第4章 マイヨール教授のレポート地獄
女王の声は低かったが、はっきりしていた。
「浮き船の内部を無闇に疑ってはならぬ。が、秘密裡に乗員の身元を洗え」
彼女の強い眼差しに、トペンプーラは黙ってうなずいた。マリラは自分の椅子を輪に加えた。
「そなたたちが裏切らぬことを私は知っている。この先、多くの血が流れようとも、地上の町がいくつか消えようとも。エーリフ、先ほどの癖のあるコードの話だが」
会議は夕刻まで終わらなかった。
新参訓練生は格段にレベルアップした講義とレポート提出、さらに回収したナノマシン解析作業に目も眩む毎日だ。歴史学のマイヨール・ポナ女史の出題は特に多い。シャル・ブロスの愚痴は日毎に多くなり、誰も彼の相手をしない。
「俺の故郷は平穏無事な歴史しかないマルバラなんだぞ。ヴィザーツ転勤族の俺が住んだ屋敷はド田舎ばかり。タラティーにナヴァルタームにオーザンプ!」
アレクがうるさそうに振り返った。
「シャル、お得意の唯美主義とやらでマルバラ暗黒美術史を語ってみろよ。あれは歴史的事件だぞ。背景になった社会情勢とかあるだろ。いきなり黒い潮流は出てこない」
「おお!俺はそっちまで頭が回らなかったぜ。で、お前は何を書いてるんだ」
「ブルネスカ領国竜巻被害史」
アレクはそれきり黙った。ヤルヴィは北メイス領国成立物語に取組み、キリアンは机に積み上げた本でバリケードを築いていた。ミシコは図書館へ行くため、鞄を持った。カレナードも一緒だ。
「カレナードは何を書いてるんだ」
「オルシニバレ首都選定事件だ」
「僕もだ」
カレナードは歴史学教師のすっきりした顔立ちを思い出した。
「マイヨール先生が僕たちのレポートを比較討論に出すなぁ」
「対策が要るぞ。視点の違いを明確にしよう。君が経済的背景を書くなら、僕は西方とマルバラ緩衝地帯とのパワーバランスを重点にするよ」
「その両方を盛り込んだよ」
「じゃ、僕はメイス諸領国の勃興と東オルシニ山脈の地勢的影響を詳しくやる」
2人は点呼直前に戻った。訓練生棟の門外で男子T班のハーリ・ソルゼニンと小柄な女が一緒にいた。施療棟の林でボンゾと一緒にいた女だ。
「ハーリは今頃何を話してたんだ」
ハーリは柔和な面立ちを崩さずに答えた。
「彼女、マルゴ・アングレーは親戚だよ。手紙を預かったから直接届けてくれたんだ」
「彼女はガーランドを降りてたのか」
「オスティア領国で補給した時にね。彼女と僕んち、オスティアの海沿いなんだ。詰所には内緒にしておいて。あそこを通さない手紙は舎監がうるさいから。点呼が始まるよ、ミシコ・カレント」
一同は急いで駆け上がった。
春分から3週間が経ち、カレナードの背中はたまに引き攣りが走ったが、彼は元気で、マイヨール女史の授業がお気入りだ。凛とした姿勢の彼女は2人の子供の母親で、5年前からガーランドに単身赴任している。
シャルはますます愚痴った。
「春なのに!レポート地獄!」
ミシコは次はどんな文句が出るか楽しみにしようと言った。湯船の中のシャルが、腰にタオル一枚巻いただけで机に向かっているキリアンをからかった。
「風呂に浸かってる時くらいレポートを忘れさせてくれ!」
そこへマヤルカが訪ねてきた。彼女は不用意にドアを開け、衝立の隙間から湯から出たシャルと目が合ってしまった。
「きゃあ!お風呂は朝のうちに入っておきなさいよ!」
彼女はフロリヤからカレナード宛ての手紙を持ってきた。
「僕宛の手紙なら詰所に届け出てた方がいいんじゃないか」
「あら、ミンシャに訊いたら、そんな必要ないって」
耳ざとくミシコが反応してきた。
「詰所を通さないって。ハーリの言い分と違うぞ」
マヤルカは姉が送ってきた手作りの飴を取り出した。
「皆さんでどうぞ。姉の得意な花梨とレモンの飴よ」
シャルがついでに頼みがあると切り出した。
「マヤルカお得意の基礎病理学、レポート助けてよ。お願い、お姉さま!」
「いいけど。服を着てからにして!」
シャルはパンツを履いたところだった。
フロリヤはカレナードにヴィザーツになってもシェナンディ家との縁は切れないと書いてよこした。
「フロリヤさんに返事を書かなきゃ」
彼は紙挟みから特別な紙を1枚引き抜き、風呂の後で手紙が書けるようにした。さっと髪をほどいた。
「切ってしまいたいけど、ジーナさんは駄目だって…これも紋章人の務めなのかな。とっくの昔にカツラになってたはずなのに」
髪は肩甲骨の下まで伸びていた。




