさんなのか」
彼は脈を確かめようと手首に触れた。女はいきなり起き上った。
「何奴!」
スカーフが落ちて、女王が寝起きの顔で現れた。
「……なんだ、紋章人か」
カレナードは驚きのあまり、声も出なかった。
「どうした、迷子にでもなったか」
「そ、そんなところです」
カレナードはやっと答えたが、まだ驚きの中にいた。むしろ狼狽に近かった。女王は言った。
「なぜ私を恐ろしいもののように見るのか」
「女王がこのような所で眠っておられるとは思いがけず、死体と見間違えました。脈を測ろうと勝手に触れ、失礼いたしました」
「死体か、そうか、死体に見えたのか。死体か、ふっ」
マリラは鼻で笑った。それから機嫌のいい時の鷹揚な言い方でカレナードに座るよう促した。
「草が暖かいだろう。ここは施療棟の管轄だが、今日は誰も来ぬ。私のお気に入りの場所の一つだ」
生気は徐々に甦りつつあったが、マリラの皮膚はまだ乾いていた。カレナードはマリラの横に座った。彼はポルトバスクの出来事を思い出した。
「マリラさま、おひとりでは危険です」
「私とて1人になりたい。そなたも迷子になるほど、秘密の居場所を探してここまで来たのではないのか」
「しかし、お傍に誰もいないのはいけません」
カレナードはなぜか強く主張したかった。それに負けないくらいマリラは言った。
「案ずるな、私はそう簡単に死なぬ。そなたは生き脱ぎを見たはずだ。仮に玄街の暗殺者が私の頭を打ち抜いたときは、私をあの部屋に放り込め」
カレナードはむっとした。マリラの言葉に女王にあるまじき捨て鉢な何かを感じた。
「あなたの死体を見るのは御免こうむります」
「ふふふ、私とていつの日か、この世から消えるぞ、カレナード」
「おやめください。調停を司る浮き船に何かあれば、アナザーアメリカはどうなりますか」
「ガーランドなしではやっていけぬと申すか。アナザーアメリカンはいつまで私に頼れば気が済むのだ。おちおち死ぬこともできぬわ」
「女王のお言葉とは思えません」
カレナードはいきなり立ち上がった。彼は初めてマリラを見下ろす位置に立っていた。
「あなたは死をお望みですか」
マリラは唇だけで笑った。
「怒ったか、紋章人」
彼女も立ち上がり、スカーフで髪を覆った。生気が体中から放たれ、まとわりついた芝草が落ちて行った。膝から下の裸足の肌は生々しいほど瑞々しくなった。マントを羽織るとすっかりいつもの女王に戻っていた。
「怒るがいい、カレナード。しかし、忘れよ。そなたに命ずる。私の死など忘れよ。休日はもう終わりだ。夏至祭までにすることは山ほどあろう?」
マリラとカレナードは不思議とてらいなく互いを見つめた。思いがけない問いと答えの向こうにあるものを探すかのようだった。そして無言で別れた。マリラはメンテナンス用のエレベーターに向かって去った。カレナードの心はマリラの命令に従えなかった。
「マリラさまが死にたがっているとしたら、ガーランドは飛べなくなるのでは。どういうおつもりであのようなことをおっしゃるのか。まったく……」
休日の宵は複雑な腹立たしさが交錯する中で過ぎた。
週明けは憂鬱だった。訓練スケジュールの影響でリリィの診察が週末から週明けへと移動したのだ。ダンスの練習を早めに切り上げ、午後9時に施療棟群へたどり着いた。足取りは重かった。
「お嬢さんのためだ。行かなければ」
静かな建物の中で、リリィは苛立って待っていた。




